龍の北斎さんと、高次元の若冲さん
昨日とは逆に今日は、嬉しい方の夢(喜び)についてのお話。
春分を過ぎると、なんだかわからないけれど
嬉しくて目が覚めたりする人が増えてくると思います。
「子供が寝言、言いながら笑ってたw」とか、
「うちの犬は寝ている間、笑うんです」といった話はよく聞きますよね。
(可愛い^^)
「冬の間よく頑張ったね」
というお天道様のご褒美みたいな、喜びのエネルギーが降りてくる。
それをありがたく受け取って、
この春からの新しいスタートに活用したいところですが。
何せ、我ら日本人。歴史的に戦国だ天災だ戦争だと、ここしばらく散々な目に遭いながらなんとか生き残ってきたDNAを保有するためか、
喜びの受け取り拒否をしがち(な人が多い)
無意識に「私はこのくらいまで」と制限をかけていたり、
しんどいことに慣れすぎて、「天からのボーナスタイムで豊かさ受けとり放題よ」と言われても、気が乗らないと、慣れないものだから怖気付いちゃうとかね。(私もビビって遠慮しちゃうタイプだったから書いてますw)
私の親の世代も「身の程」とか「分相応」とか「清貧」という言葉が好きな人が多いけれど。なんだかその使い方に違和感があったりもします。
特にお金に対する謎の嫌悪感ありません?
「お金持ち=悪い人」的なドラマやアニメも多かったし。
私の祖父母の代は、そんな昭和っぽさとも
またちょっと違ったんですよ。私は、彼らの考え方に救われたのですが、
「お金は心を込めて回していくものだよ」「帳尻は合うものだよ」
などと言ってました。(言ってること深い)
私はそういう考え方の方が、愛があって好きです。
・・・
地球環境的にも、人間が「足るを知る」方が良いし、
地球のためとか言う以前に「自分にとってのちょうど良い」を知らないと、
これからの時代ますます生きづらい。
喜びという感情に、制限をつける必要は、ないよね。
ここしばらく大口を開けて笑うのが憚られたけど、
(時と場所を選んで)大笑いしましょうよ。
心理学は、イライラや怒りの感情の根っこにあるのは
「悲しみ」だと解きます。
この悲しみの海は深いのだけれど、
ある時この海が割れて、うっかり「喜び」が見えてしまうことがある。
この時、どう反応するかが、人によって違うみたい。
蓄積された悲しみの海も深いのだけれど、
「喜び」のエネルギーって、
「・・・ちょっともう意味不明なんですけど」って
見なかったフリして黙ってシャッターを下ろしたくなるくらい、
桁違いに膨大(笑)
なので、この「喜び」への免疫・耐性をつけるために、
まずは「笑うこと」が推奨されます。
・・・
例えると、童話の「青い鳥」に出てくる2つの「幸せの国」。
贅沢な服を着て、贅沢な食事をして、太っている一方の幸せの国。
と、
主人公のお母さんたち女性が、現実より若い姿で笑っている幸せの国。
前者は物理的な豊かさで得られる幸せで、
誰にでもイメージしやすいのだけど、後者の解釈は人によって分かれそう。
物語の中では、わかりやすいように
「母親の無償の愛」で表現されているけど、
私は、本当の自分(スピリットとか魂とか)で生きる幸せ
のことを言っているんじゃないかと思ったりします。
その「喜び」のエネルギーは、半端ない。
私が、その半端ないエネルギーを感じるのが、
タイトルの北斎さんと若冲さんの絵なのです。
・・・
仕事のアートワークショップなどでは、学術・文献に沿って、
真面目にご案内していますが、このnoteには自由に妄想書かせてください。
また「龍」「高次」という言葉も使っていますが、スピリチュアルやサイエンスに詳しいわけでもないので、予めご了承くださいと、先に謝りつつ。
・・・
北斎さんと若冲さん、好きすぎて時々、私の夢に出てきてくださる。
北斎さんは「画狂老人」と名乗っていらっしゃった頃の雰囲気で、
ユーモアのある江戸っ子な感じ。
若冲さんは、品の良い実業家のような雰囲気で、
物腰が柔らかいんだけど、めっちゃ毒舌。
・・・
私、葛飾北斎の絵を初めて間近で見た時
「あ、この人、龍になっちゃったんだ。」
って、思ったんです。
繰り返しますが、「龍」とか「龍神様」とかに詳しいわけではないので、
ご専門の方、お気を悪くなさらないでいただきたいのですが。
元々「龍」だったのか、「龍」に憑かれた人だったのかもしれないけれど。
あのアングルとか、あの墨絵とか、
人間の視点じゃなくて、龍さんの視点だわ。と思ったのでした。
「時間」が存在しない場所で描いてたよね、北斎さん。
・・・
そして、若冲さんは、
「高次元の人だ」
と、勝手に納得しました。
2つの視点で認識される三次元を、二次元に描くのが普通だけど。
この人、視点が多分・・・8つくらいあって、
それ使って描いている。
(妙な言い方しますけど)
多分この方、絵を描いている時、
描いている自分の背中も見えている。
「私の絵は、後世で理解されるだろう。」
的なことを言っていたと伝わっているけれど、
その真偽は置いとかせていただいて。
西洋の画家が、没後に評価されて作品の値が上がる。
というのとはちょっと違う気がする。
当時の人に、若冲さんの絵はどのように見えていたんだろう?
デジタル映像に慣れた私たちとは違ってたんじゃないだろうか。
確かに後の世、現在の技術で、その、
狂気とも言えるようなマニアックな技法を知るわけですが。
そう、狂気のさた。
膨大な喜びって、狂気に近い。
「狂言」の「笑」みたいに。
・・・
有名な画家は、「苦悩しながら名作を生み出す」イメージが
強いだろうし、その方がドラマとして楽しまれるけれど。
初期の作品はともかく、
このお二人様の作品から、苦悩は感じない。
喜びのエネルギーそのものに感じ取れるのです。
史実としては、北斎さんは仕事を求めて、遠方まで出向いています。
なんだか嬉々として山道を歩いていたような私の勝手なイメージがあるのですが、それなりにご高齢になっていたので、身体的にもきつかったはずです。
若冲さんは資産と人徳から、お金に苦労はしていないようですが、
別のところで、何かあったんだろうなという気がします。
じゃないと、ああいう絵にはならないと思う。
・・・
私が当時彼らの家族やお手伝いさんだったら、楽しかったろうな。
お父ちゃん、いいかげんお風呂入ってよ。とか
ご主人様、なんで、裏に塗ってるんだろう、いつまで鶏見てるんだろう、
とか観察できて面白かったろうな〜
(当時の道具で)よくあんなこと、
(他のことは手放して)よくあんなに命の時間を費やして、
描いてらっしゃいましたね、お二人様。
「自分が絵になっただけ」
「自分が今生で描きにきたものを描いて、神仏(宇宙)に捧げただけ」
龍になった北斎さんと、高次元の若冲さんが
夢の中でそんな風に話してくれる。
私はまだ悟ってないので、理解しきれない領域だけど。
そんな夢の後は、解放感があって心地よく、仕事が捗ります。
・・・
読んでくださってありがとうございました。
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