競馬好きの先輩から「女優になれ」と言われた話
「仕事ができるようになりたいならなぁ、女優にならなきゃだめだ」
社会人になって半年くらい経った頃だろうか、たまたま職場に居合わせた「イトウさん」に言われた。
イトウさんは私より30歳くらい年上の男性社員で、小柄でインド人のような彫りの深い顔、いつも気難しい顔をしている。三度の飯より競馬が好き。府中競馬場に通い詰め、「JR」と言いたいのに、口から勝手に「JRA」と発してしまう。
つまり、一風変わった人だった。(仕事はちゃんとやる人)
そんな人から言われたものだから、競馬のやりすぎで遂におかしくなってしまったのだろうかと思った。イトウさんはさらに、同じ職場にいた私の4つ上の女性の先輩を挙げて、「あいつを見てみろ。あれは女優だよ」と言った。
彼女は私の教育係的な存在で、手取り足取り仕事を教わった。内勤・外勤どちらもそつなくこなすし、弱音や愚痴を吐いているのを見たことがない。おまけに韓国女優のような顔立ちで、オジサマの扱いが素晴らしく上手。嫌味のない受け答えで、上司やお客様ウケが非常によい。
ぺーぺーの私にとっては、近くて遠い、憧れの先輩だった。
しかし、イトウさんが言うには、「あいつは客の前と俺たちの前では態度が違う」らしい。お客様や上司、女性社員には丁寧だが、同僚の男性社員には小ばかにしたような態度を取るらしい。にわかには信じがたいが(女優なのだから当然だけれど)、イトウさんは「ああやって自分を上手く使い分けるやつが偉くなっていくんだよ」と、皮肉った。
あれから10年の月日が過ぎた。私もいくつかの職場を渡り歩き、色々な人と出会い、役割や職責の変化を経験して、「女優になること」は「場面によって自分を使い分けること」だと理解した。ある意味、仕事上で求められる役割を果たすことは「演技」だと思う。
「接客業」という役割は、少々気に入らない客にも笑顔を作る。
「マネージャー」という役割は、嫌われる覚悟で部下を叱る。
「人事」という役割は、会社を守るために他部署と一線を引く。
素の自分と演じる自分が近しい方が、仕事はしやすいだろうし、近づけていく努力も必要なのかもしれないが、そんな上手い役ばかり回ってくることはない。本当はやりたくない、苦手なことであっても、「そういう役を演じているだけ」と割り切るからこそできることはかなりある。実際、ある程度の職位に就いている人と関わると、「この人もきっと演じているんだろうな」と感じることも少なくない。
社会人経験をそれなりに積んだ今でも、気が進まないことがあると「大丈夫、これは演技だから」と魔法の言葉を心の中で唱える。素の自分を切り離して捉えることで、気持ちを整理して一歩を踏み出している。
綺麗ごとだけでは仕事はできない。だからこそ、心の中に女優を飼い、ときどきなりきる。それで物事が上手く回るのであれば、それだって立派な仕事術だ。