少しの思いやりに心が救われた話
今日は富良野から美瑛へ移動。明日には東京に帰るので、観光らしい観光は今日が最後と言っても良いだろう。
お目当ては、夫が以前から行きたがっていた冬の青い池。ここに行くのがなかなか大変だった。
美瑛駅に着いてからバスが来るまでのトランジット(仮)3時間。ツアーバス以外のバスは、3時間に1本もないのだ。加えて帰りの終バスは18時19分。ライトアップが始まるのが17時30分なのに、1時間も待たずして終バスとは!?と驚いてしまったが、街灯のない山道(車道と歩道の境界曖昧)を歩くのはあまりにも怖かったので、それを頼るしかなかった。
さらに本日の目的地、国立公園の中にあるコテージ、ニングルフォーレはバスを降りてから徒歩20分強。その間も街灯がなく、目印の看板もないもんだから泣きそうになりながら、夫とちょっと、いや、だいぶお互いに対してイライラしながら、宿に電話して道を確認しながら、-10度の夜道をひたすらに進んでいった。
ここまで読んで、なんて大変な旅なんだと思った人が大多数だろう。でも、私が言いたいのはそこではない。大変がゆえに好きなものもたくさん見つけられた、超良い日だったのだ。
まず駅徒歩2分のところにある、ログハウスのような道の駅。そこの斜め迎えにあるタイヤ滑りを自由にできる公園。さらにその斜め迎えにあるモニター、コンセント完備の町が運営する?無料のコワーキング。なんだかんだで3時間の空き時間なんてあっという間。ここで暮らしたら、なんだかんだで楽しそうだと思わせてくれた。
そして青い池は、本当に本当に美しかった。思った以上に人が多かったものの、しんしんと降る雪と雪の下に青い池が隠れているというロマン、そこを照らすさまざまな青のライトアップがたまらなかった。
そして、なによりもニングルフォーレだ。本当にこの道で良いのか。半泣き状態で歩いていたところ「迎えに来ました!」と宿の方が車を走らせて来てくれた。当初の予定からかなり遅れたのにも関わらず「ここらへん地図で見るよりも遠いですよね」「寒かったでしょう」と労ってくれて、バスが遅延して来なくてと話したら暖房の温度をスマートにあげてくれて、もうそれだけで泣きそうになった。
しかも、グレードアップしてくれたコテージに鍵を開けて入ると、部屋はすでに暖房で温められていて、意識せずとも「ただいま……」と言ってしまうほど、安心感を覚えた。
そして、すぐに用意してくれた夜ごはんは、美瑛の名産をふんだんに使ったチーズフォンデュ。数分前まで体の芯まで凍りそうだったのに、食べ始めるとみるみると体温が上がって行った。
私は誰かが誰かを思って取る行動に弱い。それが例え、マニュアル通りなことであったとしても、「こうしたら喜んでくれるかな」「こうしたら便利かな」という思いが根底にあるのだと思うと、なんだか大切にしてもらってる気持ちになって感謝が止まらなくなるし、そうやって私のことを大切にしてくれる誰かのことも、誰かに大切にされている私のことも好きになる。
1週間強の間に、私は好きな人・モノがめちゃくちゃ増えた。それは道中で言葉を交わしてくれた人もそうだが、お仕事の連絡の中で北海道ライフを気にかけてくれる人たちや、私たちを待ってくれているであろう愛しい我が家、そういう間接的なものを含めて。たくさん。
もう嫌だと思うこともたくさんあるけど、やっぱり私はなんだかんだでこの世界が大好きだ。
こんな感情ダダ漏れ文を最後まで読んでくれたあなたのことも、きっと好き。いつもありがとう。