進撃の巨人 考察1 なぜ始祖ユミルは解放されたか?

進撃の巨人の最終局面は怒涛の展開であり、ついていくのがなかなか大変だったと思います。私も数度読み返してようやくうっすらと理解したところです。進撃の巨人は何度読んでも新しい発見があって名作だと思います。皆さんにもこの良さを共有すべく、私の理解を以下で述べておきたいと思います。

以下、最終巻までのネタバレを含みますのでご注意ください。

物語あらすじ

まずは、簡単にあらすじを。
巨人の力は、2000年前に始祖ユミルが「大地の悪魔と契約」あるいは「有機生命体の起源と接触」したことにより手に入れたものである。
そして巨人の力を始祖ユミルの血族が継承することにより現在まで受け継がれている。彼らは、「ユミルの民」あるいは「エルディア人」と呼ばれている。彼らが巨人の脊髄液を摂取することにより巨人の力を得ることができる。
始祖ユミルは初代エルディア王に奴隷として扱われていたが、彼を愛していた。このため、彼女の死後も王の血を引くものの命令を聞き、巨人を異世界で作り続けていた。この異世界は「道」と呼ばれる。
始祖ユミルは、この「道」の中で孤独に巨人を作り続けていたが、自由を求めて苦しんでおり、解放されることを望んでいた。そしてその解放者がミカサである。
最期は、始祖の巨人の力を手に入れて世界を滅ぼそうとしたエレンをミカサが殺すことで始祖ユミルの愛の呪縛が解け、巨人の力がこの世からなくなった。

ここで疑問となるのは、なぜエレンを殺すことが始祖ユミルの解放につながるのかということだ。

愛の苦しみとは

改めて愛の苦しみがなんであったか確認することとしよう。
始祖ユミルはエルディア王を愛していた。しかし、エルディア王は始祖ユミルを愛していなかった。30巻の回想シーンでは、身を挺して王を助けた始祖ユミルに対して王は「奴隷ユミルよ、起きて働け」とおよそ愛とはかけ離れた言葉をかけている。これに絶望した始祖ユミルは、自らの意思で死を選ぶも、「道」にて復活し、働き続けることとなる。
また、34巻でも、子を抱く始祖ユミルを無視して他の女性と楽しげに話している様子が描かれている。
このように、愛されたかったがために献身的に振る舞う始祖ユミルであるが、結局王の愛は得られなかった。しかし、愛を諦められない始祖ユミルは、死後も王のために巨人を作り続けた。愛されたいが故に。
これが、愛の苦しみ=愛の呪縛である。

始祖ユミルが救われるには?

始祖ユミルが救われるには以下の3つのいずれかが必要であったように思う。

1. 愛を諦める
2. 王に愛される
3. 愛を乗り越える

始祖ユミルと王は既に死んでいるわけだから、ミカサの行為によって始祖ユミルの考えが変わらないことには始祖ユミルは救われない。
作中の表現を見ながら検討してみよう。

愛を乗り越えた始祖ユミル


1は、始祖ユミルが実は王を愛していなかった、と気づくことである。つまり、ミカサがエレンを憎んで殺すか愛の象徴として描かれているマフラーを手放すことである。しかし、ミカサは、エレンに明確に嫌いだった、と言われた後も、エレンを殺すことを躊躇していたし、マフラーを手放すこともなかった。
だから、この結末は否定される。

2は、実は王が始祖ユミルを愛していた、と気づくことである。ミカサはエレンに嫌いと言われているわけだから、これを否定してエレンを信じる必要がある。最終巻でアルミンと対話した回想シーンの中で、エレンがミカサを愛していることを語っている。しかし、ミカサには秘密にしてくれ、と言っていることから、同様の内容はミカサには語っていないようだ。それに忘れている。

3は、始祖ユミルが王に愛されなかった事実を受け入れ、それを乗り越えることである。始祖ユミルは愛されたいが故に王の身を守り自分が死んでしまった。だから、これを乗り越えるには、愛を抱きつつも王の死を受け入れる必要がある。
そうすると、ミカサはエレンに否定されつつも彼への愛を貫き、最期は自らの手でエレンを殺す。これにより、ミカサは始祖ユミルに新しい愛の形を示すことができ、それを知った始祖ユミルは成仏することになるのだ。
ミカサは、最後まで選択を迷っていた。それが頭痛となって現れていたのではないだろうか。ミカサとエレンが小屋で隠れて暮らすのは違う世界線の、ミカサの選択によってはあり得た結末を示唆しているのではないかと思う。

まとめ+

以上が私の考察だ。
特に新しいことはないが、考えをまとめることができ、少しスッキリした。
しかし、違和感が残る部分もある。
本当にハッピーエンドだったのだろうか?
別記事でその辺を踏まえて考察を深めたいと思う。

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