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欲しいのは、誰かのものだから

人から見たら私は幸せかもしれない。し、私自身も、自分はすごく幸せ者だと思っている。

でも、じゃあ、もう欲しいものはないかと問われたら、そんなことはなくて。何不自由なく、満たされているなと思ったことは一度もない。

ある程度、自由気ままに、勝手に振る舞って、手に入れた幸福だから。私が持っていないものを持っている人に出会うと「あれはなに?私も欲しい」と衝動的になってしまう。それが手に入らなければ入らないほど必死になって、どうやってでも手に入れる。

でも、いざ、手に入れた途端に熱が冷めてしまうこともよくあって。あー結局私はそれを持っている人に憧れていただけだったのか。私には必要のないものだったのか、と気付かされる。

映画「ひらいて」は、そんな作品だった。

たとえとどうにかなりたいって、愛は本当に思っていたのだろうか。自分にとってノーマークだった美雪が、たとえの恋人だと知らなかったら。ここまで必死に欲しがらなかったんじゃないだろうか。美雪やたとえの心よりも、ゲームを攻略するように行動する愛を見て、そんなことを考えさせられた。

ここ数年で見た邦画の中でトップレベル。

わたしは誰もが羨む誰かの満たされない一面を描いた、夏の日の生ぬるい風のような作品が大好きだ。

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