差異を歓迎する
こんにちは。Angieです。
今日は「差異を歓迎する」についてです。
差異とは、性質・働き等の違いのことです。
それを個性と呼ぶのかもしれません。
そして差異を活かしていくことを、
多様性と呼ぶのかもしれません。
例え話をしてみます。
Aさんが10時10分という方向性を持った性質を
持っているとします。
そこに10時15分という性質を持ったBさんが現れます。
AさんとBさんの性質には、5分という【差異】があります。
AさんとBさんは互いに協力して、新しい品種の
お花を生み出そうとしています。
AさんとBさんの嗜好も思考も似ていたため、
2人とも在来種のガーベラを実験に用いるという
点では共通していました。
ところがAさんとBさんが言い争いをしています。
Aさんは、燃え上がる太陽のようなガーベラを
作りたくて、赤・橙・黄のグラデーションを
纏った〈a〉というガーベラを開発しようとしていました。
Bさんは、美しい山々と海のようなガーベラを
作りたくて、緑・青・藍のグラデーションを
纏った〈b〉というガーベラを開発しようとしていました。
2人の意見は互いにぶつかり合いました。
これでは決まらないと、それぞれの素敵なところを熱弁し、説得できた人のガーベラを作ろうということにました。
結局2人は、相手の語る意見に互いに納得して
どちらの意見も採用することで落ち着きました。
そう、レインボーのグラデーションのガーベラを
作ろうとなったわけです。
Aさんの太陽のようなガーベラ〈a〉案と
Bさんの山々と海のようなガーベラ〈b〉案が
融合して、レインボーのようなガーベラ〈c〉案
という全く新しい案ができたのです。
ところがレインボーには、赤・橙・黄と
緑・青・藍の他にあと一色、紫が必要でした。
紫は、互いに協力し合い、後に紫も作ることに成功したのです。
実はこのお話は、大変に素敵な出来事なのです。
AさんとBさんの2人だけが実験に参加している
というのに、2人の対話と融合により〈c〉案と
いう全く新しいものが生まれたのです。
それはまるでCさんという
新たな存在を生み出すことと同じように尊く、 発明的な出来事です。
これはAさんとBさんに、
【差異】があったからこそ生まれた発明であり、
だからこそ成長発展することを可能にしている
ということを表しています。
この素晴らしさ、美しさが伝わりますでしょうか?
AとBという存在から、Cという存在・事象が
発生する。
これは当たり前のように感じるかもしれませんが、この当たり前こそが生命の美しさであると
思います。
では現実レベルの私たちはどういった状況でしょうか?
日本国を見てみましょう。
多くの方々は、右に習えで横一列に整列。
出る杭は打たれる。同調することを良しとする。
皆と足並みを揃えないと迷惑をかける。
これは日本人が結束力が強く、互いを思いやる
気持ちが強いという気質を持つが故に起きている
こととも捉えられます。
いつからかこのようになった私たちですが、
その発端については今回はさておき、
これは教育によって刷り込まれた集合意識で
あり、覆すことのできない概念のように染み付い
ていますが、
人間は本来、【差異】というものをもつように
予め設計されて存在しています。
このことは逆説的に言えば、「同一」になったらこの世界は停止する(成長発展しない)
ということを意味しています。
「差異」は、活かすも潰すも私たち次第です。
似たもの同士が集まってばかりいることを
全体は良しとしていないのです。
以上のことから、私たち人間は多様性を大切に
して活かしていくことが成長発展の鍵であり、
「一つになる、根源に還る、ワンネスの意識」
こういったものははっきり言って意識する必要は
ないと思います。
これは、大いなる存在からの細胞分裂の末端の
ような位置にあたる我々人間の位置からは、
到底考えの及ばない領域でのお話だからです。
末端ということは、見方によっては発展のための
最前線にいるという捉え方もできます。
全体の発展のために、我々は多くのサポーター
の方々に見守られながら生きています。
ですからこれは悲観的なお話ではなく、
事実現実として受け入れた上で、私たちが今
生きていることの意味を、少しだけ考える機会を
設けてもらいたいのです。
こういったことをお伝えすると、
やっぱり人間はその程度なのだと落胆する方が
あるかもしれませんが、もっと立体的に物事は
捉え受け止めるといいです。
人間は人間でしかないとも言えるのですが、
しかしながら我々の内にカミ性を秘めていることもまた事実です。
我々人間が生んだ全ての事象は、地球という星の
巡りとなって、それ以外の全体に影響を及ぼしているのもまた事実です。
全ては表裏のごとく、影響を及ぼし合います。
地球が苦しいということは、
それ以外も苦しくなる側面があるのです。
最も、その影響の程度は私たちが認知できるようなイコールの量ではないにしろ、起こるのです。
もちろん元の始まりは無からであり、
そこから有の私たち個々が発生したというのは
間違いではないはずですが、もはや私たちの概念
では認識し、数えることのできないほどのトキを
経て我々は存在しています。
この宇宙がまだ成長、発展し続けているという
ことは、帰るも何もありません。
ですからこういったことが素晴らしいという流れは虚言か思い込み、妄想に近いです。
今目の前の地球での課題の方が先です。
少し話が脱線しました。
ですから何を言いたいのかといえば
【差異】を歓迎するという心持ちを是非持たれて
みてくださいということです。
どちらが正しいとかいうのを争うことほど、
無意味なものはありません。
もし他人との衝突や、他人からの妨害を受けた
とき、それが悪質なものならすぐさま逃げましょう。
しかし、正当な主張として受け取ったならば、
そのような価値観もあるのかと
その【差異】を歓迎し、融合してみることで、
新たな思考や気づきが得られるはずです。
視野を広げるとは、そういうことでもあると
思うのです。
自分を主張することは大切です。
何故ならそれは個性を大切にすることに等しいからです。
それと同時に、他人との関わり合いの中で
対話し、融合していくこともまた等しく大切です。
これが当たり前になれば、私たちからはそもそも
「争い」という概念は消えてなくなるはずです。
それはただの「個性のぶつかり合い」と「発明」
に過ぎなくなるのでしょう。
今日はこんなことろで。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また次回、こちらでお会い出来ること楽しみにしております☆
親愛なる Angieより 2024.11.15