心の波と様変わり
人生は予定の連続
「人生は予定の連続ですから」
とタモリが番組で言っていた覚えがある。ブラタモリだったかな・・・記憶があいまいだけど、確かそんなことを言っていた。
あの、努力ではない、水か風かのように生きている人らしい言葉だと思った。
そもそも、世間が「努力」とか「頑張り」とかと言うのをけしかけすぎのようにも思える。
「明日19時に駅に集合ね」と約束して、自分を予定で縛っておいて「あ~、面倒くさいな・・・でも約束したしな」と一応惰性で向かってみる。大勢の飲み会はどうも苦手だが。
なのに、行ってみたら行ってみたで、意外と楽しかったと思える。
人生がそんなことの連続であるなら、確かに愉快かもしれない。
相手を気にしない自由
筆者は人一倍なまけ癖があると自負できる(そんな自負はしなくてよいが)。
ともかくその日その日の気分がある。波のように、上へ行ったり下へ行ったりせわしない。
そんな波にゆらゆらと揺られながら、それでも方位磁石が極北を示すように、何か頼りになる、動かないものがあるといいなあと思った。
それは何だろう。
たとえば、上に述べた予定もそうだ。少しは、約束を守ろうという気持ちはある。だから、波なんておかまいなしに、とりあえずはやろうか、ということになる。
あるいは、もしかしたら、能動性というのが、頼りになるのかもしれない。
こうして文章を書いていること、筆者はそのことに、どうしても下心が出てしまう。執筆でお金が入ってくればいいのになあとか、「一か月で〇〇万円の収入」がとかいう記事が、どうしてもちらっと気になってしまう。
それなのに、自分の書いた記事は伸びない。人が集まらない。はあ、嫌になってしまう・・・これも一つの波だろう。
しかし、能動性というのを取り入れてみる。読まれることが、書くことを完成させる。ただ、読まれることは読者にゆだねられているから、どうしても私の自由ではない。
でも、書くこと、その能動性は、私にとって自由だ。
だから、書いてみようかなあと思った。仕掛品でも、出してみよう。どうせなら、毎日書いてみようか。毎日書いていれば、書くという能動性、極北から、毎日の右往左往や心の波が観測できるかもしれない。
様が変わること
その能動性は、「行動」の性質から様態のアスペクトを帯びて、私の様相に、あるいは「様」になるかもしれない。私はどんな「様」の変遷をしていくだろう。
あるいは、その変遷を眺める読者は、どんな変遷をしていくだろう。
そんな目論見でもって、これから毎日投稿してみようかなと思います。
でもどうかな、いやしくて、怠け者の私につづくだろうか。
けれど、もしこの様変わりがうまい具合にいけば「怠け者でもこういう変化が起こせる」という希望になるかもしれないし、失敗しても、笑い種くらいにはなるだろう。
そういうことで、さて、毎日投稿始めてみますか。
皆さんもよかったらお付き合いを。
何かの拍子で、貴方にも「様変わり」が起こるかもしれないから。