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【自己実現的人間】自分だけの時間がもたらす真価

Amazon などを見ていると、とても多くのマズロー関連の書籍が出版されている通り、彼の欲求五段階説については既にご存知の方が多いと思います。

確認しておけば、エイブラハム・マズローはアメリカの心理学者で、特に人間性心理学の提唱者として知られています。彼は、精神病理学を重視する精神分析や、行動主義心理学とは一線を画し、自己実現や人間のポテンシャルに焦点を当てた「第三の勢力」としての心理学を発展させました。

そんな彼の最も有名な理論の一つが「欲求五段階説」であり、マズローは人間の欲求を、以下の五段階に分けて構造化しました。

第一段階:生理的欲求(Physiological Needs)最も基本的な欲求で、食事、睡眠、空気、水など、生存に不可欠なものを求める欲求

第二段階:安全の欲求(Safety Needs)身体的・経済的な安全や、健康、安定した環境を確保したいという欲求

第三段階:社会的欲求・愛の欲求(Social Needs, Love and Belonging)他者とのつながりや友情や愛情、家族などの所属感を求める欲求

第四段階:承認・尊重の欲求(Esteem Needs)自己承認欲求などの他人からの尊敬や自己肯定感を求める欲求

第五段階:自己実現の欲求(Self-Actualization)自分の潜在能力を最大限に引き出し、自分らしさを追求する欲求


この説は、肌感覚にとても馴染むこともあって、爆発的と言っていいほどに浸透したわけですが、 実証実験ではこの仮説を説明できるような結果が出ず、未だにアカデミックな心理学の世界では扱いの難しい概念のようです。

マズローは、欲求が段階的に満たされることで次の欲求が現れるという、欲求のレベルが低次から高次にかけてシーケンシャルに不可逆に上昇していくという仮説を唱えており、これらは一般的にピラミッド構造の図式で解説がなされることで知られています。

しかし、功成り名を遂げた少なくない成功者が、セックスやドラッグにハマっていく様を知っている我々からすれば、「自己実現の欲求が満たされたら、またセックス=生理的欲求に戻っているじゃないか」というツッコミを入れたくなるわけで、少し考えただけでもこの理論には無理があることがわかります。

実際に彼自身、最初に提唱した理論が一部の状況ではうまく機能しないことを認め、生涯にわたってこの理論に修正を加えているのですが、では「修正しているの?じゃあダメなんじゃないの?」と安易に受け流してしまうのは早計です。理論に妥当性があるから修正を繰り返しているわけで、その妥当性が認められているからこそ、今日でも多くの出版物があるわけですよね。

というわけで本記事の前半では、マズロー信者の方々の期待にもお応えするという観点までをも鑑みて、自己実現欲求というのは到達することで達成・満足するものではなく、生理的欲求や安全欲求などが満たされた後に出現する「成長を求める欲求」という側面に着目してみたいと思います。

この成長欲求は、個人が自己の可能性を最大限に引き出し、自分らしさを実現することを目指す、欲求の階層説における最高次の欲求であり、もちろん提唱者のマズロー自身が自己実現を「成長欲求」として述べています[1]。

ただし、マズロー自身はこの「自己実現=成長欲求の段階に達した人は世界で約1%程度しか存在しない」と考えていたようで、彼がその名を挙げた人物としては、相対性理論のアルバート・アインシュタインや、アメリカ第16代大統領であるエイブラハム・リンカーン、インド独立運動の指導者であるモハンダース・ガンディーなど、その名を聞くだけでも「私たちに彼らの真似は無理です」と言わざるを得ないようなビッグネームばかりです。

では、私は「私と一緒に、リンカーンのような立派な総理大臣になることを目指しましょう!」などと、そんな荒唐無稽なことを申し上げたいのか?

