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眠れない

眠れない。バカみたいに眠れないのにパソコンなどというもっと眠れなくなるものを開いて文章を書いている。なぜこんな文章を書いているかというと、少なくない人数が前回の僕のノート(もうポジティブなことしかできない)を読んで眠れなくなってそうだな、と思ったからだ。新しい発見をすると人はだいたい快楽を感じてドーパミンやらアドレナリンやらが出て頭や体が元気になってしまう。僕も今、思考のアウトプットが楽しすぎて脳内物質が溢れんばかりに分泌された結果、眠れなくなっている。本当はちょっと眠いのに。

思考があまりにも冴え渡ると永遠に思考していたくなり、人は眠れなくなる。思考というのは面白くて、半永久性を持っている。(めんどくさくて難しい話が好きな人はこちら)おそらく終わりはないし、人間の想像力は無限大なので、本当に永遠に考えというものは尽きない。(死について考えるのが好きな人はこちら)楽しい方向に向かうと、複雑な方程式を解くのが楽しい人は数学者になり、お金を集めるのが楽しい人は資産家になり、体を動かすのが楽しい人は運動選手になる。(好きこそ物の上手なれ、です。関連するのはこちら)もちろん才能と呼ばれるそれぞれの人が持つ条件・要素が関わってくるので必ずしも成功するとは限らないが、楽しいという感情はかなりの確率で成功への道において人の歩みを加速させる。

さて、今までのnoteの紹介をしながらここまで文章を書き連ねてきたが、言いたいことはここからだ。ここまででつまらねえな、宣伝してんじゃねえよと思って、スマホやパソコンを閉じて寝てないことを願う。まあ、その人たちは寝れていて、この文章の伝えたい相手ではないので、このただ眠れない、という事実を考える文章を続ける。

眠れない、という人は、眠ろうとするのをやめてみるといい。というのがあまりに暴力的な結論だ。断眠は約11日264時間が世界記録らしいので(詳しくはこちら)、ギネスが健康への影響の大きさから世界記録を認めていない断眠記録を更新できるか試してみると楽しくていいかもしれない。僕はなんかヤバそうなのでやらない。どうせ100年くらいしか生きられないのなら、寝ずにラリって死ぬより、ぐっすり眠って元気に笑って生きていたい。

僕は文章を書く、つまり思考をアウトプットするのが楽しくなって以来、ご飯を食べるのを忘れたり、眠れなくなるほどそのことに熱中している。お気づきになっただろうか…。楽しすぎると人は三大欲求なるものすら忘れてしまうのだ。性欲については今書くのすら忘れていた。子孫を残すためには生殖行為を行わなくてはいけない生物としてはかなりまずい。つまり、その先に待つのは死、the endだ。楽しいと死ぬ、というヤバすぎる結論が導かれてしまった。これはかなりヤバい。自分が好きなことをやりなさいと言っていた先生たちが、生徒たちに死ねと言っていたことになってしまう。ヤバすぎる。でも安心してくれ、そんなに世界はもろくはない。

余談になるが、僕はとても繊細で敏感な身体を持っている。(あくまで体感、周りとの比較ベース。)食物アレルギーがあり、気圧の変化に弱く、湿度にも弱く、温度の変化にも弱い。昔はアトピーと喘息持ちで、アレルギーの食べ物を食べると身体中が腫れ上がり、呼吸が苦しくなり、救急車で運ばれたりもした。なんとか生き延びて今この文章を書いているわけだが、こんなこともあった。幼い頃、家族で話していて何か面白いことがあって笑いが止まらなくなり(母曰く世界で一番幸せそうに笑っていたそうだ)、喘息の発作を起こして偉大なるメプチン様を吸引、気管支拡張剤を飲んで命をつなぐ(わかる人はわかる)、なんていう笑いにまつわるだいぶ笑えない出来事もあった。やはり楽しすぎると人は死ぬのかもしれない。笑うと「腹がよじれる」などというが、よじれた先の想像などしたくない。とにかく、繊細で敏感な身体を持った僕は、世界の変化にいち早く気づき、過剰に反応し、自分の体を傷つけるということをしていた。この極度に敏感な身体を持って巫女が権力を持っていた頃の時代に行けたら、卑弥呼よりも優秀な巫女になれていたかもしれない。何を言っているのだ。自分が何を言っているのかもわからないが、自分の身体が何をしたいのかも全くわからない。昨日に至っては、台風のせいで頭が痛く、上半身は暑いのでタンクトップ、足先は冷え性なので布団に突っ込み、秋花粉のせいで目鼻を掻きむしりながら、読むものすべてを感動させようなどと企みながら文章を書き連ねていた。書いていて恥ずかしくなってきた。余談は以上とする。

楽しすぎると死に向かってまっしぐらな僕ら人類をどうにか日常生活を歩ませようと力ずくで頭をシャットダウンさせる仕組みが睡眠だ。これ以上考えてると死にますよ〜頑張らないで〜♪といつの間にかやってきて人は眠くなる。睡眠という小休止があると、食べ物から得られるエネルギーの限り人はまた楽しいことをやりまくる。考えすぎると頭が痛くなってきて眠くなるのも、身体が悲鳴を上げているからだ。

半永久的にできる思考を持ち合わせていながら、どうやら生きていられる時間が有限っぽい人間の身体は、なんとか楽しいことを最大限しようとする思考を、力づくでねじ伏せる。

老人の身体が動かなくなっていくのは、思考や身体の鈍った状態だと生命維持が難しくなるからだ。病気になるのは、身体の中の異物に対して免疫システムを発動して時に身体を傷つけながら闘っているからだ。働きすぎると過労死するのは、働かなくては、と身体を極限まで追い込める何かがその人を動かし続けるからだ。話が逸れまくった。

活動という半永久性を持って破滅に向かう物事を、どうにか現実的な活動を維持できるようにする仕組み、それが睡眠だ。実に素晴らしい。睡眠の話をしていたはずなのに、だんだん何を言っているのかだんだんわからなくなってきた。思考が鈍っている。そろそろ眠らなくては、と思ったのでこの文章をひとまず終わらせようと思う。

要は、無理して寝なくても、死にたくなかったら勝手に眠くなるよ、って話です。でも、眠くて眠くて死にそうとか言ってる人もいるので、ずっと寝てても多分死にますよ、人間。

どうすればいいかなんて、誰にもわかりませんから。以上。寝ます。

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朝起きてから見直すと例えがめちゃめちゃだし、話逸れすぎだしぐっちゃぐちゃな文章だな、と悲しくなるわけですが、1つ気づいたことがあります。

この文章では、眠れない、という欲求でしたが、何かをしたい、と置き換えてみると、突然深い意味を持つ文章に思えてきます。

何かを成したいという欲は無限に身体を蝕むが、それを身体自身(運命/境遇/才能)がうまく制限してくれる、というわけです。それを受け入れる時、その欲はより洗練された形になっているはずです。

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