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調整すべきは、仕組みの方だけなのか


結構前に、どっかの識者の方が
「学校に不適応を起こすからって安易に知能検査を勧めるな。点検すべきは学校の仕組みだろうが。」
みたいな主張をされていたんですよね。

これ、私は一部賛成、一部反対。

「人を責めるな、仕組みを責めろ」というのが
かの自動車製造大手、トヨタの仕事術にあるそうですが。
ここからきているのかなと。

子供の特性によっては、学校の仕組みは合わないこともある。
教室内でちょっと調整したら
びっくりするほどうまくいったこともあるし。
授業のユニバーサルデザイン化というのも進んできている。
私もなるべくそうできるよう、心がけている。

でもさ、一人一人に合わせていちいち仕組みを変えていくの?
(注:トヨタのはそういう意味で言ってるのではない)

前出の識者の方がどういう意味で言ったかはわからない。
点検はもちろん大事だし、
より多くの子供たちにフィットする仕組みがあれば
それに越したことはない。

そうは言っても、特に公立学校なんて、
全員が全員に合うはずないと私は思ってる。
だから、ほかの場所を検討したらいいんじゃない?
と本気で思うし、
過去に担任した保護者の方に、そう勧めたこともある。

だって合わないところで、いちいち
「うちの子に合わせた仕組みを作ってください!」って
ケーキ屋でお団子出せって言ってるようなものじゃない?
それ、行き過ぎるとモンスター〇〇って言われるやつ…。
今後も行く先々でそうやって、本当に子供のためになるかな?

もう1つ。

知能検査を受けることはいけないことなのか?
心理テストは良くて、知能検査はダメなの?
私は、知能検査を受けることは
「自分のトリセツ」を手に入れることだと思う。
自分の得意・不得意がわかることは
それに合わせた手立てが自分でとれるってことでしょ?
むしろいいことだと思うんだけど。
そうしたら、自分が環境に合わせる方法もわかるのでは?
無理して合わせる必要ないけど、
知っておいたらそれはとても有益だと思うのです。

一部反対と言っておきながら
ほぼ反対意見を述べてしまった…。
とは言え、賛成する部分も大いにあるのです。
ただね、ただ…。
子供が主体って、
なんでもかんでも子供に合わせるってことじゃないよね。
ここを勘違いしたくないなと思います。

私はそういう解釈で読み取ったのですが
本当は違うかもしれない。
けど、ちょうど思うところがあったので、
自分の意見として書いておきます。

最後に、
主体性と集団生活について
このコラムを見つけたのでシェアします。

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