ぷらーんとさせたい
何気なくSNSを見ていて、ほんの少しショックな動画や投稿に出会うことがある。傷つくほどではないのに、歯のすき間に胡麻が詰まったときのような気分になるもの。
華奢なピアスは古くさく見えるとか、存在感がありすぎるジュエリーは「おば見え」だとか、その手の文面に出くわすと、ちょっとだけ気落ちしてしまう。
投稿によって主張が真逆なこともあるので、「どっちやねん」とツッコみたい気にもなる。しかし、やはり心はわずかにしぼむ。
最近、わたしがよくつけているのは華奢なアメリカンピアスだ。静かなマイブームである。
こんな形状で、耳たぶの前後にチェーンを垂らすタイプのピアスをアメリカンピアスと呼ぶらしい。チェーンのきらめきを楽しむものもあれば、モチーフがついていて見る者の視線を惹きつけるデザインのものもある。
わたしのアメリカンピアスには小さなミラーボールがついている。10金製で扱いやすいこともあり、ここのところほんとうに出番が多い。
ぷらーん、と耳たぶの下でチェーンが揺れるピアスなんて、双子の娘たち(7歳)がもっと小さい頃にはつけられなかった。
幼い彼女たちに引っ張られたら大変だし、そもそもオムツを流れ作業で替えなければならなかった時期にそんな優雅な装飾品をつけようという気にならなかった。「えーい、めんどくさい!!」と叫んでしまいそうだった。
だから、繊細なピアスを再び楽しめるようになって嬉しいのだ。チェーンをピアスホールに通すたびに小さな幸せを感じている。こんなデザインをまたつけられるなんて。
ほんとうはファッションには正解はないのだとわたしは考えている(あくまでもわたしは)。
「○○はNG」「△△ひとつでコーディネートが台なし!」といったフレーズが心をしぼませにかかることもある。けれど、それらを心の片隅に置きながらも好きなものを身につける。
「まあ、好きでつけてるんやから、ええやない?」
そう言えるくらいには図太くなった。ある種の主張をいったん受け止めはするけれど、雑音として処理もできる。大人になるって、けっこう自由で楽しい。
こうして明日もたぶん、繊細なアメリカンピアスで耳もとを飾る。いいじゃないの、ぷらーんとさせたいお年頃なのだ。