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【読書日記11】『言語哲学がはじまる』/野矢茂樹
「ミケは猫だ」。この一文を考えることから始まる哲学の本。哲学ってほんとに面白い。「ミケ」「猫」だけで何時間も、いや何年も、いや、なんなら永遠に議論できてしまいそうだ。
「ミケは猫だ」、という文章を読んだ時、私の頭の中に浮かんだのは・・・1.三毛猫のミケちゃんが縁側で寝ている
2.そこに現れる猫を見たことがない3歳の男の子「わんわんかわいいね!」
3.優しく見守るおじいちゃんが「いや、ミケは猫なんだよ。わんわんじゃなく、にゃ〜っていうんだ」
さらに浮かんだのは
「吾輩は猫である。名前はまだない。あそこにいるのも猫である。名前はミケだ。」という半分創作であった。他にも「ミケは猫だ」を日常で使う場面などが目まぐるしく浮かんでくるくる。
そんな暴走を、言語哲学が、ちょっと待って、と止めてくれた。本書に沿って、言葉一つの意味するところや文脈からの理解、固有名や述語についてなど一つ一つほぐして考えていくと、今まで何も考えずに、「フツー」に使っている言葉や文章について、「あれ、ほんとに私、理解して話したり書いたりしている?」となる。
フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインと、言語哲学の分野は、興味があってもなかなかとっつきにくさを感じていたが、ほんの少しだけその入り口に立てたような気がした。野矢先生の易しい話し言葉のような文章が時折出てきて、ほっとさせられる。
「言葉はただ生の流れの中でのみ意味を持つ」というウィトゲンシュタインの言葉が紹介されていたが、これが、私の腑に落ちている言葉の理解と芯は同じなのだろうか、と不安と期待が交錯するのだけど、わからないこともわかったという意味ではきっと1歩前身したに違いない。