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神社から大阪の歴史と文化に触れる。

大阪生まれ大阪育ち、こきゅうです。

昨日は大阪の生國魂神社さんの
ご神職である筆頭権禰宜の
中村文隆さんから
いくたまさんを通して見る
大阪の神社と文化とその歴史について
学んで来ました。

大阪って歴史深い!

講師の中村さんは力説され
そこから講座は始まりました。



となりの駅に住んでいた
短い時期には特に
氏神さまということから
よく通っていた
いくたまさん。

参加者中
先に集まれる人は
神社で集合して
まず座学前に
実際に拝殿より中に少し入れて頂き
本殿を目の前に
日本唯一の『生國魂造り』の説明を
受けることができました。

3つの屋根の重なりのような
破風(はふう)には
台風の強い風で葺いてある屋根が
飛ばされないように
重石の役割を担っています。
目にしながら聞いていましたら風の被害を防ぐためにある造りからも
大阪の中央部にある上町台地が
如何に高く風の通りがいい
氣の良い場所であるかが分かります。

何せ縄文時代から以後
土砂の堆積などで地形が変わり
大阪平野になっていくまで
上町台地は海に挟まれた
岬(難波之碕)だったのですから。

住之江や粉浜など
市内にある海にまつわる地名や
街中にぽつんと残る松の古木
海沿いに在ったであろう
背の高い石灯籠の存在

また住吉大社が海の神様を
お祀りしていることなどで
十分に知ってはいたものの

古図によってその範囲を確認すると
水都大阪として街が栄える遥か太古より
大阪の多くが海であったことに
(お勉強以前の情報に)感慨が深くありました。

ちなみに生まれた所は海で
育ってきた所や今の住まいは陸地でした。
河内っ子には『河内湾』という名称に
萌え!(笑)
(近頃、“海”という言葉に何故か敏感)

↓古図にはこんな風景が!
ミナミの街は海!千鳥も飛ぶ飛ぶ!!

今は谷町9丁目にある
生國魂神社さんですが
大阪城を建てる際に
秀吉&秀頼父子によって
今の場所に移設され
それまでの紀元前663年から2250年もの間
大阪城辺りに祀られ続けてきたのです。

このところわたしが
ご縁を感じて足しげくお参りに通う
神日本磐余彦尊さまですが

神武天皇として即位される前

東征のため
日向国から瀬戸内海を航行し
難波之碕に上陸された時に
いくたまさんは創祀されます。

でも
橿原神宮で手に入れた
これにはそのことは実は
描かれていませんでした。
上陸後すぐ日下の豪族との
戦いの話になる…

橿原神宮庁発行の漫画です!

まあ
橿原神宮さんにとっては
そう要らぬ項目なのか知れませんが(苦笑)
大阪にとっては
大きな功績があるということを
その後の歴史や文化から
知ることになりました。

そして

神とは何か?

という
いちばんの根本に
向き合うとします。

それに
容易く
答えられることができそうな
ヒントにようなものが
いくたまさんに祀られている
主祭神からうかがい知ることが
できました。
(※個々の考え方にもよりますが)

いくたまさんと言われる所以の
生島大神 足島大神は
島が生まれ
島が満ちたりて充足や成長していく様を
古代の日本人が神格化したもので
二柱合わせて一対の
生國魂大神(八十島大神)と呼称されるように
なったそうです。

河内湾に河川からの堆積物によって
砂洲ができ
島々に成長し
島々が繋がって大阪平野になりました。

その様は
八十島の神そのもので
日本列島の御霊。

そのことを踏まえて
中村さんは
諸外国で言うところの
God≠日本人が祀る神
であると
教えてくださいました。

そう考えると

神殿にある
鏡に映る自分の姿

かがみ から
が(我)を取ると
かみ(神)になる

と言われることにも

より分かり易く
納得できてしまった
わたしです。

稚拙でありながらも
自分が既に知り得ていることが
点と線で繋がって行く
その瞬間が
宗教性や思想に左右されることでもない
こういった学びの楽しい部分であると
感じました。


中村さん
主催の株式会社ジェダイさん
ご一緒だった皆さま
ありがとうございました。

(※古図画像はネットにてお借りしました)

『感じる書』アーティスト 石川呼穹


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