見出し画像

出会えてよかった本のうちの1冊

コロナで世界が視界がきゅーっきゅーっとズームインしたように焦燥感ばかりが続く毎日。わたしの中にしょっちゅう生まれるモヤモヤが消化不良を起こしている。どう解消したら良いか分からないからきっと手当たり次第に本を読んだり、ある意味もがいているんだと思う。

こういうモノの見方や考え方に賛同できる。という本に出会えた気がする。こういう本を読むともっと学生時代にふらふらとする時間を持つべきだったという感情が湧き上がってきそうになる。

が、瞬時にわたしの中の「後悔撲滅」と書かれたハンマーがそれを叩き割る。ちょっと怖い表現だが、これがわりと1歩前へ踏み出すことへのトリガー退治に役立っていて、我ながらよく鍛錬されてきたな、と感心する瞬間でもあり、これだけ客観視ができるようになっている自分にも驚く瞬間でもある。

「ふらふら」というと否定的にとられがちだが、そうではない。つまり、自由に創造的に考えたり、本を読んだり、あても時間も気にすることなく旅したりする時間、何かに熱中する時間を費やすことを言いたい。

これだけのコンパクトサイズの本であることにやはり頭の良い人は構成の仕方、まとめ方、表現の仕方、伝え方に長けているな、と思わされたが、「〜学」というと構えてしまうわたしなどにも全く威圧感のない本であった。

2011年の東日本大震災のあと、被災地に送られた大量の物資の話はわたしも震災後現地に訪れたものとして自分なりに様々な分析をし、捉え方をしていた。この点においてのモヤモヤも解消されたように思う。

特に心が反応したキーワードを挙げておきたい。

「分断」「贈与」「見てみぬふり」「わたしにできること」「バランス」「価値をつくりだし、意思決定しているのは無数のわたしであり、あなたである」「国家とのつながり」「つながり」「コーヒー」「感情/共感」「文脈に寄り添う」「はみだす」「力と力の拮抗」

学生時代のことを振り返り、「熱だけ」、とあるがもしかすると生きる上でも最も大切なものかもしれない。

Non c’é fine. Non c’é inizio. c’é solo l’infinita passione per la vita.
終わりというものはない。始まりというものもない。人生にはただ無限の情熱があるだけだ。映画監督:フェデリコ・フェリーニ
自分自身の成功への情熱と呼べるほどの強い思いが、成功への鍵である。
稲盛和夫

うしろめたさの人類学

もしかすると他のモヤモヤも解消してくれるのでは?という淡い期待感から、著者の他の書籍も機会を見つけて読んでみたい。とも思うが、これを手元に置いて、都度読み返したいとも思う。

何度も記ししつこいようだが、ここ(note)で記しているのはあくまで「わたしは」である。

*追記*こういうのもあった。

ずぶの素人だが「こういう意味深い映像のナレーション、一度でいいからやってみたい」というとてつもない願望が込み上がってきた。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集