祇園祭の夜に
京都の夏の風物詩「祇園祭」。
毎年7月1日の「吉符入」から31日の「疫神社夏越祭」まで続く八坂神社の祭礼です。
そのハイライトである山鉾巡行は、いつ見ても「さすが京都」と唸らせる、雅で壮大な行事です。
また、八坂神社のご祭神を奉祀するお神輿が、「ほいっと! ほいっと!」の掛け声に合わせて京都のまちを練り歩く、勇壮な「神幸祭」も間近で見たらビリビリきます。
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私がこの伝統行事と出会ったのは、京都の大学に進学した20年ほど前のこと。
所属したゼミの先生が「鉾町」にお住まいで、毎年山鉾が建ち始めたら、私たち学生をご自宅に招待してくださいました。
それまで祇園祭は、大阪出身の私にとって、毎年ニュースで取り上げられる京都の“恒例行事”ほどの認識でした。
しかし、直に見る山鉾の壮麗さと祇園囃子の音色に魅せられて、大学卒業後も毎年欠かさず宵山で厄除け粽を授けていただき、自宅の玄関にお祀りしています。
おかげで、コロナ禍に山鉾行事が中止された時も
「山鉾巡行が無いとなんや調子狂うなー」
なんて、エセ京都人になりきっていたほど。
私にとっても大切な年中行事です。
そんな私が一番好きなのは、後祭の宵山期間。
前祭と違って夜店や屋台も出ないので、夜の京都を提灯が照らし出す、しっとりとした雰囲気をゆっくりと味わえます。
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大学生の頃、お祭り気分で友達とワイワイガヤガヤ巡ることが多かった祇園祭ですが、年齢とともに、少しずつ見方が変わってきた気がします。
祇園祭は約1160年前の平安時代(貞観11年)、全国で疫病が流行した時、当時の国の数だけ矛を立てて牛頭天王をお祀りし、悪霊退散や世の平安を願ったことが始まりとされています。
コロナ禍を経て、今も変わらぬ病魔の恐怖
誰ひとり幸せにならない愚かな戦争…
いつの時代も変わらぬ人の世に、
何百年も重ねてこられた京都の人々の深い祈りに、思いを馳せるようになりました。
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私は宗教家ではないですし、
特定の強い信仰心もありません。
ただ、祈るとは謙虚でいると言うことだと思います。
人知の及ばぬものへの畏敬の念。
奢りを捨て、自分の小ささや弱さを認めたとき、人は優しく強く生きられる。
祈ること、願うことは、人に備わる最も強い「生きる力」と思うのです。
祇園祭を見るたびに、京都のまちは人々の祈りが支えてる。
そんなことを改めて強く感じます。
暮れなずむ青き夜空に浮かび出る、荘厳華麗な山鉾を、時を忘れて見上げつつ、
今年も祇園祭があってよかったと、そっと静かに手を合わす。
この今は平和であるということに感謝の思いを込めながら。
*見出し画像は「大船鉾」