もちろん、そうではありません。

彼らは、それぞれの分野で他者の期待や社会的な制約に縛られず、自分自身の価値観に基づいて行動し「結果として大きな影響を与えた人物」なのです。ですからマズローは、私たち一般人にもわかる人物を挙げて研究をした、という言い方ができるかと思います。

そしてマズローは、そんな自己実現を成した=成長の欲求を追求し続けられた個々の特性を分析し、共通する「十五の特徴」を見つけました。以下のリンク先に詳しくまとめられていますので、お時間がある方はご自身と照らしてみることで、多くの気づきが得られると思います。


しかし、私と同じ多くのビジネスパーソンは「独学ブームが巻き起こっていることはわかっているし、自分だって成長したい。しかし、時間がないんだ」と、仰られることでしょう。

確かに毎朝、満員電車に押し込まれ、スケジュール帳は会議や締め切りでぎっしり詰まっている――そんな多忙なビジネスパーソンにとって、「成長の欲求」を求める余裕がないのは無理もありません。

だからこそ、小難しい理屈をイチから正しく理解することを目指すよりも、忙しい私たちにとってマズローの概念は「何がどう役に立つのか?」といったエッセンスを抽出し、そこから「どうすれば成長の欲求を追い求めるための余裕を捻出できるのだろうか?」と、考える契機にすることが重要なのだと思います。

ちなみに私個人としては、十五項目の半数以上に「実践的な教訓が詰まった箴言」を見ているわけですが、しかしながら皆さんは私よりもお忙しい。

ですから本記事では、リンク先の中から「10. 対人関係」と「15. 超越」という二つをピックアップしてみたいと思います。

ということで早速一つ目の「対人関係」について、マズローによれば自己実現した人々は、多くの知人を持つよりも「少数の人との、深くて意味のある関係を最も重視している」と言うんですね。彼らは親しい友人や家族との絆を深めることを大切にし、表面的な付き合いにはあまり関心を持ちません。

人気マンガ『キングダム』でお馴染み、紀元前の中国「春秋戦国時代」における有名な諸子百家の一人、道家の大哲学者である荘子が、次の言葉で同様のことを述べています。

君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと醴の如し。
君子は淡くしてよって親しみ、小人は甘くして以て絶つ。
彼の故無くして以て合う者は、則ち故無くして以て離る。

『荘子』山木篇より


これは君子(くんし)と小人(しょうじん)それぞれの、対人関係についての違いを述べた箇所として非常に有名な言葉ですが、簡単に説明すれば、

  • 君子(徳を備えた人、立派な人)の交わりは、水のように淡々としているからこそ長く続く。淡白であっても互いに親しみを感じることができる。

  • 小人(品格の低い人、自己中心的な人)の交わりは、醴(れい)つまり、蜜のように甘くベタベタしているがゆえに、やがて絶える。甘く感じても、その関係は表面的であり決して長続きはしない。

という意味です。

この対人関係における教訓は、深い友情や徳のある人間関係は、表面上の甘さではなく、むしろ穏やかで持続的なものであるべきだ、ということを示しています。

私たちが成功者に抱くイメージというのは、広く社交の場に出入りした顔の広い人物で、交友関係を特に大切にするといったイメージを持たれると思いますが、マズローによればこれはどうもそうではないらしい。

そして二つ目の超越について、これは文化や環境からの「独立性」についての共通点が見られたという報告です。マズローによると、自己実現者は、自身の価値観や信念に基づいて行動し、「社会や文化の期待や規範に盲目的に従うことはない」。彼らは外部の影響に左右されず、自分自身の内的な指針に従って生きるという傾向が見られた、ということがわかったそうです。

「前任の一万円札の顔」でもあり、慶應義塾の創始者である福沢諭吉は、自ら立ち、自らを尊ぶ、という意味の言葉を「独立自尊」という理念として掲げました。他者や社会に過度な依存をせず、自分自身の力で生き、自分の価値を認めて尊重することを強調している、素晴らしい言葉だと思います。

しかし私たち多くのビジネスパーソンが、他者や社会に依存しないということは、現実的には不可能です。

ですからここでカギとなるのが「対人関係を見直して、自分のモノサシを持つ」ということだと思います。

他人のモノサシの代表例である「年収」や「知名度」ばかりに気を取られ、本来の自分であれば本当はやりたくもないことや、普段なら付き合いたいとは思えないような人々と嫌々付き合う。こういったことにばかり付き合って無為に時間を浪費してしまっていては、いつまで経っても自分の成長の欲求が満たされることはない、つまり「自己実現など夢の夢」で終わることでしょう。

ここで私を例にしてみれば、私は「夢は山口周師匠(自称)」ということを公言して憚りません。(ええ、1ミリも憚りません)

これは私の長期の目標である「本を読んで、自分の頭で考えて、これを世に出すことで生活を営む」という「自分のモノサシ」をわかりやすく一言でまとめ表したもので、私はこの自分のモノサシに従って対人関係については徹底的に見直し続け、毎日の勉強時間を捻出し、成長の欲求に対する投資、要するに「自己投資」を続けています。

