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2013年の作文・4月

2013.4.1
きょうぼくは裸で渋谷の街を練り歩きました、という嘘からはじめたい。ほんとうは黒のジーンズと黒のセーターを着て映画を観にバスで渋谷に出ました。「アンナ・カレーニナ」の前売りチケットを持っていたので、鑑賞。ストーリーを知っているお話を映画で改めて観るという経験はこれまでにいくつもあるけれど、トルストイの名作ですから期待はおのずと大きくなっていた。今回の映画は舞台上でのお芝居のように映像が展開していくとてもユニークな演出で、はじめはなかなか面白いと思っていたのですが、アンナがだんだん壊れていくシーンになって、少し間延びした感がして飽きてしまった。まあ悲劇だから、しょうがない。こればかりは嘘をつくわけにもいかない。感じたまま記しておく。ぼくは、映画館を出て、西武百貨店に向かった。きのうの続きで、ちょっくら〈コム デ ギャルソン〉を覗きたかったからだ。鷲田清一さんの本を読んでいたら、デザイナーの川久保玲さんが〈コム デ ギャルソン〉というブランド名を考案したのが1969年であるらしい。1969年生まれのぼくにとってこれは一つの運命か。なんてことを思いつつ、パーッと眺めたけれど、これはという商品に出会うことはなかった。それよりも、渋谷の街ですれちがう人々の思い思いのファッションをみている方が面白くて、しばらく人間ウォッチング。気になるのはやはり「黒」だった。
《山本耀司とともに川久保玲がパリ・デビューしたとき、かれらのもち込んだ服は「黒の衝撃」と呼ばれました。色のバランスとかフォルムの冒険などデザインの歓びとなるものを一切みずからに禁じ、黒一色の、それも穴やほつれだらけの服を提示した、その姿勢は大きな衝撃を与えました。その川久保の服を愛し、年がら年じゅう、黒い服ばかり着ていた若い女性に、わたしの友人がこう尋ねたことがあります。「どうして黒ばかり着るの?」。するとその女性は、「これ着ていると、男の子が言い寄ってこなくていいの」と答えたそうです。》(鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』ちくま文庫 95頁より)
川久保玲さんのパリデビューが1981年。日本で最初のデザイナーズ・ブランドブームが1982年から。そのころに「カラス族」と呼ばれた人々によって黒のブームが起こっている。いやあ、ほんとうに黒い服ばかりだった。それを引きずっているのか、ぼくらの世代で「黒」が好きという人は多い。まあ、黒は他の色と組み合わせやすいとか、汚れが目立たないということだけで選ばれる可能性も高いのだが。いずれにしても、ぼくの中学・高校時代と、DCブランドブームは切っても切れない関係にある。通った高校が都立であるにも関わらず男女共に制服がなく、みな思い思いの私服で来ていたという環境で、モードが学校のなかに入り込んでいたという事実はやはり大きい。
《品定めするようなねっとりした異性の視線の包囲を押し返して、あるいは異性のまなざしの対象としてじぶんの外見をあらかじめチェックするような自己意識の惰性から解き放たれて、女性がじぶんの存在感覚を、あるいはセクシュアリティの意識をそのままに表現できるような回路を開いてくれる服、あるいは女性というよりひとりの〈個〉として地をしっかりと踏みしめて歩けるような生き方を支えてくれる服……川久保の作る服は、どうもそのような服として若い女性たちに受けとめられてきたようです。》(同書 98頁より)
「男の子のように」という意味の〈コム デ ギャルソン〉についてこのような解説ができることを知って、80年代を振り返れば、なるほどと頷けることがある。女らしくとか男らしくがどんどん廃れていった時代でもあった。共学に通っていたけれど、女子はどんどん男っぽくなっていたし、男子は女々しくなっていた。しかし、そういう時代に男らしく生きてみると逆に目立ち、女らしく振る舞えばやたらにもてたりもする。それこが予測不可能なモードの危うさなのだろうけれど。
 
