「共感」や「気づき」が、誰かにとっての価値になるかもしれない。展覧会『私だけかもしれない、けど。』開催に寄せて<後編>
2024年1月28日(日)に開催する、渋渋生を主体とした展覧会に寄せて、今回企画に取り組む有志メンバーで2人に、自身の感性と社会とのつながりや、手がけるエッセイ、企画に対する思いなどについて話を聞いている本記事。
記事前編では、COLOR Againのプログラムへジョインした動機やコスメ・メイクとの出会いのエピソード、憧れの対象やロールモデルと自己について対話が繰り広げられました。後編では、そこからさらに掘り下げて、自己と他者をめぐる考察や、エッセイを通じた活動の意義などについて対話を交わします。
イメージのギャップから見える、それぞれの美学
吉田氏:自分が思っている自分自身のイメージと、他者から見られている自分のイメージのギャップについて、どう感じますか? 文献講読の会では、鷲田清一さんの『ひとはなぜ服を着るのか』という本を一緒に読んだけど、人は自分の後ろ姿はおろか、自分の顔も直接見たことがないですよね。だとしたら、自己認識は、「①本人がもっている自身のイメージ」でしかない。
一方、他人から自分がどう見られているかは、「②他者が見る自身のイメージ」と考えるのが一般的かと思います。でも、3つ目があると思っていて、それは、「③他者からこう見られているだろうと自身が思っているイメージ」。
そう考えてみた時に、実は、 「②他者が見る自身のイメージ」は自分にはわからなくて、「①本人がもっている自身のイメージ」と「③他者からこう見られているだろうと自身が思っているイメージ」の2つしか持ちえないんじゃないかなと思うんですよね。
新田さん:まさに今回の企画のエッセイで、それを書こうとしてたんですよ。
吉田氏:そうなんですね。それらのギャップって何なのでしょう。二人はどういう時に、いま言った3つの違いを感じますか?
岸田さん:誰かが私について何かを言ってくれる時って、ポジティブなことが多いと思うんですけど、そこにあるやさしさを知っちゃってるから、それ以上に抗えないというか。そうすると、その誰かの評価に対して自分の評価がそこから少し下がったものになって、実際の自分のイメージとの差が出てくる。
新田さん:他者って自分と相対するものだから、バイアスみたいなものがかかってしまうこともあるよな、とも思います。そうすると、相手が言っていることを、自分の中でどう解釈するかが大事なのかなと。私の場合は、たとえ褒めてもらっても、外からきた意見だっていう点で、そのまま受け入れられないところもあって。やっぱり自我が強すぎるみたいです。
その相手と自分が違うのもわかってるからこそ、「私は言ってくれたことについてこう思ってるけど、あなたは違うでしょ」 と、その相手は自分の解釈と違うことを言ってるんだと捉えてしまう。
岸田さん:ほんと。わかる。自分の共感や評価って、自分と相手が違う人間だっていう共通認識があるから成り立つことじゃないですか。そこに自我が入るっていうか、自分と相手は違うから、自分はこう思ってることに、相手がこう思ってても、自分と相手は違うんだから、まあ、そうだよね、みたいな感じ。
吉田氏:お二人も上野さんも、アイドルや安室奈美恵さん、あるいは同級生や家族といった他者は、自分とは違う存在だという認識がありますよね。それにもかかわらず、その他者と同じように一致したい、という意識はあるのでしょうか?
岸田さん:完全にその人になりたい、っていうことはなくて、その人の可愛いと思う部分、たとえばメイクなんかを、自分もやってみようかなと。近づきたいとは思うけど、完全にその人に向かっていくわけではないかな。
新田さん:私は、ある人のあるところが可愛いなと感じた時、それはその人の魅力なのであって、自分が真似しても体現することはできないから、諦めちゃうというか。
吉田氏:岸田さんの場合は、自分の中での対話が働いてるのですかね。自分が見たものを取り入れるかどうか自分自身で内省して、自分がいいと思う理想を追求していく。
一方、 新田さんは他者を彼方にある存在と考えて、あえて自分に取り入れようとは思わない。それはなんででしょう。他者への尊重ですかね。
新田さん:他者への尊重……。自分以外の人間ってすごいな、みたいな感じです。
吉田氏:アイドル含め他者を自分から隔絶された存在として見てるところもあるんですかね。誰かに可愛いと言われても抵抗を感じたり、相手の言葉に自分を同一化させていくことがなくて、それになろうとしないなど。
そこでギャップやコンプレックスを感じたり、自分はアイドルのようにはなれないと思ってる時、そのギャップは悪いものなのでしょうか?
