今日で湯布院に移住して、12年が経ちます。 来た時には3人家族だったのに 今は倍以上の7人家族。驚 住み慣れた東京を離れ、夫の故郷である大分県で 夫婦で事業をスタートする。(当時3歳娘+妊婦) 未知の世界に飛び込みました。 無事に今があるのは、本当に沢山の方々の ご厚意や激励、応援や支えがあってのこと。 今日はそんな節目に気持ちの区切りとして 近況報告や、心境など、、、 みなさんにお伝えしたいことを書きます。 まず今朝の朝焼けと、真昼間の由布岳の写真。 1日の中で、
田植えシーズンの湯布院です🌾 お店の目の前が田んぼなので、 現在の場所に移ってから9年間 年間通してその流れを、拝見しております。 毎年毎年、休む間もなく働く田んぼ。 それを適切に扱う人々。 ただただ、圧倒されます。 当然のことながら ずっと続いているので、 「今年は冬が寒すぎたから」 「梅雨が短いかもしれない」 「夏は暑くなりそうだから」 そのすべてを予測したり 分析しながら次の準備をする。 何年も何年もの積み重ねで 美味しいお米ができるんですよね。 農作業をし
東京から大分に来てからというもの、 「なーんもないよ」という言葉を 数えきれないくらい、聞きました。 たしかに、湯布院の町には マックもスタバもなければ つい最近までダイソーもなかった。 こどもたちだけで行けるような カラオケもゲーセンもないし まともな遊具がある公園すらない。 ちょっとした衣類を買う所もなく 若い人が行く美容室もない。 本当に、’ないないづくし’ で 生活の面だけを考えたら めちゃくちゃ不便な町です。 しかし、都会にはないものが沢山。 のどかな田
「何で湯布院だったんですか?」 これはスタジオをオープンしてから今まで、 ご利用頂くお客様から何度も聞かれた質問でした。 なぜなら主人は大分市の出身で、私は東京。 湯布院という有名観光地に縁があるわけではなく 大好きすぎて通い詰めていた ということでもなかったからなのです。 もちろんきちんとした理由がありますが それは以下の3つになります。 1. こどもたちを自然の中で遊ばせたい こどもたちの自然な笑顔を引き出そうと思ったら、 狭い部屋の中に居るより走り回れる広場の
2012年9月 生まれ育った東京、 住み慣れた恵比寿を離れ、 主人と娘と家族3人 大分県に引っ越して来た私たち。 お腹の中には長男が居て、 ひどいつわりがある中 慣れない土地での生活に 少し戸惑いながらも 楽しみながらのスタートでした。 東京では電車生活で ほとんど車に運転をする 機会のなかった主人が ぐねぐね山道を抜けて 最初に連れて来てくれたのは、 日本とは思えない 雄大な光景の道中にある 由布岳登山口。 あまりに壮大な眺めと、 心の奥の奥の方まで 落ち着くその