 
2013.4.2
雨がやまない。四月の雨か。松本隆さん作詞の「赤いスイートピー」のワンフレーズを思い返す今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか。
《四月の雨に降られて駅のベンチで二人/他に人影もなくて不意に気まずくなる/何故あなたが時計を/チラッと見るたび泣きそうな気分になるの?》
ユーミンのメロディーにこの詞が乗ると、春を感じるわけなのだ。それにしてもシャイな彼。それに比べて彼女はもうちょっと踏み込んで欲しいと望んでいる。なかなか前に進めない、恋する二人の微妙な間柄を、これほどシンプルに表現している歌は他にない。この世界観を80年代の聖子ファンの男女は共有していた。そして、今でもコンサートに集っては、あの頃のままの気持ちでこの歌を合唱する。別の世代の人間が見たら、一種の新興宗教の儀式のような光景だが、ぼくはそれを理解する。スイートピーに赤がないことを国民が知ったのもこの歌のおかげであるというから、歌の力は計り知れない。それはまた詩の世界の優位が証明された出来事でもある。現実に青いバラや赤いスイートピーがなくても、小麦色のマーメイドやピンクのモーツァルトがいなくても、歌が流行れば、それらの言葉はぼくらの記憶に刻まれて、絶大な存在感を顕わす。知り合って半年が過ぎているのに手も握らない彼氏がどこにいる? とつっこんでしまう人には、詩心というものが分からない。握りたくても握れない男の臆病と欲望を理解できる人には、このフレーズは救済の言葉でさえある。ぼくは思い出す、高校三年の秋、やっとのことで誘ったデートで、どのようなタイミングで彼女の手を握ればいいのか、そればかり考えていて、他のことは何も覚えていない日のことを。あの緊張とトキメキをもう一度味わいたい。そんな思いがあるからこそ、人は文学を手放すことができないのだろう。「赤いスイートピー」は歌ではあるが、文学でもある。しかも繰り返しに耐えられる優れた文学である。前置きが長くなった。鷲田清一さんの話の続き、
《ファッションにおいてリアルなのは、ゴージャスなブランド品だけでなく、「着やすい服」や「無印」も、ときには貧相やパンクも、さらにはモードなんて糞くらえというアンチ・モードすらも、流行りのモードになりうるという、消費社会の逆説的な事実です。ジャン・ボードリヤールという現代フランスの社会思想家は、高度消費社会のあり方を「あらゆる記号が相対的関係におかれるというモードの地獄」というふうに規定しました。/川久保の作る服には、そういう認識が深く縫い込まれているように思います。そこで、そういうモードの専制力と狡智と惰性に呑み込まれないために川久保がとった戦略は、モードよりも速くモードを駆けぬけるという、綱渡りのような困難な戦略でした。》(鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』ちくま文庫 104頁より)
えらいことを始めてしまったものだ。これがもしも本当なら、〈コム デ ギャルソン〉にご苦労様と言ってあげなくてはならない。そして、それが本当に可能だったのかどうか、きちんと見届けてみたい気がする。こうなったら、ショップに行って、もう一度、商品を手にとってみないことには気がすまないぞ。
 