新田さん:アイドルや可愛い友達を見た時のギャップは、自分の中ではその人を肯定することに自分の中では繋がってると思うし、悪いとはあまり思ってないです。
吉田氏:そうですよね。他者は彼方の存在なので、決して同一化できない、と。それは他者の存在を肯定することでもある。あえて対比すれば岸田さんは、他者は他者であることを認めつつも、 ある種のコミュニケーションをおこなっていく姿勢があるのかなと思いました。どちらかが正解ということではなく、それぞれに独自の考えがありますね。
「もっと対話を生み出していきたい」
上野:岸田さんは現在医学部進学を希望していて、その後は美容整形外科を目指しているということですが、なぜ美容整形外科を志そうと思うようになったのでしょう。美容整形外科について考えていることがあれば教えてください。
岸田さん:ある動画を見たのがきっかけです。ある人が美容整形外科のカウンセリングを受けた時に、そのお医者さんに、「施術しなくてもいいのでは」と言われて、それに納得して落ち着いたっていう内容でした。美容整形がポピュラーになりつつあるからこそ、整形するまでのプロセスが簡略化しているなかで、患者さんも情報を持って信頼を持ってクリニックにきている時に、本人がたとえば「二重にしたい」と希望しても、ただそれに応えるのではなくて「そうでなくて良い」と返すお医者さんを初めてみて、こういう選択もあるんだなって印象的だったんです。
美容整形って、辛い思いをして整形した後に、さらに辛い思いをしてしまって、悩む方も多いんですけど、それって、もしかしたらカウンセリングでの対話が足りてないのかもって思うんです。患者さんにとってベストな選択肢を提示できるのはお医者さんだけだから、そのためにもっと対話が生まれていったら良いなって思います。
美容整形もですけど、怪我に対する再建手術や、多指症のような、生まれつきの体の事情に対する手術にも関心があるので、形成を学べたら、と考えています。
吉田氏:以前、個別相談の場で、自己肯定感が低い人と対話をする時に、何を言ってあげたらいいんだろう、という話が岸田さんからありましたよね。新田さんは、自分は自己肯定感は高くないけど、辛い思いや経験をしてきたからこそ、さらに考えられることや、後から振り返って学べることがあるって仰ってましたが(「前編」参照)、そういう時って、何が求められていると思いますか?
新田さん:私は、自己肯定感が低いことがいいことだとは思わないけど、自分がダメな人間だとか、いい人間だとかって考えなくて良いと思うんです。「自分はこういう人で、こういうことをしたくてこういうことをしている」みたいな考え方って、視野が狭くなりがちだから、他の視点を取り入れるっていう意味で、外から見た自分も自分の一部かもしれない、って考えられると良いのかもしれないです。そう考えられると、もしかしたら、その人から、いいものが引き出されるかも。
上野:この話を踏まえて、今回の展覧会に対する思いを改めて聞かせてください。お二人はエッセイの展示を予定していますよね。
新田さん:エッセイは、私たちの思いをそのまま文章にしてぶつけているような感じなんですが、それを読んで、媒介にして、読んだ人が自分の意見や考えを見つめ直すきっかけにしてもらえたら良いかなって考えています。
岸田さん:さっきの美容整形の話で、「手術しない」という選択を得られたのは、自分の外にある視点から考えることができたからだと思うんです。自分自身(のコンプレックスに思っている部分)を変えなくても、見方を変えれば、それをポジティブに捉えて受け入れることができる。
エッセイでは、日頃の生活や、人間関係、メイクや、見た目とかに関する悩みについて書いているんですけど、そこからの「共感」や「気づき」が、誰かにとって価値になるかもしれないって新田さんと話しました。
悩んでいるのは自分だけじゃないって思ってもらえることで、楽になってもらえるかもしれないと。そのために、あえて匿名で、内容をそのまま受け取ってもらえたら、と思いながら企画しました。
上野:最後に、今日持ってきていただいたコスメについても話を聞かせてください。コスメって、「物を介した、美の感じ方」と言った観点で、商品自体の見栄え、そして使う時の外装的な部分、そして自身に身にまとっている時、とコスメのあり方が変わってきますよね。自分自身をあげてくれるコスメの魅力ってどんなものですか?
岸田さん:もちろん商品単体でかわいいって感じることもあります。自分がかわいいと思った物を選びます。そこに他人の評価は関係ないかな。世の中にこんなにコスメがあるのに、他の人と同じもの使う必要ってないし、学生はお金が限られているから、自分がいいなっと思うものを買いたい。
上野:コスメを使うことで、たとえば「今日の自分はちょっと強くなれる」とか、「素直になれる」とか、気分に合わせて少し内面的に化けられる、みたいな感覚はありますか?
岸田さん:ありますね。ラメでテンション上げたり、アイラインの角度を変えたりして。
新田さん:私は、変わるためにコスメを使ってメイクする、っていう目的が強くて。たとえば、1日の最後に鏡を見て、ある程度の顔でいられて「今日もがんばったな」って思えるように、メイクしているようなところがありますね。
上野:なるほど。私はメイクで自分をONモードにする側面が大きいので、1日の終わりのシーンが出てくるのは新鮮です。やはりコスメだけでも一人ひとり、その意味や目的は違うものですね。
今日の話を含め、展覧会から見える一人ひとりの色が、誰かの背中を押したり、何か気づきを与えるものになってくれたら嬉しいですね。
それぞれにとっての美学や、活動・将来の夢に対する思いなどについて対話してきた後編。今回の記事や展覧会を通じた輪の広がりが、対話の種を増やしていくことにつながっていくかもしれません。