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芽吹き

12時に目が開いて、意識が広がっていきました。
伸びをして、水を飲んで、ベッドを整えました。
YouTubeで心地良い音楽を流して、トイレを済ませて、顔を洗いました。
ここのところ、寝起きがだるくて、思うように動けない日が続いています。
でも気持ちが落ち込んだりはしていないので、なんとか大丈夫です。

中学校の卒業式だったと記憶しているのですが、来賓の市の偉い人が贈ってくれた言葉が今でも心に生きています。
それは『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉です(ことわざかな)。
「こういう人になっていってください」と言葉の意味を説かれて、「そうか、なるほど、確かに」と深く胸に刻みました。
差し込む光を掴むように、そういう人になりたいな、なっていこう、と中学生は誓いました。

高校生の頃、家に兄の友だちが遊びに来ていました。
「勉強みてあげるよ」と言われて、私は宿題の数学のノートを広げて渡しました。
私が解いた数式を見て、兄の友人は、「難しい解き方してるね」と言いました。
え?そうなの?と私は思いました。
私は授業で教わった通りの解き方をしただけだったので、『難しい解き方』という意味がよくわかりませんでした。

兄やその友人が通っている高校は、地元でも1番偏差値の高い学校でした。◯校に行ければ大したもんだ、と言われるような高校でした。
『難しい解き方』と言われて、「じゃあ簡単な解き方ってどういうものなんだろう」と思いましたが、簡単な解き方は教えてもらえませんでした。
答え自体は合っていたので、詳しい説明はなくて、「いいんじゃないかな」と、そのままノートを返されました。

漠然と、「ああ、そうか」と思いつきました。
頭良い人は、答えに最短で辿り着けるんだな、と思いました。
そういう人は、小難しく考えたりせずに、すんなり進める道を選ぶことができるんだ、と感じました。それが思考の訓練によるものなのか、閃きの類なのかはわからないけど、すごいなぁと感嘆しました。

それ以来、あまり難しく物事を捉えないようになりました。
私程度の頭で難しい考え方をしても仕方ないよね、とも思いましたし、そもそも真面目にできている(どの占いを見ても性格が真面目だと書いてあります)型枠を外していった方が、楽に生きられるような気がしました。

ほんの小さな、ともすればあっさり行き過ぎていってしまうような出来事ですが、それらは私の中で種となり、芽をふき、根を張りました。

読んでくださってありがとうございました。
ではまた明日。
おやすみなさい。

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