 
2013.4.3
きょうは午後まで雨降りだった。雨の水曜日。ぼくは雨の日に喫茶店で本を読むのが好きだ。窓の外で傘をもつ人やレインコート姿の人が足早に過ぎ去っていくのを見ていると、なんだかとても落ち着く。お店の入り口で、肩に落ちた水滴を落とす様子や傘をたたむ仕草を見ているとその人の人生の重要な部分を盗み見している感じがしてくる。雨音を聞きながら人を待っているじぶんを想像すると胸がきゅんと絞めつけられる。きょうは、鷲田清一『たかが服、されど服 ヨウジヤマモト論』(集英社)を読んだ。この本には、1981年から2003年までのコレクションの写真が年代順にたくさん掲載されているので、山本耀司を知らなかった人には、最適な入門書となるだろう。大人のための絵本のようにパラパラと楽しみながら読める。鷲田さんの詩的な文章がまた流麗である。
《ある意味で同志としてやってきた川久保玲がその〈いま〉のたえざる更新、つまりモード変換を加速することで、〈いま〉が簒奪される前に〈いま〉を作りだすことで、モードの論理を正面突破ですり抜けようとしているとすれば──彼女はだれも追いつけないような速度でじぶんを更新する。彼女がじぶんのイメージを引きずること、じぶん自身を模倣することを何よりもじぶんに禁じているのはそういうわけだ──、山本はむしろ視線をめくり返すと言ってもいいだろう。ひとが橋の上に立っているとしよう。流れてくる水を見ながら次に何が流れてくるか、それに眼を吸いつけさせるのがモードだとすれば、流れてくる水へのその川上向きの視線を裏返すことで、つまり水の流れが消えゆく方向にまなざしを転換することで、次に〈いま〉になるものではなく、たちまち〈いま〉でなくなってゆく時間のそのフェイズに眼を据える。〈いま〉という瞬間を、山本はしばしば刹那と表現するが、そういう気分で、壊れゆくもの、消えゆくものとして、いまにふれているのだろう。/言ってみれば、山本は後ろ向きに未来のほうを向いている。》(27頁)
ぼくは鷲田さんが何を言いたいのかよくわからない。後ろ向きに未来のほうを向く? 視線を裏返す? 少し現象学の知識が必要なのかな。しかし、モードに挑戦することの難しさや危うさがこの文章からは伝わってくる。デザイナーは、それぞれに終わりなき闘争を続けているのだろう。革命を意欲する者はそれを覚悟せよ、ということだろうか。音楽や美術について、または演劇や映画について、その本質に迫る言葉を見つけ出そうとすると、やはり同じような壁にぶつかる。それは存在がいつも時間と共にあるからだ。時間という言葉はあっても、時間を止めて見ることはできない。そもそも時が流れているかどうかさえ、ほんとうのところ誰も証明できないのだ。モードはその時間論を含んでいるために、どうしてもぼくらの言葉をすり抜けていく。
 
 
2013.4.4
モードについて考える時、ぼくはズボンの話を例にして話すのがいいと思う。むかし、ラッパズボンというのがあった。ぼくが小学生の低学年の頃、男性アイドルで言えば、西城秀樹や野口五郎がはいていた。山本リンダもはいていた。きっと若者はみんなはいていた。だから小学生のぼくでもラッパズボンを持っていた。ビートルズがはいていたから、世界中ではいていただろう。そのラッパズボンをいつしかとても時代遅れなものとして、嫌なものだと感じた瞬間があった。そして、ぼくは普通の半ズボンをはいた。しかし、いつの間にか子どもっぽいからという理由で、半ズボンもはかなくなった。はけなくなったと云った方が正しいか。そしてジャージをはくようになった。その頃、まわりはみんなジャージだった。プーマとかアディダスとかナイキが出てきた。そして、ジャージがとても田舎くさいものに感じられて、いつかはかなくなった。それからはジーンズだ。ボブソンズとかエドウィンとかリーバイスとかだ。高校にあがると、ジーンズよりチノパンとかスラックスのズボンをはきたくなっていた。やがてスーツを着るようになって、上下の揃ったものになっていく。ところが、その頃には、再びラッパズボンがベルボトムやブーツカットという名前で再浮上してくる。ジャージだってスウェットという形で再浮上し、半ズボンでさえハーフパンツとして再浮上してくる。どうして、このような流れが起こるのか、まるで渋滞がどこから始まっているのかを知ろうとしても分からないのと同じで、いつ誰がその流れを作り出しているのかを誰も知らないのだ。モード変換、ファッションの不思議をぼくらは日々の生活のなかで実感し、意図的に操作できないことを思い知らされている。今ぼくは細いジーンズをはいているが、なんだかダブダブのズボンもいいかなと思い始めている。これが個人の趣味の範疇にあるのか、それとも周辺の微妙な変化に反応しているだけなのか、ぼくの意識だけではそれを判定することができない。音楽の趣向も同様だ。食べ物もそうかもしれない。身につけるものから、行く場所、読むべき本や観るべき映画など、流行りものに抵抗しようとしまいとそんなことに関係なく、流れているのだ。ぼくは仕事でつなぎの作業服を着ている。もしかしたらこれが次に来るかもしれないのだ。
 
