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かのアン・サリバンはこう説いた


やる前に負けることを考える馬鹿がいるか

かのアン・サリバンはヘレン・ケラーにこう説いた。
「やる前に負けることを考える馬鹿がいるか」と。

『呪術廻戦』東堂

それ言ったの猪木だろ

『呪術廻戦』虎杖

この掛け合いで、二つのことが気になった。

一つは、このセリフを言った猪木のことである。検索すると出てくる。

なんとも、痛快なシーンだ。まさに東堂にぴったりな気がする。

気になったことのもう一つは、それでは、アン・サリバンはヘレン・ケラーになにを説いたのかということだ。

アン・サリバンとヘレン・ケラーとの交流の中で名言を一つだけ抜き出してもあまり意味がない。どちらかというと、彼女らのヒストリーを追うことになるだろう。

魂の誕生日

ヘレン・ケラーは 1880 年にアラバマ州に生まれ、生後19か月で視力と聴力の両方を失った。光も音も知らなかったのである。親だったら、絶望してもおかしくなかっただろう。

そんな彼女は 7 歳のとき運命的な出会いをする。家庭教師のアン・サリバンだ。ヘレン・ケラーはこの師との出会いを「魂の誕生日」と綴ったそうだ。

ところで、このアン・サリバンと言う人は、どういう人だろう。

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アン・サリバン(愛称アニー)は 1866 年にマサチューセッツ州に生まれ、5 歳のときにトラコーマと言う眼病に罹り失明した。8 歳で母親を亡くし、父親は育児放棄した。アニーは孤児院で鬱な日々を過ごすことになる。

苦難の毎日を送る中、アニーは、慈善事業検査官のフランクリン・ベンジャミン・サンボーンの視察の際、パーキンス盲学校への入学を許可するようにサンボーンに懇願した。

懇願が叶い、アニーはパーキンス盲学校に通えるようになった。そこで、視力回復の手術を受けることもできた。

このような経歴であったからこそ、ヘレン・ケラーの痛みが分かったのだろう。

「水」を教える

さて、アニーはヘレン・ケラーの家庭教師をすることになった。しかし、上に述べたように、ヘレン・ケラーは目も耳も不能だったので、教育は困難だった。

アニーは言葉や概念を彼女に教えようとした。いろいろな伝え方を試しては、生徒の様子を見てやり方を変え、それを何度も繰り返していたそうだ。

ある日、二人はターニングポイントを迎える。

「水」だ。

冷たい水をヘレン・ケラーの手にかけながら、もう片方の掌に

W-A-T-E-R

となぞった。水の冷たさ、その流れとスペリングが一致した瞬間である。

ヘレン・ケラーは言語を獲得した。

この方法でアニーは、半年で 575 語の言葉、いくつかの九九、そして点字を教授することに成功したという。

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アニーの試行錯誤が、水の教授法を探り当てた。何でも試してみて、学習者に合わなかったらその都度教え方を変えるという「愛」が、一人の才能を開花させたと言っていいだろう。

そして、ヘレン・ケラーは水の感触とスペルとの一致から世界との交渉の仕方を学んだ。気づきはスパークであり、人の心を燃えさせるエネルギーなのだろう。

なんでもいろんなことを試すこと、そして、そうして試している中で気づきを迎え入れること・・・そういったことが一人の少女を救ったのに違いない。

「やる前に負けることを考える馬鹿がいるか」と猪木は言ったが、きっとアン・サリバンは、「教える前からできないことを考える馬鹿がいるか」と信じていたのかも。そう思うと、東堂が間違えたのも頷ける。

やっぱりすごいね、芥見下々先生

ひとりのファンとして『呪術廻戦』の完結に感謝を。

(注)
本記事中のヘレン・ケラーやアン・サリバンの歴史についてはWikipediaを参照しました。参照が怪しい日本語版よりも、英語版を Google 翻訳で見るのがおすすめ。



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