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「天の半分」映画「夏が来て、冬が往く」を見る(※ネタバレなし)。
広東省に住むチアニーは、結婚を機に家を購入するかどうかで恋人・ジーユェンと意見が合わず、彼からのプロポーズの返事を先延ばしにしていた。ある電話をきっかけに、チアニーは生家の家族と連絡が取れ、実父の葬儀へ参列することになる。初めて会う母、初めて会う二人の姉と弟。長女のウェンフォンは生家で過ごしてきたが、次女のシャオリーもまた養子に出されていたことを知る。
三姉妹は互いの心を癒しながら日々を過ごす。時折、チアニーは幼い頃の養父とのささやかな時間を思い出し、家族や家のことを改めて考え始めるが、母が自分を探したのは、別の目的があったことを知る・・・。
「女性は天の半分を支える。」と発言したのは毛沢東である。文化大革命の頃だ。続くのは「時代は変わった。男と女はみな同じである。男の同志ができることは、女の同志にもできる。」という言葉である。
家庭から社会へと進出が進み、今にも女性解放が遂げられそうな勢いだ。
世界経済フォーラムが公表した、2024年版グローバル・ジェンダーギャップ・レポート(世界男女格差報告書)では、調査した146カ国中、中国は106位である。半世紀以上前のスローガンからは程遠い。順位はヨーロッパが高く、アジアが押しなべて低い(ちなみに日本は118位)。
また国会にあたる全国人民代表大会の14期、出席代表に占める女性割合は、26.54%であり、党の指導にあたる政治局員24人中、女性は0である。
もともと政治スローガンに過ぎなかったのか、女性の労働力に期待しての発言なのか、バックラッシュがあったのか、経緯はよく判らない。
2024年公開の中国映画。現在の中国の家族のありようがよく判る。
映画に描かれる、男尊女卑の温床となるファクターのひとつとして、「一人っ子政策」がある。
「一人っ子政策」とは、中国が1979年から2015年まで実施していた人口抑制政策である。ほとんどの家庭に対して、子どもを1人だけ持つことを求め、違反すると罰金やその他の制裁が科せられる。
背景には、人口が急増し、経済発展や社会インフラの整備が追いつかないことへの懸念があった。人口増加を抑える手段として採られた。
都市部では、原則として一人の子供しか認められない。農村部では二人目を許可される場合もあったが、それには条件が付いた。
政策違反すると、罰金やその他の経済的なペナルティが科せられる。また、二人目の子どもの場合、教育や医療などで、政府の支援を受けられないこともある。
政策の実施により、中国の人口増加率は減少したが、同時に高齢化が進む。また少子化が進むことで、労働力人口が減少し、経済成長の継続が難しくなる。
男の子を望む傾向が強く、性別選択的中絶や育児放棄が頻繁に起き、男女の人口比に偏りが生じた。親が過度に子どもに期待をかける傾向も生じた。
政策は2015年に正式に終了する。その後は二人っ子政策が採られ、2016年には三人っ子政策にとって代わる。さらに最近では出生制限の撤廃が議論される。
劇薬のような施策をとれば、その副作用もまた強烈である。影響はさまざまだろう。家庭の数だけ、その現れ方が異なる。
養父に育てられチアニーが、生家に戻り、父親の葬儀を通じて、感情にさざ波が広がるが、生家や養父に対する思いを新たにし、さざ波は収まりを見せる。そのとき、もはやチアニーは以前の彼女ではない。
全然関係がないが、この映画を見て、母親が養女であったことを思い出した。子供のない夫婦の元に引き取られ、やがて下に弟ができる。生まれたのか、また迎えられたのか。
弟は、出かけた先で事故に会い、大人になることなく亡くなった。
母親は、弟を失い、養父を看取り、養母とともに暮らし、結婚して、子供を設けた。私である。
さらに養母を看取った。
実の親に会いに行くと、話していたことが一度あった。折り合いの悪い母親と息子だったので、その経緯や結果は知らない。
母親の胸中にはどのようなさざ波が広がったのか、聞く機会はもうない。
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