 
2013.4.5
◆月の船 2013.4.5◆
 
三日月か

思ったら
夜空

浮かぶ
海賊船
だった
 
雲海

荒波
を越えて
 
あの船

これから先
どこへ
向かって
ゆくのだろう
 
 
2013.4.6
言葉には流行語というものがある。流行語のほかにも、使って新しい言葉や古いと感じる言葉もある。だから詩人といえどもモードの外に出るわけにはいかない。80年代に、ぼくらはかっこいいものや新しいものをみた時「ナウい」と言って褒めたものだ。「now=今」だから、「イマい」という言い方をする者もいた。「ナウい」の反対が「ダサい」だった。ところが、「ナウい」という表現自体がダサいと思われるようになって、いつしか使う者がいなくなった。それに比べ「ダサい」は今でも生き延びている。それがなぜなのかを研究する余地はあるかどうか。その他にも日本語の変化の軌跡を追っていくとおもしろい。二人称の「君」は、君主のことを指す敬称だった。つまり相手を王様のように扱っている言葉だった。しかし、今では年下のものが目上のものに「君」とは云えなくなっている。「貴様」も間違いなく敬称だった。貴族の貴に、様をつけているわけだから二重に相手を敬う言い方だ。それがどうだろう。今では「きさま~」は、相手に殴りかかろうとしているシーンにしか出てこない。「御手前」とか「手前」は、相手の前にいるじぶんを指していた言い方であったものが、今では二人称の「てめえ~」となって活躍している。最近では、「やばい」という言い方がある。おいしいものを食べて「これやべえ」と言っているのを聞いて、肯定していると思う世代と、否定していると思う世代がある。ぼくはちょうどその中間に位置する世代で、「やばい」が危険という意味であることを知っていると同時に、最上級の褒め言葉であることも知っている。言葉と意味は一対一の関係にはない。意味にズレがあることを知らないとコミュニケーションは成立しなくなる。文脈とか背景を踏まえながらそこに立ち現われる述語を解釈するという技術がぼくらには求められているのだ。たとえば、「けっこうです」と言われ、YESなのかNOなのか分からない時がある。「伺ってもよろしいですか?」「けっこうです」。その時、相手との関係性や話の流れが分かっていないと、相手の意味した事とは正反対の結論を下してしまうかもしれない。「ぼくと付き合ってくれませんか? お願いします」「いいです」「いいんですか? やったあ!」「いえいえ、いいです、あたしなんか、遠慮します。」
 
 
2013.4.7
鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』ちくま文庫より引用を続ける。
《ファッション・デザイナーと生地製造者・パタンナー・縫製技術者らの関係がどのようなものか知りたくて、織り・染め・絞りなど、川久保玲の服の生地製造を一手に引き受けている職人さん(松下弘さん)を訪ねたことがあります。いろいろお話をうかがっているうちに、その職人さんの口から、あっと驚くようなお話がもれてきました。デザイナーとは年に二回、数時間会うだけ、それも何か世間話をするくらいだという話です。/「生地を作るとき形のことは考えません。素材を作ればあとはあちらがこなしてくれるでしょう。わたしは服はわからないんで、生地を作ったあとはそれ以上踏み込まないことにしています。わたしたちのあいだでは、つねに、なんとなくというかんじで決まっていくんです……」/年に二回、東京に出て、川久保さんととりとめもないおしゃべりをして別れる。すると、あとでファクシミリでなにか暗号のような単語が伝わってきて、その片言をひょいと受け取って、500種くらいの生地を一から作りだす。それを受け取ったデザイナーがこんどはそれをもとに服を構想し、さらにパタンナーがそれをいじくりまわす。生地・デザイン・パタン・縫製と、パリ・コレクションの前には全体でテンションを上げていく。デザイナー側の仕事ぶりを横から見ていて、乗りがいま一つわるいなと感じると、会社の連中のテンションを上げるために、わざと生地の発送を遅らせることもあるというのです。》(143頁から144頁より)
ぼくのイメージでは、一から十までデザイナーの言いなりに全てが動くのかと思い込んでいたが、そうではないのだ。支配者と従者という関係では、世界に通用するような服は作れないということか。このエピソード、含蓄があるなあ。川久保さんと松下さんの関係がまた粋じゃないですか。なるほど、この上下でない間柄でないとダメなんだろう。ぼくもかつて雑誌を作っていたので、少しはわかる。一つの雑誌を完成させるまでのプロセスは、企画、営業、編集、校正、印刷、製本というそれぞれのセクションに仕事が期限内にリレーされていく。チームワークなしに本は出来上がらない。おそらくすべての商品は、協同による作業を経なくては産まれない。だから、人と人の関係が重要なのだ。この話でファッションに対する親近感が少し増したように思う。 
 