自己投資も金融投資と考え方は同じで、「複利を最大限に効かせるためには「長期投資」が最もリターンを最大化させる可能性が高いという原理・原則に従うことがベストプラクティスである」と私は考えて、実践しています。

おわかりかと思いますが、ここでいう「長期」というのは無論、「関係性を長く維持させる」ということを目的とはしていないのでご注意ください。金融投資でも、ゴミのような金融商品を売りつけてくるファンドマネジャーにお金を預け続けていていては、リターンは全く得られません。

金融投資を行う前には、どういう投資商品に投資をするのかということと同時に「誰と付き合って大切な資金を運用してもらうのか」ということを吟味しなければいけない。だからこそ「誰と付き合うか」という対人関係が非常に重要なポイントとなってくるわけで、自己投資もこの基本部分は全く同じなのです。

この成長の欲求を正しく自己実現に結び付けるために、対人関係の断捨離について考えてみると、最初のうち、例えば「相手からのせっかくの誘いを断って、失礼になったらどうしよう」などと考えていた時期がありましたが、勇気を出して断ったその時から今日までにおいて、悲劇的な出来事が起こった試しは一度たりともありません。

むしろ「自己実現=自分の成長のため」という点において、なぜ今までこれほどまでに、時間もお金も浪費して、さらには他人に対する妬みを抱いたり
、他人との比較からくる不安に対して気を揉んできたのか、自分のモノサシを持ってからというもの、過去の自分自身のバカさ加減には何度も呆れ返ったものです。

こういったことを言うと、よく「自分の成長のため」という点ばかりが独り歩きして、自己中心的な「テイカー」と言われたりすることもあるのですが、私はこうした指摘についてはその一切を気にしません。

私は以前から「私自身が山口周を目指すプロセスを世にお見せすることが、私の考える至上の社会貢献だ」ということを訴え続けているからです。

まあ残念ながら、こういうポジティブな側面は多くの人の耳目にはなかなか届かないものです。ですからそういった方々と、無理に関係を長続きさせる必要はないと思っています。(どうでしょうか!?福沢先生!)

加えて指摘をすれば、「年齢」や「肩書」ばかりを気にしてくる相手に「人格者」や「賢人」という人はなかなかいませんので、こうした点も過度に気を揉む必要はないと思います。

もう一点、私が尊敬するアメリカの発明家・政治家・哲学者であるベンジャミン・フランクリンは、「時間を浪費することは、実際には金銭を失っているのと同じだ」と考え「タイムイズマネー」という言葉を残していますが、これはどうやら今日において、死語として忘れ去られている印象がある。もし仮にそうなのであれば、これはとんでもないことです。

これだけ「効率」だ「タイパ」だ「労働生産性」だと、ウンザリするくらいに「時間」についての重要性が喧伝される今日において、多くがこの本質を捉え切れていないように思います。

時間はお金と全く同義である、とても大切な資本なのす。

本当に、時間のムダ遣いはしていないでしょうか?

自分が本当にやりたい仕事をする、あるいはそんな仕事に出逢うためには、何においても無為な時間の浪費は止めなければなりません。

忙しい皆さんに対して私が「いの一番」にお伝えできること、それはタイトルでお示した「一人の時間がもたらす真価」についてです。

自分が時間のムダ遣いをしていないか考えるために、まずはたった一度の飲み会を断ってみる、やりたくない作業を断ってみる、普段から意味のないと思っていたスケジュールを一つ断ってみる、こうして時間を捻出して、一人になって、誰にも邪魔をさせずに、他でもない自分のための時間を確保すること、これが必ず皆さんにとっての「真価」を発揮し始めます。

サムネイルでは「孤独」という言葉を用いていますが、孤独の定義とは、他者との物理的または心理的なつながりが欠如している状態、もしくはそのように感じる感情を指すわけですが、この孤独という感情は、単に一人でいること(独り)とは異なり、周囲に人がいても感じることがあるんです。

それが先述した、他人のモノサシの代表例である「年収」や「知名度」ばかりに気を取られ、本来の自分であれば本当はやりたくもないことや、普段なら付き合いたいとは思えないような人々と嫌々付き合うことからくる孤独というものです。

