いい言葉で髪と心にいろどりを
もうけっこう前のことになってしまったけれど、髪を10センチ切った。月に一度のヘアカラーのために訪れた美容院で「今回、カットはどうしましょうか?」と聞かれたわたしは、こう聞き返した。
「10センチくらい切るとどうなります?」
美容師さんはうーんと考えてから、答えてくれた。
「パーマが残ってる部分が全部なくなる感じですね。控えめで清楚な雰囲気になるかと思います」
清楚! わたしは思わずその言葉に着目してしまった。アラフォーをつかまえて清楚とな。年だからうんぬんなんて言いたくないほうだけれど、清楚か清楚でないかが問題になる年齢はとっくに過ぎた気がして、気恥ずかしくなった。
わたしは根元に縮毛矯正を、中間部分から先にデジタルパーマをしてもらってヘアスタイルをつくっている。しかし、前回のデジタルパーマから1年近く経ち、もう毛先にしかパーマっ気は残っていなかった。
だから、10センチ切れば、すっきりストレートヘアに変身できるわけだ。
「じゃあ切ります。ちょっとパーマスタイルにも飽きてきたし」
で、切ってもらった。髪にざくざく刃先が入る感覚がなんだか心地よい。いつもは毛先の傷みが目立たなくなる程度のカットしかしてもらわないから、こんな感覚は久しぶりだ。そして、終わったあとは頭がちょっとだけ軽くなった。
それでもまだ肩甲骨に届くロングヘアではあるので、人には気づかれない。帰宅して夫に「どう、軽やかになったでしょ?」と尋ねたら、怪訝な顔をされた。
「え、切ったの?」
切りましたよ、切りましたってば。いいの、気づいてもらえなくても。ストレートヘアでちょっと清楚に変身したわたしは寛大な心を取り戻していた。「妻の変化に気づかないなんて!」と怒るのはやめておこう。清楚な毛先に似つかわしくないから。
「髪は顔を引き立てる額縁だ」みたいな言葉を聞いたことがある。それだけヘアスタイルは印象を左右するということらしい。たしかに手入れの行き届いた髪、きれいに整えられた髪はその人を魅力的に見せる。
わたしの場合、額縁かどうかは気にしたことがなかった。ただ、清楚という響きに振り回されている。もともと清楚でないから、よけいに。
言葉がわたしを縛っているんだなあ、とつくづく思う。
だから、自分にはいい言葉をかけ続けていきたい。まずは「人には優しく、自分にはやや厳しく」と言い聞かせてみる。うん、明日はちょっといいわたし。