『ヒヤマケンタロウの妊娠』(日本のテレビドラマ)
日本・テレビドラマ・2022
2023年1月からの地上波放送時に視聴。斎藤工主演。面白かった。
このドラマは単に男女の逆転劇ではなく、今のこの世の中の仕組みや価値観はそのままに、その中で一部の男性が妊娠する側に突然立たされるというとものだった。
今の女性の結婚にまつわる生き方・選択肢としては、結婚するしない、子供を持つ持たない、子供を産む産まないなどがある。ドラマではこれに、”夫が産む(かもしれない)”が加わる。男性の側から言えば、”子供を産む産まない”の選択肢が登場する。ただ、ドラマの中で”男性妊娠”は偶然の出来事で、自分達で選択できるわけではない。”産む産まない”は選択の余地はあるけれど、"妊娠するかしないか".は選べない。ある日突然、パートナーや妻ではなく何故か男性である自分が妊娠するという状況に、一部の男性が置かれてしまう。
いろんな選択肢があるということは、いろんな立場の人がいるということになる。
男性の中に、妊娠しない人、妊娠して産む人、妊娠しても産まない人がいて、妊娠しない男性の中には男性妊婦に対して困惑、嘲笑、侮蔑、嫌悪するものが出てくる。女性も妊娠した時に、職場などでは少なからずお荷物扱いされて悔しい思いをすることもないことはない。繁忙期だとか、大きなプロジェクトが動き出すタイミングだとか、人手不足などで「めでたいことだが、何故今このタイミングで妊娠するのか」と批判的な目で見られることも皆無ではない。でもドラマの中の男性妊婦に対するような差別を、女性が女性から受けることは少ないだろうと思う。しかし、男性妊婦は同性から、非常に辛い、時にとてもあからさまな差別を受ける。
実は健太郎の父もかつて妊娠し、健太郎を産んだのだが、インターネットで仲間と繋がって励まし合うことなどできない時代、健太郎の父は周囲の差別に耐えきれず、出産後家族の前から姿を眩ましてしまった過去があった。
親子ともに、異質なものに対する強烈な差別を自分の同性から受けたのだった。設定が男女逆転ではなく、今のこの世界の中の価値観の中で起きる出来事だと思うと、確かにそういうことは有り得ると感じられた。同じ境遇の仲間の一人もおらず、悪いことでも、犯罪でもない、そして自分で選んでしたわけでもないことを理由に、誹謗中傷され蔑まれた健太郎の父親の孤独と辛さは想像に余りある。妻達も差別的な扱いにさらされ、辛い思いをする。
健太郎の勤務する広告代理店では、男性妊婦の彼を広告塔に使おうと考えるようになる。しかし、次第にお腹の子にも愛着が湧き、男性妊婦の仲間もでき、男性妊婦としての生活が当たり前になってくる中で、おそらくホルモンのバランスのせいで感情の起伏が激しくなり、自分の妊娠がビジネスに使われることに違和感・反発を覚え、ケンタロウは会社を辞めると言い出だす。世間で話題の的となっている彼に今辞められたら会社にとって百害あって一利なしとばかり、社長を筆頭に各部署の関係男性社員達が会議室に集まってケンタロウを慰留する。この場面も、男性間の立場の違いがおかしかった。ケンタロウ以外の男性陣は、男性妊婦のケンタロウにどう接していいのかわからず、また直属の部長の慰留の言葉も手探りでどこか気持ちが入ってないような感じ。一方感情の起伏が激しくなっているケンタロウは、その部長のどこか空々しさ漂う言葉にさえ感動し、嬉しくて号泣する。部長に抱きついてワンワン嬉し泣きするケンタロウを見て更に困惑する他の男性社員達。社長が自分達に向かって無言で顎をしゃくって同調を促すの見て、彼らも慌てて皆で健太郎たちを取り囲んで抱き合い、「ひ、桧山〜。お、俺達がいるじゃないかぁ。い、一緒に考えていけばいいんだよ〜」とかなんとか、これまた口々に空々しい励ましの言葉をかけたりする。この会議室内の場面の男性妊婦の扱いに右往左往する男性陣が笑えた。
健太郎がパートナーでお腹の子供の母親・亜紀の仕事について話した場面も、今の価値観そのままというのが面白く出ていた場面だった。自分は出産したら職場に復帰するから、子供は亜紀に面倒を見て欲しい。亜紀のフリーライターの仕事が今後うまくいかなくなった場合に、子育て・家庭と言う選択肢もあった方がいいのではないか。そんなことを健太郎が言い出す。彼が、家庭や子育てを、仕事がうまくいかなかった時、または仕事を失った時の女性にとっての逃げ道のように捉えていたことが伝わってきた。妊娠を経験しても、実は内心女性の仕事を腰掛のように捉えていた彼の価値観は妊娠前と変わっていないのだった。もちろん亜紀はその考え方に反発するのだが、単に逆転劇でない面白さが感じられた場面だった。
かつて妊娠を亜紀に告げた時、”(今回は)産まなくてもいい”ことになった亜紀のどこか当事者意識に欠ける気楽そうな物言いに対して腹を立て「その辺の男どもの言うことと一緒だな!」とまで言った健太郎なのに、女性の仕事や家庭・子育てについて、".その辺"に蔓延り続ける価値観でこんな呆れたことを言い出すのには苦笑した。
そんなことを言ったこともある健太郎だったが、ドラマの終わりでは、自分が生まれたばかりの子供と東京に残って会社の制度を上手く活用して勤めを続けることを選択し、亜紀をフリーライターの仕事のためにシンガポールに行かせた。どちらかが家庭の犠牲になってはいけないのだと。そういう考え方が、普通になればいいと思う。
私はこのドラマで上野樹里が演じる姿を初めてしっかり見た。今まで実はそれほど魅力を感じる俳優ではなく、彼女を「見たい」と思ったことがなかった。今回の亜紀という役と彼女がとてもあっていて、亜紀を演じていた上野樹里は思ったよりもさっぱりとした強さがあった。女性の仕事、結婚、出産、育児に関する未だになかなか変わることのない周囲の価値観に悩まされながら前に進む姿は、30代の等身大の女性という感じがしてとてもよかった。
健太郎は様々な問題を乗り越えて出産までたどり着いたが、きっとこの先は”妊娠・出産せず”自分の子供を授かった亜紀への世間の風当たりも強くなることがあるだろう。
でもまたそこで彼らは、家族と協力し、仲間と繋がり、時には戦い、よりよい道を探していけるのだろうという気がした。
単なる男女逆転ドラマだったら、出産育児の苦労を男性が担う筋書きに「女性はこんなに大変なんですよ」という思いが込められて、ややもするとお説教くさくなりかねないと思うが、このドラマは単に男性妊娠を使って女性の苦労を男性に知らしめるというだけではなかったところが面白かった。