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認知症の母の介護に行く前に読むことをオススメする本


母は、認知症。


わたしの母は認知症です。介護レベルでいうと要介護1の状態。
独居、兄とふたりで週に3~4日介護に行きますが、基本ひとりで暮らせてます。


朝日生命より参照 介護レベル



わたしの仕事は主に、

   ・買い物
   ・掃除
   ・洗濯
   ・ゴミ出し
   ・消耗品の管理と購入
   ・衣替えなどの季節の管理
   ・整理収納全般
   ・食事の介助
   ・風呂の介助
   ・ねこのお世話

大半は、得意分野www 多分、ヘルパーさん頼むよりも短時間で細やかなレベルまでできているのではないかと兄にも言われてます。

買い物や病院への同行や介護ヘルパーさん達との連携など業務は、兄が担当してくれているので大変助かってます。母もまだ暴れたり、暴言吐いたりするようなレベルではなく、比較的素直に忘れてるだけなのでこれまたプラス要素。

兄妹、ふたりそれぞれの訪問後はラインで今日のできたことや、気になることなどを写真と共に送り報告し合ってます。これが、全部ひとりでみなくっちゃならない💦 状態になったら想像しただけで、それはそれは大変なこと💦現状の状態をキープできていることに感謝してます。


だけれども、時に自分のバランスが悪い時、時間が無いと感じてる時などはそんな母の介護もイラつくことも。特に、色々と触りどっかに放り込んでしまう癖には手を焼いてます。引き出し開けたら、白米がお皿に盛られてあったり、介護申請に必要な書類がなくなっていたり・・・。


中でもわたしがイラつくのは、猫は白米や人間の食べる味の濃い副菜なんかは食べないと何度言っても、「ねこが食べないのぉ~」と白米がテーブルにいくつも盛られている状態。「ちーちゃんは白米もおかずも食べへんゆうてるやんっ!?」とついつい声を荒げることも。



床にもある、ねこ用白米ご飯。


冷静になれば、どうってことないことなんですけどね。わたしのバランスがなってない時はそんなことでもイラッときてしまうわけです。その他、母がしたことなのにすっかり忘れて、誰かがきてやった説や、誰かが盗んだ説をタラタラと話す。誰がそんなしょうもないコトするねん、そんな母との同居を余儀なくされているちーちゃんに「ごめんなぁ、いつも側に居てやってくれてありがとうなぁ。」と言いながらちゃんとしたちーちゃん用のご飯をあげ遊んであげることでご機嫌をとる日々・・・。



ちーちゃんと遊ぶのも訪問時のお勤め


他責の人


母は、脳が健康な時からの癖なんでしょうか【何事も自分にとって不都合なことは、他責にする人】だったので、今の現状でも、他人の性にしている言動をみると余計にわたしの奥深くに育っている怒りのスイッチが入ってしまうんですよね・・・。で、母もわたしに怒られて「あんたは、もっといい人やと思ってた。」なんて娘に対してしっかりと言い放つんですが、本人はすぐ忘れるのでケロッと忘れていつも通りのペース。


幸いわたしも、そこまで怒りが長く続くタイプでもないので、その場はいつも通りに介助仕事をこなしつつ母とちーちゃんのお世話をしているんですが・・・問題はここから。

帰り道から、自己嫌悪に陥ります。

「なんて、意地が悪い人間なんだ・・・」
「もっと優しい言い方ができたんじゃないか・・・」
「認知症やししゃぁーないやんか・・・」
「そんなに怒ることでもなかったやろうに・・・」
「あれが、お客様やったり友人の母、例え知らない人でも、絶対にそんな言い方はしない。」


正論や肉親への甘えを盾に、母に対して意地の悪い攻め方をしている自分が嫌になる。



自己嫌悪に陥る


この本を手に取った理由



わたしにとって母宅への訪問は、極めて精神環境に悪い職場です。


客観的に自分をみると、私自身認知症についてもある程度知っているつもりだけれど、理解までいってないんだと思います。

どうしたものか?