 
2013.4.8
春と修羅  (mental sketch modified)
   
 
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)
   
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
 
 
4月8日にはやっぱりこの詩を読みたいのだ。 
朗読→ https://youtu.be/0WqwHpy_v2g

 
 
2013.4.9
なんだか急にマルクスの本が読みたくなった。大学時代に一度読んでとても感動した『経済学・哲学草稿』の新訳を図書館で借りてきたので、少しずつ読んでいこうと思う。ぼくが昔読んだのは岩波文庫だったが、光文社古典新訳文庫から長谷川宏訳が2010年の6月に出ている。
《なにかを説明するとき、国民経済学者は原始状態といったものを想定するが、わたしたちはそんなことはしない。原始状態によってなにかが説明されたためしはない。問題が霧のかかった遠方へと押しやられるだけだ。導き出さねばならないのは、分業と交換といった二つのものの必然的な関係なのだが、国民経済学はその関係を事実として、出来事として、前提してしまう。神学者が悪の起源を原罪によって説明するのもそうだが、説明すべきものを、歴史上の事実として前提してしまうのだ。》(「4.疎外された労働」91頁より)
この草稿は、26歳のマルクス青年が、未完のまま残した論考で、死後49年立った1932年に公になったとのこと。だから1932年以前の人はその存在知らなかったことになる。草稿が書かれたのは1844年、19世紀ヨーロッパ、近代化と資本主義の台頭によって人間がどんどん手段化されていくという時代背景を踏まえながら、若き学究がなにを意図してこの考察に臨んだのかを思い遣る必要があろう。カール・マルクスは、じぶんより百年前に生きたイギリスのアダム・スミスや、リカードなどの経済学者の論点を踏まえ、彼らの著作からふんだんに引用をしながら、それを批判的に乗り越えようとする。ぼくが最初に面白いとおもった箇所は、古典的な経済学がなにかにつけて原始状態からはじめるが、そんなものはおとぎ話でしかないと一蹴するところ。そこには血気盛んなマルクスがいる。しかし、ぼくから見れば、この批判はブーメランのように戻ってきてマルクス自身の首を切り落とすことになるのではないかと思う。学者は、説明責任に追われて、ついつい説明すべきものを歴史上の事実として前提してしまう悪い癖があるからだ。きっとマルクスも同じことをしてしまうにちがいない。それは追い追い明らかになるだろう。その前に、ぼくはマルクスのいいところ探しをしておきたい。例えば
《物の世界の価値が高まるのに比例して、人間の世界の価値が低下していく》(92頁)
資本主義の社会では、しばしば人と物が天秤にかけられて、物が優先されるような局面に出くわすことがあろう。上の言葉は簡潔にそうした事態を想起させる名句である。
《商品をたくさん作れば作るほど、かれ自身は安価な商品になる》(91頁から92頁)
これなんか、昨今のアイドルたちのことを想像してみるとよい。テレビに出演して歌を次々発表し、作品を作れば作るほど彼女たちは人ではなくどんどん商品と化していく。
《労働者は、自分の生産する富が大きくなればなるほど、自分の生産活動の力と規模が大きくなればなるほど、みずからは貧しくなる》(91頁)
映画「モダンタイムス」のチャップリンの滑稽な姿が思い返される。工場がどんどん巨大化し、生産量がどんどん増えていくにつれ、そこで働かされる従業員の生活からは自由な時間がどんどん奪われてしまう。待遇が悪いうえに賃金は上がらず、労働時間ばかり増えていく。
 
