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あられもない祈り/島本理生

《一人で迎える夜は、世界の終わりだった。細く長い月明かりが照らすベッドに、横たわるたびに、毎夜、死んでいく。朝になればまた生き返るとしても、恐怖は薄れることなく運ばれてくる、どんなに甘ったれた子供みたいだと言われても、嫌気が差しても、怖がることをやめることはできなくて、その緊張感を三百六十五日待ち続けるのはつらかった。どうしてみんなにできることが、私には出来ないのか。大人には認められないおびえを抱いたまま歳を重ねていくことを想像すると、その惨めさと心細さにたまらなくなる。
そしてあなたはきっと、私にその暗闇を見せる人だと思った。》


この部分で私はもう泣いていた。いや、冒頭の《あの日々の、たわむれというにはあまりに重たい責め合いの中でーー》の一文ですでに持っていかれてたんだけど。

心地良い鬱状態、底のない深みに心がずぶずぶと沈んでいく感覚。どうしようもない、救われない、この感覚。とても気持ちがいい。

傷付いたフリ、傷付いてないフリはとても簡単で。でも、傷付けるのはもっと簡単で。
《相手の関心をひくためか許しを請うためのうっとうしいやり方だとは分かっていた。》
そう、分かっていた。でもやめられずにいる。私も今ではピアスに替えたけど、それでもいまだに増えていく。傷付いたフリをして、傷を付ける行為をやめられずにいる。

みんな分かっている。なのに、なぜ、上手く出来ないのか。「あなた」は、救ってくれると思う。と同時に、私に果てのない孤独を思い知らせる人になる。どんなに、どんなに、どんなに、想っても願っても「私」のモノにはならない。

ただ、幸せにはなれなかった、“恋愛小説”ではない。
これを恋愛小説と呼ぶのなら、私はもう他の恋愛小説を読むことが出来なくなる。きっと陳腐な恋愛小説なんだと思う。けど、島本理生さんの筆力のせいなのか、重たく、どうしようもなく、救いのない恋愛小説になってる。

この物語がありふれた恋の一遍と言うのなら、私はもう二度と恋なんてしない、できない。

この小説自体からドクドクと脈打つような“生きている”という感覚。「私」は「あなた」が
いるから…否、「あなた」でなければ何の価値も意味もない。何の意味も価値も無いんだよ。

大きくて、禍々しい、ブラックホールのような小説。引きずり込んで、離さない。

「私だけを見て。いつもここに帰ってきて。私だけを選んで愛して。子供のように泣きながら、あなたに素直に言えばよかった」



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島本理生著「ナラタージュ」も凄まじい恋愛小説だった。島本さんのこの文章の書き方、言い回し、世界観そして「気持ち」の描写。どこを切り取っても、私の心を揺さぶる。

あられもない祈り。
どうか、どうか、
救われますように。


あられもない祈り/島本理生

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ちぬ
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