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今年しかない秋に会いに行こう

双子の娘たち(7歳)が俳句をつくろうとしている。
小学校で俳句について教わり、自分たちも作句してみたいと思ったらしい。

テーブルの上には、先生が教えてくれたという「かき」「まつぼっくり」などのワードをメモした紙。
小学一年生にもわかる秋の季語をピックアップしてあるようだ。
それを見ながら、別の紙に一生懸命なにやら書きこんでいる。

娘たちは3歳の頃、音読系の絵本でいくつかの俳句と短歌を知った。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺!」とか、「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ!」とか、意味がわかっていないのに叫んでいる姿はかわいかった。

今、7歳になった彼女たちの作品には、およそ俳句とは言いがたいようなものもたくさん見受けられるけれど、なんとかかたちだけはなしつつある。
いちおう、七五調にはなっているのだ。

ただ、季語を理解するのが難しいようで、「これは俳句になってる?」とよく確認してくる。

「これは俳句なのかい、俳句じゃないのかい、どっちなーんだいっ?!」

わたしと夫は顔を見合わせた。

「今、きんに君いたね」
「うん、いた」

彼女たちはいつのまにか、俳句の決まりだけでなく、なかやまきんに君の決めぜりふまでもマスターしている。
あっぱれ。
おもしろがりながら言葉の味わいと深みを噛みしめてくれるといい。

「来年には、らくらく俳句できちゃうからね!」

長女が言った。
苦労するのも今年だけ、来年にはチョチョイのチョイで俳句をつくれるようになる予定なのだそう。

そううまくいくものだろうか、なんて思うものの、娘たちが作句のコツをつかむ可能性は捨てきれない。
この調子で俳句づくりに四苦八苦する秋は今年だけなのかもしれないと今さらながらに気づいて、わたしはリビングで立ち止まった。

当たり前だけれど、彼女たちの7歳は1年間しかない。
来年には来年の彼女たちがいて、今年のこの子たちにはもう会えないのだ。
1歳の秋も、5歳の秋も、飛ぶように過ぎていったじゃないか。

あわただしさのうちに手のひらからこぼれていった季節を思うと、奥歯をきゅうっと噛みしめたくなるほどせつない。

これから、大阪はしばらくぐずついた天気が続くと聞く。
でも、雨もまた楽しんで、晴れたら晴れたで楽しんで。
そんな季節にしてみたい。

娘たちの俳句メモといっしょに、今年しかない秋を探しにいこう。

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