 
2013.4.10
もう10日たったのか。という言い方は正しいのだろうか。過去を振り返ると、もう10年とか、もう20年とか、いくらでも年数を増やせるわけで、ほんとうはきのうから一日たったにすぎない。一日の長さは同じなのだから、何日たとうと、何年過ぎようと、明日に備えて懸命に生きるだけなのだ。マルクスの続きを読もう。マルクスは私有財産の関係を一般的にとらえる共産主義には三つの形があるとした上で、次のように云う。
《第三の共産主義とは、自己疎外の根本因たる私有財産を積極的に破棄する試みであり、人間の力を通じて、人間のために、人間の本質をわがものとするような試みである。それは、人類がこれまで発展させてきた富の全体のなかから意識的に生じてくる、人間の完全な回復であり、社会的な人間の、つまり人間的な人間の、完全な回復である。この共産主義は人間主義と自然主義とが完全に一体化したものである。人間と自然との抗争、および、人間と人間との抗争を真に解決するものであり、実在と本質、対象化と自己確認、自由と必然性、個人と類とのあいだの葛藤を、真に解決するものである。それは、歴史の謎を解決するものであり、解決の自覚である。》(マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳「第三草稿 2.社会的存在としての人間」145頁より)
どこまでも人間を信じ、人間と社会の理想を力強く掲げた若きマルクスの清新な息吹を感じる一節である。全世界を東西に二分するほどの影響力を持った、思想界の巨人としてのマルクス、その顔をここでは忘れてしまった方がいい。純粋に、人間と自然との不調和、人間と社会との矛盾を解決したいと願うビューティフルドリーマーとしての青年、ぼくはシンプルにそんなマルクスに好感を抱いている。
 
 
2013.4.11
若きマルクスが理想とする社会では、人間と人間が、また人間と自然が対立するのではなく、調和している。そしてその理想が理想のままでなく現実になるのが、共産主義であり、その最大の障害となるもの、それが私有財産である。
《私有財産の積極的な廃棄による人間的な生活の獲得は、すべての疎外の積極的な廃棄であり、人間が宗教、家族、国家、等々から解放されて、人間的な──つまり、社会的な──存在へと還っていくことだ。》(マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳「第三草稿 2.社会的存在としての人間」147頁より)
マルクスの話を聞いているかぎり、「人間的」であることと「社会的」であることがイコールで結ばれている。この理論で、マルクスが何を意図したか。おそらく19世紀ヨーロッパの現実を直視したときに、人間が人間として扱われない営利活動が大手を振って闊歩していた。資本主義は人間を置き去りにしていく。宗教は見て見ぬふりをする。家族は個人を束縛する。国家は人間を道具にする。そんな時代には、「人間的」であることがどれほど尊いことであるか、そして「社会的」であることがどれほど難しいことであるか、ぼくらはみなそれを知っている。20世紀には、人類がみなそれを経験したのだから。
《社会そのものが人間を人間として生産するとともに、逆に、社会が人間によって生産される。活動と享受は、その内容からしても存在様式からしても、社会的だ。社会的活動であり社会的享受だ。》(同148頁)
《自然の人間的本質は社会的な人間によって始めて自覚される。》(同)
《社会的な人間にとって初めて、その自然な生活が人間的な生活となり、自然が人間化される。だとすれば、社会とは、人間と自然とをその本質において統一するものであり、自然の真の復活であり、人間の自然主義の達成であり、自然の人間主義の達成である。》(同149頁)
このような指標を胸に、マルクスは単なる学問探究者から、革命家としての道を歩んでいくことになった。彼の叫びは、同じ時代の空気を吸う青年たちの心に強く響いたであろう。革命を意欲する若者なら、この高邁な精神がすぐに伝播していく。分かるような気がする。マルクスは、宗教なしで、人間的社会を実現しようとした。そして、今もその精神は生きている。「宗教なし」という点に、大きな課題が残るとしても。
 
