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呑みの合間の、優しいスープ

そのお店は、もう、ない。
ずいぶん前になくなってしまった。

そこは、わたしがまだお酒の味を覚え始めたころに、ずっと通い続けていたお店だった。

東京の下町の某所、ちょっとわかりづらいところにあったその店は、大将がツテを使って仕入れる珍しくも美味しい日本酒と、それらに合うよう丁寧に作られた酒肴、女将さんの優しい接客が売りの、割烹居酒屋。

通い始めた当初は、日本酒の味なんてぜんぜんわからなかったけれど、いろいろとアドバイスをもらって少しずつ体験するうちに、だんだんと「自分の好み」がわかるようになっていった。

そうやってわたしは「日本酒って美味しいんだ」ということを覚えた。

顔なじみになって、常連になって、「いつもの」が出るようになって。

もともとは居酒屋ではなく、江戸前の海鮮、鰻やどじょう、貝料理を得意としていたお店で、近くのお寺やお墓に詣でる人たちに直会や会食の機会として、お昼に懐石を出していた…ということを、大将と女将さんとの会話で知った。
店の奥にあったけれど、すでに使われていなかった大きなお座敷は、その名残だったらしい。

いつもだいたい頼むものは決まっていて、野菜餃子に鰻の白焼きに鶏もも肉にとき玉子をつけて焼き上げた「もも焼き」に天ぷら盛り合わせに…。
そして、その時の「おすすめ」があればそれも追加して…。

というスタイルだったのだけど、ある時、女将さんが「お酒の合間にいいのよ」と、サービスしてくれた一品があった。

それが「野菜出汁のスープ」だった。

以前の会食があった時期に使われていたらしい塗りの大ぶりなお椀に入った、大根、人参、玉ねぎ、ちょっとの青菜が具材の、きれいに透明な塩味のスープ。

料理する際に出た端切れを使ったのか、野菜の形は不揃いだった。

「お野菜のおつゆよ。お野菜のお出汁だけで作ってあるの。体にいいから、お酒の合間に飲むのよ。」

確かに、そのまんまの味だった。
塩味は感じるか感じないかほどの、はんなりとした味付け。

でも、それがなんとも。
なんとも、美味しくて。

「はぁ〜〜〜〜〜〜」っとため息が出てしまうくらいだったのだ。

野菜出汁の美味しさを知ったのは、その時だと思う。

根菜がもっている、土の香りとやわらかな食感。
玉ねぎのじんわりとした甘みと、とろみがありつつもシャクッとした歯ごたえ。
彩りの青菜のさわやかさ。

数十年後の今でもその味をハッキリと思い出せるくらい、印象に残った一品だった。

思わず「どうやって作るんですか?」と訊くと、女将さんは「野菜を水から静かにコトコト煮出して、お酒を少しと塩で味付けするだけよ」とこともなげに答えてくれた。

実際に作ってくれたお鍋も見せてもらった。
行平の中に、食べた通りの具材が透明な汁に浮かんでいるだけだった。

若さにまかせて、脂っこいものはもちろん、ジャンクもたくさん食べていた時期で、舌も今よりずっとぼんやりしていたはずなのに、あの美味しさはキッチリと記憶できている。

その数年後、大将が体を壊したことをきっかけに、お店はなくなってしまったけれど、あのスープの作り方を訊ねておいたのはよかった、と思う。

もちろん、いつも頼んでいたものに加えて、他にも季節の美味しい酒肴はたくさんあったが、わたしにとってはあの一品が特に印象深い。

ああ、疲れた…と思った時や、体がしんどいと思った時に、きっと飲みたくなる味なのだと思う。

ここ数年、自分の料理がどんどんシンプルになっていることを実感していているところに、自然療法の本を読み出して、ふと、あのスープのことを思い出した。

あのスープには、自分が作る料理の原点のひとつがあるのかもしれない。

作り方
大根・人参・白菜・キャベツ・玉ねぎ・長ねぎ・カリフラワー・じゃがいも・セロリなどの端切れを適当な大きさに刻み、たっぷりの水から弱火でコトコト煮出す。
小一時間ほどして出汁が出たら、酒少々と塩で味付けしてできあがり。水分が蒸発して足りないようなら、好きなように足して調整する。
あれば青菜を少々、刻んで彩りにする。長ネギの青いところや手持ちのハーブでもいい。
 
根菜の皮はよく洗い、皮をむかないで使う。
色がつく野菜(ごぼう、赤玉ねぎ、色が濃いきのこ類など)は入れないほうが、スープがきれいな透明に仕上がる。氣にしない場合は使って大丈夫。れんこんを使うときは、酢水に少しさらしてから。
カリフラワー、大根、玉ねぎは出汁が良く出るのでおすすめ。


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