不登校の息子の記録1


不登校という言葉は私自身にとっては馴染みのモノだった。
小学校のとき、不登校の親の会?みたいなものに
自分の親が関わっていて(自分は不登校ではない)
そこに来ている何組かの家族と家族ぐるみで仲良しだった。
住む場所も学校も違ったので友人たちが
「不登校」であることは知っていたけど
なぜなのか?とか、そんなことも知ったこっちゃない。
でも、その不登校の友人たちとわたしは本当に仲良しでよく遊んでいた。
だから、幼い私には不登校というコトバは特に問題がわからないくらいのもので、たいしたものでは
全然なかったのだ。

子育てをし、子供が学校に通うようになって
改めて不登校について考える場面は何度かあった。
そしてついに2024年10月
中1の息子が学校に行けなくなった。

「学校行けない」とかではなく体調不良を訴えてきたので
「いや、野球行ったやん。そんなんで休みが続くのはちょっとどうかと思うよ」
なんて言ったりして
最初は2.3日様子をみるかな、と思っていた。
次の日も、次の日も朝「どうする?」と聞くと
表情がくもり、口が開かなくなり
4日目くらいになると涙がポロポロでてくる。
お。これはやばい。
本気で心が疲れてるやん。
となり、心行くまで休んでくれとシフトチェンジ。
そこから始まった息子の不登校。

結論でいうと、転校した。
そして、心から楽しんで毎日を過ごしていて
「早く学校いきてーーー」とまで言う。
息子の不登校はちょっと特殊かもしれない。
だけど、きっと誰かの役に立つかもしれない。
子供側か親かはわからんけど。

親が子どもにできることなんて
中学生にもなるとほんとに少ししかなくて。
でも気づいた
「選択肢をあげること」
これしかないんじゃないかと思っている。

息子に「学校」に行くか行かないかだけではなく
zoomか、保健室登校か、フリースクールか、
〇〇中学校か、〇〇中学校かと選択肢を用意した。
親が「学校に行かせたい」というより
本人が「学校に行きたい」という気持ちが大きかったからできたことではあるんだけど。

〇息子のおかれていた環境
〇中一で始めた野球が運命をかえる
〇息子不登校の原因
〇不登校のあいだ勉強はどうした?
〇選択肢として
〇転校の日のこと
〇給食うどんだし休みたくない
〇勉強たのしいかも
〇自分で人生を変えた息子

こんな内容で記録しています。
批判を浴びる可能性もあるし、不快に思う方もいらっしゃると思うのですが
文章を書くプロでもなければ
不登校について学んでるわけでもありません。
ただ、リアルを記録しておきたい。それだけです。
ご理解のある方のみ、よろしくお願いします。

あわよくば
息子の勇気ある行動が、息子自身を変えたこと
家族で涙した日のこと、
息子のパターンは稀かもしれないけど
この経験がもしかしたら不登校で悩む誰かの小さな希望に。
生きる希望になってほしいと願います。

〇息子のおかれていた環境〇
ここから先有料記事を含みます。
彼や周りの人のプライバシーもあるので
本当に興味のある方だけ見て下さればと思います。
まずは息子の在籍していた学校の話です。
どんな地域のどんな学校だったかなんて
これを読んで下さっているみなさんには
どうでもいいことだと思いますが
息子が学校にいけなくなった原因の根幹の部分に
この学校の環境(おかれている状況)が深く関わっています。
なので、コレを話さないことには話が進まないといった感じです。

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