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自分のことを少しずつ認めるために。『傷ついた癒やし手』を知って、思ったこと。

こんにちは。コハルです。
皆さんには認めたくない自分の過去や体験ってありますか?
私は不登校時代の自分自身をなかなか認めることができずに、その過去も「できるなら記憶から消し去りたい」と思っていました。

※注意※
ここから先では私の中のイメージを話しますが、暗い内容もあります。ネガティブな感情に引きづられそうな方は、目次から【『傷ついた癒やし手』とは】まで飛ばしてください。

私の中にいる昔の私

私は、胸の辺りに不登校時代の私が住み着いている感覚やイメージがずっとあります。
あの頃の私はいつも「消えてしまいたい」との思いが強く、親に気づかれないように夜中に声を殺して泣いていました。時には刃物を手にして死を考えたこともあります。暗い部屋のベッドの上で、体育座りをしながら泣いている姿…そんなイメージが今でも残っていて、時々現れてきます。表情は見えない、けれど孤独や悲しみが伝わってきます。

カウンセリングの途中でもこの子は時々現れます。
この子を思い出すと、その他の嫌な記憶まで溢れそうだったので、最初のうちは蓋をして開かないように、見ないようにしていました。
しかし、見ないようにしているけれど、胸の辺りに感じるモヤモヤ感や黒い塊の感覚。このイメージも「早く消してしまいたい」と思っていました。

消したい、から「存在を認める」へ

今月受けたカウンセリングでの出来事。
いつものように胸のモヤモヤ感や、暗いイメージが浮かんできたのでカウンセラーに伝えました。「この子を消すのは違うと思うけど、暗いイメージは消したいんです」「せめて暗い部屋のイメージだけでも変わればいいんだけど」と。
セッションの中で少しずつイメージの変換は進み、その子を安全な場所へ引っ越しさせることに成功しました。今は、テントの中で一緒にホットコーヒーを飲みながら、ボーっとしています。笑

また、カウンセラーからは「傷ついた治療者って知っていますか?」と。
傷つきを経験したからこそできる支援もある。
私の中に住んでいる昔の私は、精神科医療に携わっている今の私をサポートしてくれているんだと気付かされました。「消したいなんて思っていてごめんね。」そう心の中で呟きました。

『傷ついた癒やし手』とは

私の中に住む昔の私を少しずつ認め始めるきっかけになった【傷ついた癒やし手】というキーワード。興味が湧いたので私なりに調べてみました。

参考にさせて頂いた論文は
【心理援助者養成教育における「傷ついた癒やし手」というジレンマを指導者はどう考え、いかに対応するのかー文献展望をもとにしたー考察ー/著:林 智一】
香川大学学術情報リポジトリより検索可能。
PDF形式ですが、論文も貼ってます。興味がある方はぜひ!

心理援助者として「傷ついた癒やし手」に最初に言及したのは、分析心理学の祖であるC.G.Jungだと言われる。Jung(1951)は、心理援助者の逆転移に関する論 文の中で、「より深いところに達するあらゆる治療は、およそ半分が医師の内省にある」とし、「医師が患者において正すことができるのは、自分自身において正したものだけ」であり、「自分自身の傷つきの分しか、医師は治すことができない」と述べている。さらに自伝には、「傷ついた医者のみが癒やす」とまで明記している(Sedgwick, 1994)。

心理援助者として最初に言及したのはユングのようです。心理学者の『ユング』といえば、名前は聞いたことがあるのではないでしょうか?
また、同論文では

心理援助者の傷つきがクライエントに対する共感性と理解、受容を育み、癒やしの過程で役立つという研究が見られている(Bennet,1979)。〈中略〉しかし、「傷ついた癒やし手」には肯定的側面だけでなく、否定的側面もあることが指摘されている。たとえば「傷ついた癒やし手」は、臨床活動によって癒やし手自身を癒やそうとする隠された動機を持つという指摘も見られている(Henry, 1966)。

「クライエントへの共感性」という肯定的側面がある一方で、「隠された動機を持つこと」の否定的側面があることも指摘されています。私の中では諸刃の刃のイメージで、治療的に活かすには自分自身を知り、内省を深める必要があるのかな?と思いました。

『傷ついた癒やし手』を知って、どう思い、考えたか?

まずは、不登校時代の恩師の言葉を思い出しました。
「人とは違う経験をしたから活かせるといいね」
この言葉を受けて、私は精神科での勤務を検討し始めます。
きっと私の中に住んでいる昔の私は、今の精神科医療に携わっている私を助けてくれているはずだと。

私にとって不登校時代の体験は人生で一番辛いものだったし、記憶が消えてくれればと思っていました。過去は変えられないから捉え方を変えるしかない。そう思っても難しいし、正直無理だと。だって胸の中にはモヤモヤした感覚があり、急に嫌だった記憶が呼び起こされることもある。過去を認めたり、別の角度から考え直すことの難しさも正直あります。

でも、『傷ついた癒やし手』を知った時に、もう一人の私を消そうとしていたことに対して申し訳なさが湧いてきたことも事実であり、少しずつ共存できればいいのかな?と今は思っています。二人三脚でやっていくイメージで。きっとこの子は私のことを陰ながら支えてくれているはずだから。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
不登校時代のエピソードは「書きたいけど書けない」と思い、手をつけずにいました。ですが、もう一人の私の捉え方も変わりつつあるので、私自身のリハビリとして次回以降は過去の出来事にも触れていこうと思います。

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