おまもりチーク
わたしがチークブラシを握ると、娘たちが寄ってくる。
朝、彼女たちが起きる前にお化粧を済ませておくようにはしているけれど、ときどき寝坊してしまう。とくに春休みになってからは。
去年の春、マスク着用が自由化されたことを受け、チーク(頬紅)を新調した。
シャネルの定番品「ジュ コントラスト」。発色がよく、ささっと撫でるだけでも頬が色づくので重宝している。手持ちのチークのなかでメインを張る存在だ。
大学生の頃、わたしなりに真剣に卒論を書いていた。提出間際になり、睡眠不足の体を引きずって大学に顔を出したら、先輩に「顔色がない。『吉原炎上』に出てくる幸薄い花魁みたい」と言われた。
彼は笑っていた。『吉原炎上』は、遊郭・吉原を舞台に遊女たちの生きざまを描いた映画だ。わたしも観たことがあった。たしかに血色を失った素顔の花魁が出てきたような。
まっとうにチークを施すようになったのはその頃だと思う。顔色が悪く見えると損かもしれないと感じた。ファンデーションを塗ったら、頬骨の上にチークブラシを滑らせるのがわたしのメイクステップとして固定された。
20代半ばには、病気でもないのに一晩を病院で過ごしたことがある。事件に遭い、念のためケガの状態を確認してもらうことになったのだった。突然の出来事にショックを受け、ぼんやりしているうちに夜は明けた。
朝、病院を出る時間になると、看護師さんがわたしのもとへ来てくれた。やさしい雰囲気の人だとほっとしているわたしに、看護師さんは言った。
「お化粧する? もうちょっと時間、ありますよ」
わたしは相変わらずぼんやりしたままお化粧をした。ほとんど素肌に戻ったところにファンデーションを塗りこみ、前日のマスカラやアイラインが残ったままなのを直し、チークをさっとはたいた。あのチークはどこのブランドのものだったか、思い出せない。
お化粧を終えたとき、さっきの看護師さんが顔をのぞかせた。
「あらまあ、きれいになったね。大丈夫、ほっぺがバラ色やといいことあるから!」
眉尻を下げてそう言ってもらって、わたしはほんの少し生き返るような気がした。
結局、それから一年くらいは沈んだ日々を過ごした。心は少なからずダメージを受けていて、ずっと苦しかった。でも、お化粧をするときはチークを忘れなかった。色づいた頬は、たくさんのことから自分を守ってくれるように思えた。顔に血色を取り戻すと「わたしは大丈夫!」と思えるのもよかった。丁寧なお化粧を繰り返すうちに、元気にもなっていった。
コロナ禍のなか、マスク着用がほぼ義務となったことで、いっときチークをつけなくなった。あの数年は、なんだか心もとなかったけれど、また頬を色づかせる習慣が戻ってきたことが嬉しい。
そうして今、娘たちが我先にと頬をわたしのほうへ向ける。
「長女ちゃんのほっぺもピンクにして!」
「次女ちゃんも!」
仕方がないので、ちょっとだけ娘たちの頬にもバラ色をつけてあげる。これもまた一つのお守りになってくれるといいなあ、と思いながらブラシを滑らせる時間が、実はとても好きだ。