「不登校を受け入れてもいいんじゃないか」 こじか漢方の方針転換
お子様全員に当てはまるという訳ではないという前提でのお話です。
これまで沢山の起立性調節障害のお子さんの治療をしてきました。
頭痛、吐き気、めまい、ふらつき。
どの方も3ヶ月もあれば、全快していかれました。
でも、そのうちお子様が2種類に分かれてくることがわかりました。
体が治れば学校へ行きたくてたまらない子。
この子達はあっという間に登校し始め、治療を卒業していきます。
残るは体が良くなっても、朝起きられない子。
今まで、後者の子どもさんが朝起きられるように、あらゆる手段を考えて、試し続けてきましたが、朝起きて学校に行くようになる子はそのうち数割。
体で何が起こっているのかは、おおよそ理解できてきましたが、でも完治に至りません。
そしてなぜか治療する自分自身にモヤモヤしたものが残ります。
こういう子供達は、休日、修学旅行やイベント、遊びの時などにはきちんと起きられるため、怠けていると思われがちです。
このお盆休みを全て使って、薬局で色々思索に耽っていましたが(ぼーっとYoutube見たり、昼寝も多かったですが)、ふと
「絶対に学校に行かなくてはならないのか?」
「私の仕事は、学校に行かせることなのか?」
という疑問に行き当たりました。
学校に行けば沢山の経験ができます。
それは間違いない事実。
しかし今まではそれが当たり前でしたが、新しい世代の感性、感覚にとって、数十人が一つの部屋に入っていることに苦痛を感じたり、雑多な音が混じり合う空間や、人と人の見えない束縛に馴染まない子もいるはず。
今まで、
「人は完全な球を目指すのではなく、これからは凹んだところ、飛び出たところを個性と認めて、できるだけ飛び出たところを伸ばしてあげる方が面白いことができるのでは?」と、自ら言っていたはず。
なら、治せる部分は治して、体は快適な状態にし、学校に行く行かないは本人の意思に任せ、治療を終了し、
この先、どんな選択肢があるのかを提示して行ったり、何をすればエネルギーが満ちてくるのかをコーチングで引き出していったりすることも一つのやり方だろうと思えてきました。
未熟な治療家としての言い訳とならないよう、今までよりももっとシビアに治療の精度を上げていかなくてはならないのは明らかです。
その上でさらにご両親との会話を増やし、学校が全てなのか?という問題を提起していくことも仕事の一つになっていくのかもしれません。
今後フリースクールなどとの連携も視野に入れていく必要もあるし、個性を伸ばしていくためのコーチングは是非、共感していただけるコーチに繋いで、伸ばせる個性を最大限に伸ばしていく方向を模索していきたいと思います。