と考えて前から介護系で話題で気になっていた書籍を手に取り読んでみることにしました、それが今回の書籍。



認知症世界の歩き方



認知症患者100名とサポーターの方にヒアリングし、認知症の方の見え方や考え方を照合させ健常者にもわかりやすいように解説されています。

読んでいてなんとも不思議な感じに伝わるのは 認知症患者自身ならば、こんな納得いく説明はできないハズなのに、それはまるで認知症になる前の様に、自分の認知症体験感をリアルに話してくれます。


なるほど、こんな感じに見えるのね。
カードをめくる感覚で一瞬にして、さっきの内容は忘れるのね。
見えないということは、無いということに等しいのか。
覚えてないから、どんだけわかりやすいところに置いてても元には戻せないのか。
幻想が見える、聞こえる、話ができる、体験してるんだな。
情報の整理が遅いため、現実での会話についてこれない、テレビをみてもつまらなくなってみなくなったんだ。

やまぐち頭の中の声



本の内容と、母の認知の症状と重ね合わせることでわたしの中の理解が体に染み込み深まる感じがしました。


母は、ひとりで旅に出ている。



行先もわからぬひとり旅



母は、まだ私や兄の顔と名前を記憶し、情報の引き出しもスムーズに行っていますが認知症が進めば、コミュニケーションも難しくなってくるのやもしれません。いつまで独居暮らしができるのかも今のところ誰にもわかりません。

母は、いつまで続くかわからない、行き先不明の「ひとり旅」をしている状態なんだなと、この本を読みながら感じます。



朝日デジタル8/29の記事より参照



今の認知症レベル母が、完全におひとり様の方だったら?

 

たまに想像します。きっと片付けも掃除もできず、買い物もままならず、家の中には腐った食物や汚物が溜まっていき捨てられず放置され続け、何も対処できず、また何もしたいとも思わないし、思いもつかないため、誰かに相談するということもせず、劣悪な住環境の中で誰にも気づかれることなく愛猫を道連れに孤独死していただろうなと思います。


この人は、幸運だったんだな。


本当にそう思えます。

ある日の母の朝食


プチトマトを一粒口に含んでは、

「わぁー美味しい、これなんていうの?」
「こんなの食べたことないわぁ~」
「こんなのどこで売ってるの?」
「もう1つ食べていい?」

「このまるいのなぁに?」

これ、どこまで続くんやろうか?と段々と笑えてくるんですが
そんなエンドレスな会話をしながら週末、母の家に通い介護。


いつも、母の家へ訪問する際は「今日は、意地悪な人にならないぞ。」と自分と約束をしていきますが、なかなか約束を守れずにいました。けど、この本のお陰もあったのでしょうか、この2週間は母の家を訪問しても自分が嫌になりません。



今日も、笑顔で訪問できた。
やってあげたかったことができた。

例え、良かれと思ってやってあげたことが不発や不評に終わったとしても
「えらいぞ、わたし!」と自分を褒めてあげれてます。


精神環境劣悪な職場も、相手の見えているものを知ること改善される。

まだまだ未熟なわたしが、介護生活をストレス軽減しながら前向きに続けられるのは、幼少期からずっと高圧的で心底大っ嫌いだった母が実は、子どもの様に素直でかわいい人だったんだと気づけたことと、兄が誰よりも一番母の介護に対してがんばってくれていること、そして精神的に疲れて帰ってくるわたしを受け入れて気遣ってくれる家族や、包んでくれる家庭環境がわたしには在るということ。


かなり大きな要因です。


母は体力的にも元気で健康体で、食欲も旺盛。そう簡単にお迎えはきそうにありません。なので、これからも母の長い旅路はつづきます。そんな母や愛猫のお世話が「チーム家族」でできるその日まで、笑顔で認知症について学ばせてもらおうと思います。

ありがたいことに、母の介護や認知症の学びを通して、自分の仕事分野である片付けの領域で、認知症の方の収納づくりのポイントを得ることができました。ほんと自分でいうのもなんですが、ただでは転びませんwww きっとこれからも気づき深まると思います。


また、それらはいつかお話したいと思います。


目下、介護で精神的に辛くなってる方にやさしい、オススメの書籍です。
これから介護に向かわれる年代のご両親がおられる方にも先読オススメですよ。ご興味あれば、是非手にとっても一読してみてくださいね。

オススメです

Ameblo: 認知症の方の収納について考える↓↓↓
https://ameblo.jp/comorebi-biyori/entry-12865076899.html



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