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アジアごはんがくれる勇気

東南アジア系の国のごはんが好きだ。

特に、台湾やタイ、ベトナム、韓国とかの豪快な屋台ごはんが好きだ。

今では遠くなってしまった海外の地。
屋台ごはんもしばらく食べられないのかと思うとちょっぴり寂しい。

そんな時はYouTubeで屋台飯の調理動画を見ると元気になれる。

なんてったってすげー雑なの。
すんごい量の油と米をものすごい火力で炒め続けて、調味料もわっさー入れて、
盛り付けも超適当。発泡スチロールのパックから料理がモロはみ出してる。

でも、誰も気にしてないし文句も言わない。むしろその豪快さからとんでもないパワーを感じる。
恐らく店と客とに「まぁこんなもんやろ」の共通理解が存在しているからだ。

日本の商品・サービスって本当にすごくて、
めちゃくちゃ気遣いやらプロ意識やらが込めっ込めに込められている。
それ自体はすごく尊い、素晴らしいこと。
そういうものに出会うと本当に幸せな気分になる。

けれど、あまりにもそういう物に囲まれすぎると
(私の場合)ちょっと窮屈に感じてしまう。

例えばめっちゃ気の利く店員さんのいる飲み屋に行くと、「あっそんな良いです良いです、自分でできますやりますあ〜なんか本当すみません〜…」みたいな、変にこちらも気を遣ってしまうのだ。

そんな時に、屋台飯動画を見る。

「細かいことは気にするな。俺は飯を作る、お前は飯を食う、ただそれだけだ」

みたいな感じがして、そのシンプルな役割分担に心地良さを感じる。

必要以上に求めすぎず、過剰に与えすぎない。
それはある種の「優しさ」なのかも。

ときどき、そんなふうに思います。

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