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子供の頃の夢が叶った

 今回のタイトルは「子供の頃の夢が叶った」と、なかなか期待を持たせるものだが、先に言ってしまうと「夢を持つ前の夢が叶った」といったところだ。そしてこの「子供の頃」とは、12歳、中学校1年生の頃の夢。1996年と、もうずいぶん昔の話になる。
 当時の僕は中学校に上がって突然のように厳しくなった学校生活や、ギャングエイジの同級生との関係(今ならばスクールカーストということだろう)に嫌気が差し、中学校をドロップアウトした。
 それから学校に行かずに家でなにをしていたかと言うと、昼夜逆転して深夜ラジオを聴きながらガンダムのプラモデルを作っていた(いわゆるガンプラ作り)。当時の僕はまだガンダムの生みの親である富野由悠季の作るガンダムをちゃんと観たことがなかったが、『新機動戦記ガンダムW』と『機動新世紀ガンダムX』は熱心に観ていて(『機動戦士Vガンダム』は飛び飛びで観ていたが小学校4年生当時の僕には難しすぎた)、この2作品のガンプラ作りにはかなり熱中していていた。 
 今、思えば、あれは完全に現実逃避だったのだろう。プラモデルの改造や継ぎ目をパテで埋めて紙やすりで擦ったりするのがとにかく楽しかった。そうして完成したプラモデルを手に取って遊んでいた。中学生にしては子供染みているけれど、幼児退行みたいなものもあったのかもしれない。
 その頃、当然のように我が家は「あいつを学校に行かせないでどうするんだ」ということでよく揉めた。特に2歳年上の兄は反抗期だったこともあり母親によく突っかかり、そのときに両親の僕に対する接しかたもまた問題にされたのだ。兄には「お前、大人になったらどうするつもりなんだよ」と責め立てられた(誤解のないように言っておくが、兄も思春期で難しいところがあったのだ。責められてばかりであなく、一緒にゲームをやったり仲の良い時間も沢山あった)。
 兄が人生というものをどう考えていたのかは知らないが、彼は我が家でもっとも常識的な人間だったから、ちゃんと高校に進学してちゃんと大学を卒業して、そして就職するというのがあったのかもしれない。事実、兄はそういう人生を歩んだ。
 しかし、僕は物心がついた頃から反抗的だったので、「まともに進学する」「まともに勤める」ということに興味がなかったし、自分がそういう道に進めるとも思っていなかった。
 それでは、当時の僕はどんな夢を持っていたのか、それは、「コンビニでバイトして18万円くらい稼いで安いアパートを借りて、部屋中をガンプラにできたら楽しいだろうなあ。それが夢だな」というものだった。今にして思うとフリーター生活や独り暮らしを舐めているようにも思えるが、当時の僕の夢はそういったものだった。 
 そんな僕のガンプラブームは、文学・哲学・心理学・キリスト教に出合うことで終わった。富野由悠季が作った「本物のガンダム」、という言いかたをしたら怒られるかもしれないが、1978年放送の本家本元の『機動戦士ガンダム』を観て改めてガンダムにハマる16歳まで、僕はあの中学校1年生の頃のことは忘れていた。それでも、自分が『新世紀エヴァンゲリオン』とかが流行っている中で妙にガンダムに肩入れするのは、中学校1年生の頃の思い出のためだろう。
 そしてあの頃の「18万円で独り暮らししてガンプラがあればいいや」という夢だが、実は現在の自分はその夢に限りなく近いところにきているというか、もうほとんど夢を叶えている。非正規雇用で月収も12万円から20万円だし、独り暮らしだし、ガンプラに代わるものとして本に囲まれている。これはもう、12歳の頃の僕が夢見た生活だ。もちろん仕事から帰ってきたら疲れてなかなか読書もできないが、それでもやっぱり理想の生活だろう。
 ただ、あの頃の夢と違うのは創作という魔の道に入ったことだ。哲学者の土屋賢二はジャズピアノに夢中だが、満足に創造力を働かせてアドリブを弾けた時間は人生で2分程度のものらしい、それでもそのときの快感が忘れられなくてジャズピアノをやっているようだ。同じように、僕も小説を書く楽しさと苦しさに病みつきになってしまったので、12歳の頃の夢が叶っただけでは満足できなくなった。
 学校に行っていない不安を抱えながらも、平和で暢気な時代だったなと思う。その頃には、もう絶対に帰れない。それでいい。

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