穀雨 第18候・牡丹華(ぼたんはなさく)
牡丹や文目が咲くともう夏だ。
「あなた、牡丹は赤じゃなきゃ だめよ」と長年バルコニーのお庭をお手入れさせていただいているお客様に言われたことがあった。別の場所にあった牡丹を随分前に移植して自宅のバルコニーに欲しいと言われたことがあって、以来その2株だけだったので、珍しいと思って黄色い牡丹をお持ちした時だった。
言われてみれば「牡丹」という名前には「丹」が入っていて赤なのだ。クラシックなものは襖絵の唐獅子牡丹にしても、赤か白と相場が決まっているのだろう。丹は赤は赤でも、鉱物の赤だろうから掘り出された瞬間の輝くような赤ということなのだろう。
牡丹は唐代に爆発的なブームとなった花だという。主に洛陽界隈で園芸品種が多く作出された。艶やかさ、豪華さ、香しさ、佇まい、薬効、、、見れば見る程見事なもの。以来「花王」とか「富貴草」などと呼ばれている。
「花妖」という言葉がある。花の妖(あやかし)である。清代の『聊斎志異』などによく出てくるが、花の精が人となって人間の男と情を交わし合う。牡丹の精はこの世のものとは思われない肌や指の柔らかさ、色香、声、優雅さふくよかさや微笑みを持って まったく麗しい女性として描かれる。花はそもそも精でありスピリットであり、性でも生でも聖なるものでもある。
蕪村に牡丹の句がある。
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片
牡丹切て気の衰へし夕かな
閻王の口や牡丹を吐かんとす
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
艶やかな牡丹 花の王たる牡丹 炎のような牡丹を 面影で一層際立たせる。
お客さんのバルコニーの牡丹も 穀雨の雨に打たれ、咲き散った白い牡丹の花びらは白いタイルに重なって残っていた。薄い脱皮した皮膚のようだった。
赤い方の牡丹の花びらは一枚もなかったから 牡丹が好きだった無きご主人のお仏壇か居間に飾ったのだろう。奧さんにとって赤い牡丹は先年亡くなったご主人の面影と重なっているのだ。
牡丹は「ぼうたん」とも呼んだらしい。漢字をそのまま読めばこちらの方が正しい感じがする。
牡(オス)という字がどうもちょっと不思議だけど。