時間を捻出し、自分を見つめて本当にやりたいことに出逢い、本当に付き合いたい人に出逢えれば、孤独ではなくなります。

それが私が考える、いえ実際に日々感じている「孤独の贅沢」なのです。


ウェルビーイングと自己実現

さて、ここまでの前半では、自己実現が持つ「成長の欲求」という側面について見てきたわけですが、ここからの後半では、昨今、このマズローの自己実現が「ウェルビーイングの一部」として捉えられるようになってきている点について、フォーカスしてみたいと思います。

改めて確認すれば、ウェルビーイングとは、個人や社会が身体的、精神的、社会的に良好な状態であることを指しており、中でもウェルビーイングという視点から見る自己実現は、「個人の内的充足感」に焦点を当てます。

具体的な関連性としては、次のような点が挙げられるようです。

  1. 精神的ウェルビーイングとの関係:自己実現は、個人が自分の価値観や目標を実現するための内的な満足感や達成感に繋がります。これは精神的なウェルビーイング、すなわち内面的な安定感や幸せを強く支えます。

  2. 社会的ウェルビーイングとの関係:自己実現を達成した人は、他者との健全な関係を築き、社会に貢献することができるようになります。これは社会的なウェルビーイングとも繋がり、自己実現は個人の成功や成長を社会との繋がりの中で発揮する形となります。

  3. 全体的なウェルビーイングの一部としての自己実現:マズローの階層モデルに従うと、基本的な身体的・安全の欲求や愛と承認の欲求が満たされて初めて、自己実現の段階に到達します。これらの前提条件が整っていることで、自己実現を追求することが可能となり、総合的なウェルビーイングが向上します。

前半に挙げた「年収」や「知名度」が、いかに「個人の内的充足感」にとって、あまり意味を成さないのかがわかる、とても面白い話があります。

ノーベル文学賞を受賞したドイツの作家ハインリヒ・ベルが、1963年に発表した『仕事熱心の減退に関する逸話』という短編小説の一部が「漁師とMBAホルダー」の話として変化したことで広く知られるようになり、多くの言語や文化で引用されているので、この話を最後にご紹介したいと思います。

ある小さな村で、一人の漁師が毎日必要な分だけ魚を捕り、家族とゆっくり過ごしていました。

ある日、ビジネススクールを卒業したMBAホルダーの男が漁師に出会い、「もっと多くの魚を捕って事業を拡大すべきだ!」と提案します。

漁師がその理由を尋ねると、男は「そうすればボートを増やし、従業員を雇い、大きな会社を築ける」と説明します。

漁師が「それで最後にはどうなるのですか?」と尋ねると、男は「何年も経ったら、引退して家族とゆっくり過ごし、好きなことができる」と答えます。

すると漁師は笑って「私は今まさにそれをしているのです」と返します。


上記の通りポイントだけを端折ってお伝えしましたが、この話は目標達成のために現在を犠牲にする=インストルメンタルな生き方よりも、今の生活で幸福を見つけることの大切さ=コンサマトリーな生き方、つまりウェルビーイングの大切さを伝えています。(インストルメンタルとコンサマトリーについては、以下が面白いので是非ご一読くださいな)


というわけでまとめれば、

「自己実現」とは、自分の人生のために自分自身が成長するという欲求を追い続けることであり、それは決して年収や知名度といった他人のモノサシと比較して達成できるものではなく、「自分のモノサシ」を持って初めて実現に向けた道が見えてくる。

「自分のモノサシ」とは、MBAホルダーの誘惑などものともしない、自分のウェルビーイングを第一義にすることであり、そのためにまずは自分の時間のムダ遣いについて考える。

ということになるのだと思います。

よく「自分の時間がほしい」という感情と、「一人は孤独だし嫌だ」というバイアスが混同されてネガティブに考えられがちですが、「孤独の贅沢」というのは、自分が本当に楽しい仕事に没頭し、一生楽しく成長できる機会でもあります。

自分だけの時間を持つことで、自分の内面と向き合い、自分自身の価値観や目標を明確にすることができます。これは他人のモノサシではなく、自分のモノサシを持つための、とてもとても重要なステップです。

孤独を恐れるのではなく、その贅沢を活かして自己実現への道を歩んでみるのも、きっと悪くないですよ?



[1]
マズローは、自己実現のみが「成長欲求」であり、それ以下の四つを「欠乏欲求としてまとめている。本記事ではこの二分化のうちの一つである「成長欲求」を採用している。



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ3.真因分析:そもそも、この問題はなぜ起こっているのか、問題の奥に潜む真因を突き止める

キーコンセプト38「自己実現的人間」


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