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井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た

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書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親) 新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ね…
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#子育

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #はじめに

書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親) 新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。  「子育てはどうしてこんなにつらいんだろうーー」 そう思ったことはありますか。私はあります。  ライター/編集者として、「仕事と子育てを両立すること」に疲労困憊している親(特に母親)の姿をたくさん見てきました。ちゃんと育てなきゃという内側からの使命感や、ときにはプレッシャー

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #30

「喜びどころ」がずれるもったいない 対症療法に陥りがちな子育て①  子育ては修行のようです。でもそれを補完するように「喜び」もあります。    ただ、その喜びを感じるためには、親にもスキルが必要な気がします。子育ての「喜びどころ」を見逃さない。「喜びどころ」が分かると、苦しさを補って余りある喜びが得られるのかもしれません(タキビバやCo-musubiでもそういう喜びを共有する場面があります。誰かと一緒に喜べると嬉しさは増します)  例えば子どもが初めて立ち上がったとき、二

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #23

親子の間にある「対話めいたもの」② 「お面」を外して誰かとじっくり話すこと 人間は社会の中で生きているので、人生の多くの時間を、役割のお面をつけて過ごしています(前回#22の続きです)。  では、せわしない毎日の中で、お面を外した「素の自分」で過ごす時間はどれくらいありますか。  さらに、素の自分のままで誰かとじっくり話す時間をどれくらい持っていますか。  その場にふさわしいと思われるお面を四六時中つけて、「こうあるべき」ふるまいをし続けていると、どれが素の自分か分か

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #22

親子の間にある「対話めいたもの」① 「お面」をかぶったままでいると……  「対話」と聞くと、腰が引ける人もいるかもしれません(前回#21← の続きです)。かくいう私も、以前は「対話」というものに縁遠い生活を送っていました。初めてプライベートでオンライン読書会に参加した時、自分がどうふるまえばいいのか戸惑ったことを覚えています。  なぜ戸惑ったのか。考えてみると、何かの「役割」の「お面」をかぶることが日常になっていたからだと思います。例えば、仕事をするときは「取材者」や「編

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #20

「書く→対話→書く→…」がかなう もったいないイベント(習い事)前編 このほど、私の願いがかないました。  誰かにインタビューしたり、場を取材したりして文章を書いて読者に届けるという仕事を20年以上続けてきました。それは本当に意義深いことですが、構造として一方通行になるという宿命があります。  書いたものを読んでくださった人たちと対話をして、またそれを振り返りながら書く。そんな「書く→対話する→書く→……」という新しいサイクルが生まれたら、「書く」と「対話」が化学反応を

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#10 

 社会的な評価に縛られることのもったいなさ (10) ひとり一人の子育てがもたらす尊い力  前回(#9)、自分が思い込みに囚われて不安になっていたことに気づいた、という話をしました。突き詰めれば学校や学年も、もともとは人間が便宜的に作り出した手段だったはずです。でも、いつの間にか自分の中で目的のようになってしまっていました。そして、それに縛られて焦っていました。  親は、しばしばそんな状況に陥りがちです。例えば、テストの点数や偏差値、「〇〇大学合格」といった指標も、親の心を

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#5

(5)分かりやすい成果を最短で求めるのではなく 「これで私は子どもの手を離せると思った」  ヨーロッパでの留学体験プログラムの経験を高1のAくんがシェアしてくれたCo-musubiミーティング(#1参照)の話を続けます。  Aくんは、今回の経験の中で「英語の学び方が分かった」と話してくれました。  Aくんは自分自身が英語が得意でないと感じていました。プログラムのほかの参加者の中には英語を流暢に操る高校生もいたそうです。  そこでAくんは、ほかの人たちが話す英語を、それ

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#4

(4)手段を目的化してしまうことのもったいなさ 「こんないい話を聞かないなんて!」と親がイラっとする場面  「Co-musubiって何?」と知人などに聞かれると、正直言葉につまることが多いです。困ったあげく、「えっと、習い事ではなくてね、即効性を期待するものではないんだけど……」といった言葉が口をついて出てしまうこともあります。たぶんそれは、世の中にある習い事や塾の多くが、比較的短期間で成果を出すことを期待されているからだと思います。  Co-musubiの場で起きている

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#3

(3)親は誰もが新人。 情報の嵐が吹き荒れる荒野にポツンと立つ親たち  「親は、不安を起点にした子育てをしないほうがいい」    では、親は不安をどうやって取り除けばいいのでしょうか。言葉にするのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しいものです。子育てと不安は表裏一体のようです。 「どんな習い事を小さいころにさせておいたほうがいいの?」 「小学校に入るまでに読み書きを学ばせたほうがいいの?」 「そろそろ何かスポーツもさせたほうがいい?」 「中学受験はさせる? させない?

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#1

(1)「自由になること」の本質を体得した高校1年生のAくんの話 「うちの子もそろそろ習い事をさせたほうがいいかしら」   「不安を持っていると自由になれない」  Aくんが言いました。Aくんは、高校1年生です。    Aくんはこの夏、ヨーロッパを訪れ、短期の留学体験プログラムに参加してきました。その経験をCo-musubiの小学生、中学生たちにシェアしてくれるZoomミーティングが先日、開かれました。  Aくんは、スライドも準備して、自身の経験を分かりやすく伝えてくれます

井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#2

(2)子どもたちが「自分」を表現できる場が少ないというもったいなさ 親がしんどいのは「不安」起点だから?   「親の不安を起点にした子育てはしないほうがいい」と井上さんは言います。    その大きな理由は以下の2つです。  1つ目は、親自身がしんどい状態になってしまうこと。  2つ目は、子どもが育つときにはその環境が大事であり、親もまたその環境の一部だということです。分かりやすくいうと、親が不安起点で子育てをすると、それは子どもにも少なからず影響するのです。  高1のA