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最近ちょっとお休みしてました

 もともとこのnoteは地元のMくんに「やってみたらどうですか?」と言われてはじめたのだが、金曜日に更新していたのは昔の会社の同僚であるKさん(Xで付き合いのあるKさんではないよ)の要望だった。「土日が休みの会社員だし、金曜日の夜に読みたいな」と言っていたのだ。
 しかし、2024年はこの2人とまったくコンタクトを取れなかった。Mくんは少し疲れたようで休養が必要だったし、Kさんはかなり塞ぎこんでいたのだ。
 Mくんについては、1年振りにメールをして生存が確認できたのでよかった。でも、久しぶりに会いましょうとはならなかった。僕とつき合うことで前の環境に戻りたくないとか、あるいは僕がついてきた嘘や見栄につき合いきれなくなったのかもしれない。いずれにしても、縁があればまた会えると思う。
 しかしKさんは自殺してしまった。しかもそれを知ったのはKさんと連絡が取れなくなってかなり時間が経ってからだ。
 正直言って、僕のnoteに毎週感想をくれた2人とコンタクトを取れなくなったことでnoteに対するモチベーションがかなり下がってしまったのは事実だ。私生活は仕事して本読んで小説を書いてギターを弾くばかりだった。それでも人間関係はかなり寂しくなったのだ。MくんとKさん以外にも別れた人が何人かいた。文学フリマではScrap&Buildに関われたことで新しい人間関係もできたが、十年近い付き合いの知り合いも数人失ったりしたのである。
 特にKさんはもともと有名な広告代理店に勤めていて、僕が所属していた出版社にはマーケティングのアドバイザーとしていわば「客員社員」のような待遇で籍を置いていたのだが、なにがあったのかはわからない。
 ただ、Kさんは広告代理店に勤めて過労とパワハラで自殺した女性についてかなり手厳しく批判をしていて、曰く「一番大切なのは命。それすらわからなかったんだからどの道いつか死んでた」とにべもなかった。また僕が勤めていた会社の若い女性が自殺したときも、「遺族のために派手なお葬式にしてあげてください。なるべくみなさん参列するように」と最高責任者から言われていたのに、彼は葬儀に出なかった。すでに会社を辞めていた僕すら葬式に行ったのに。

 今にして思うと、Kさんは無理をしていたのだろう。弱味を見せないということは、弱いということなのだ。柳に風、という言葉もある。強くあろうとすると、ポキッと折れてしまうのかもしれない。もちろんこういうのは全部、僕の妄想で、実際は恋人に裏切られたとか不治の病だったとか、うつ病だったとか理由があったのかもしれないけれど、僕としてはとても寂しい。バカな話から真面目な話までできるMくんと、いろいろとウマが合ったKさん、二人を失ったことで「この経験をMくんやKさんと会ったときの土産話にしよう」という感覚がなくなった。

 それでも、これをひとつのキッカケにして、僕はもっと小説を書くことに打ちこもうと思う。そして思考をアウトプットするためにnoteもやはり頑張る。
 実は会社を辞めてからは、会社員である友達と飲みたいというそれだけの理由で土曜日をずっと休みにしていたのだが、それもやめた。三月からは土曜出勤で日・月・水が休みだ。なので、今度からは週刊少年ジャンプを見習って月曜日の更新にしたいと思う。

 幸い、ネタは尽きていない。ちょっと書評やってみようかなと思ってもいるけれど、僕はそんなに書評を読んできた人間ではないのでできるかどうか自信はない。しかも僕の読みかたは基本的に「独自の技法や刺さる文章があればOK」というかなり書き手側なものなので、話の筋に言及することも少ないんじゃないかなあというのが不安。読解力という点で、人様に見せられるものがない(『こちらあみ子』の書評はかなり反応が良かったが、それは『こちらあみ子』の力だろう)。まあ無料だし好きでやってるからいいんだけど……。

 もうひとつ、僕は基本的に「自己目的的行動」で本を読みたい。「書いている小説のために読む」ということが大切なのは承知しているつもりなのだが、その行動そのものが目的化していないとダメなのだ。もちろん、小説のために資料や先行作品は読む。でもどうせ書評をやるなら、「友達が勧めてくれて暇だから読んでみた」という気持ちでやりたいのだ。バズることを狙うというのはストレスが溜まりそうで嫌だ。
 一方で、今は一日の内に本を読めるのは二時間くらいということを考えると、noteで書評を書くというのはいいモチベーションになるかもしれないとは思っている。基本的に仕事の昼休みの時間には『戦争と平和』を読んでいて、それ以外の本は「一日に2,000文字書いて、それでも時間が余っていたら」という感じになっている。そこで景気づけのためにnoteで書評を書いてみようかなと。

 僕が出版社時代に唯一、人より勝れたのは「人が勧めた本や仕事のための本をほとんど義務感なく読める」ということだったので、これからはちょっとそれを活かしてみようかなと考えている。でも、読書が不純になってきたなと感じたらすぐにやめます。

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