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真似てみることから始まるというところの大切さ。

お手本て
大切だなって思うのです。

話がまとまるか?まとまらないか?は
わたしの技量次第ですが
とにかく書いてみよう(苦笑)


随分前ですが
ウェブサイトのニュースで
子ども(小中学生向け)の
全国規模の某共済主催の
書道コンクールのお手本を
見かけました。

とある書道会の代表の方の
お手本でした。
横書きもOK
文字の構成(構図)も
“とめはねはらい”もない
というものでした。
(わたし、唖然)

書道コンクールなので
作品展という観点を意識してか?
従来のお習字
のようなものでは
全くなかったのです。

サイズには規定はあるけれども

「紙に自由な発想で書く」
という点では
いい事だとわたしは思うし
誰が見てもそれは
新しいものでした。

縦書きではなく
横書きもあっていい!

これはわかります。

が、

“とめはねはらい”も要らない。
もはや
書き順さえもいとわない。

文化庁のいう審議会の議事次第からの

【手書き文字の字形と印刷文字の字形の違いは字体の違いとして捉えられるものではなく,どちらかだけが正しい又は誤りとすべきではない。また,とめ,はね,はらい等の細かな差異についても,字体の違いに及ぶものでなければ,漢字の正誤を左右するようなものとして問題視する必要はない。】

というところ(が強調されていた)
から、

“楷書”にとらわれることもなく
“とめはねはらい”もこだわらない。
それを書くには従来の筆でもいいが
絵筆なら書きやすい。

といった
ただ筆で書く文字
としての書道の

書道コンクールのお手本を
なんとなくモヤモヤした気持ちで
見ていました。

敢えてここで
それはどんなものとは
出しませんし
従来の書道会が否定的であろうことに
チャレンジしていらっしゃるし
会派としてしっかり運営されているので

そこは良いとして…

だけども“とめはねはらい”の無い
そのお手本には
完全に

締まりがない

と、わたしには思えました。

出させたい親御さん方には
支持されていて
たくさんダウンロードされて
いるとのこと。
(あ、これはサイトニュース曰く)

従来の楷書、縦書きのお手本で
それぞれが書いても

個性はちゃんと在ります。

小学生で
書道の基本を無視して

自由な発想を引き出すことだけに
着目したお手本は

お手本であって
逆にお手本ではなくなる気もします。

まずは真似る…ことの大切さ。

書道に限らず「道」とついたものには

守破離

しゅはりという思想があります。

この場合の師弟関係とまでは
いかなくとも
子ども頃にまずお手本を見て
書く(守)の部分は大切です。

そこに書の基本もないもので
コンクールをするのであれば
会派をあげて公募するものだけで
やればいいのになぁと
思ったりしたのですが

その部分はこのコンクールの
手本を担当することで
この会派のやられていきたい部分を
広めたいという思惑が
主催者の趣旨と一致しているから
かも知れませんね。
(そこも自由ですし)

例えば
相田みつをさんも
榊莫山先生も
とてもユニークな書体で有名ですが

守破離

の思想を理解し
経験されてのことだから

個性として
後世に残っていくものなのだと
思うのです。
(この辺りはその会派でも
理解されているはず)

だから
このコンクールの良し悪しというより
自由な発想も
書の道としてとらえるのであれば
基本っていうものは
やはりある程度は
必要であるし

そのお手本の存在は
まず真似るという上で
とても大切なんだなと

わたしはしみじみ思います。

なお、
良い悪い
肯定否定
ではなくて
わたしは好きではないということです。

取り急ぎ、おしまい。

感じる書』アーティスト 石川 呼穹

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