 
2013.4.12
マルクス主義が嫌いでも、マルクスを好きになることはできるとぼくは思う。かつて、ぼくはキリスト教が嫌いだったが、イエスのことは好きだ。日本の仏教は嫌いでも、ブッダを尊敬している。おそらく後世の革命家たちは、人間マルクスの思いや行動に感動して、彼の経済理論からじぶんたちの運動を正当化する言葉を探し求めたにちがいない。ぼくの通った大学は、左翼の強いところで、思想系サークルでは、社会主義や共産主義を真面目に研究するグループがいくつもあった。そんな環境だから、ぼくも自然とその影響を受けたのだが、実際に左翼運動に携わっている学生たちとは思想的に対立した。彼らは民衆を救済するためと言いながら、どこか人を馬鹿にしているところがあった。同じキャンパスで、テニスやダンスなどに興じ、合コンに明け暮れている学生たちを軽蔑していた。それはそれで彼らの自由だから、別にいいのだが、彼らがわざわざ民衆から遊離した場所で、いったい何を研究し、何を実現したいと思っているのか、それが知りたくてぼくはよく一人で彼らの部室を訪ね、議論し合った。
《マルクスの「唯物史観」は、論争的性格をもっていた。当時の論争的文脈では、経済を強調することこそはひとつの「発見」であった。論争のなかで主張される「理論的」命題は、相手の命題に反論するために、あえて一方の対抗命題にアクセントをおくことを余儀なくされる。精神を強調する観念論的諸潮流と対抗するためには、物質的なもの(現実の生活としての経済)を極度に強調せざるをえない。とはいえ、学問的見地からいえば、論争的命題は、真実の理論命題にはなりえない。》(今村仁司『マルクス入門』ちくま新書29頁~30頁より)
まことに重要な指摘である。論争的命題と理論命題の混同がどれほど誤った性格の運動を生み出していることか、このことはなんど強調してもよい。たとえば、詩に表現される言葉が、事実を伝達するための表現だと受け取られたらどうなることか。そうなったら詩人はみな単なる嘘つきでしかない。
《ところがマルクスの後の弟子たちは、論争文書を歴史的文脈から切りはなして、マルクスの時々の命題を一般化し教条化した。それが経済史観、別名、唯物史観(史的唯物論)とよばれるものである。ドイツの社会民主党の理論家が経済史観の公式をつくり(カウツキー、その他)、それをロシア共産党の理論家たち(レーニン、ブハーリン、スターリン等々)がそっくり継承し、二十世紀の「マルクス主義」として全世界に流布させた。》(同 30頁)
「マルクス主義」を見ればマルクスが見える、というわけではない。今村仁司が長く現代思想と格闘して導き出した結論である。惜しいことに2007年に今村教授は亡くなってしまったが、学生時代に彼の講義を直接聴講できたことは、ぼくにとって大切な思い出の1ページである。
 
 
2013.4.13
思想の悪用がどうして起こるのか。ニーチェがナチスのファシズムに悪用され、フロイトがアメリカの商業主義に悪用され、マルクスがスターリンの共産主義に悪用され、日蓮が戦前の日本主義に悪用された。思想の悪用は、古今東西、歴史を見れば枚挙に暇がない。ぼくらの当面の課題は、それが善用なのか悪用なのか、悪用ならばどうすればそれを防止できるか、という問題に取り組むことだ。イエスがキリスト教会に悪用されているとみなしたのはキルケゴールであった。ニーチェは、そもそもヨーロッパが古代ギリシャを悪用したと考えている。このような言い方をしているぼくだって、歴史を悪用しているのかもしれない。そもそもそんなことを複雑に考える必要はどこにもないのかもしれない。良いものは良い、悪いことは悪い、と素直に人に伝えることができれば上等なのではないかとも思うのだが。哲学的思考はその微妙な部分に触れたがる。マルクスもまたその哲学精神に突き動かされて、ヘーゲルに挑んだ。
《マルクスは、学位論文を書いている段階では、全面的にヘーゲル哲学の枠内で考えている。当時の思想的雰囲気では、ヘーゲルの自己意識の概念がヘーゲル左派のなかで流行していたせいもあるが、それをマルクスも共有しつつ、少しだけヘーゲルからずれた方向から自己意識の出現を解明しようとした。ヘーゲルの場合、自己意識の出現の極致はキリスト教(「不幸な意識」)のなかに求められるが、マルクスにあってはエピクロスのなかに求められる。》(今村仁司『マルクス入門』ちくま新書 84頁より)
 
 
2013.4.14
甘いものが食べたい。アイスクリーム、チョコレート、プリン、シュークリーム、エクレア、チーズケーキ、ショートケーキ、ホットケーキ、今川焼き、たい焼き、あんぱん、蜜豆……。甘いものが好きな人はたくさんいるだろうけれど、ぼくは大学一年生の時に友人のMくんと二人でケーキ同好会を結成するくらい甘いものが好きなのだ。甘いものと同じくらい女の子が好きなMくんは東京中のスイーツのお店を食べ歩くというサークルをつくれば女の子がたくさん集まると想定していたんだけど、誰も入部してくれなかったので、結局男二人でコーヒーとケーキを食べながら文学と哲学を語り合ったのでありました。人生は快楽を求めることが目的である、とMくんは云う。そして、甘いものをぺろっとたいらげる。でも満腹になったら、あんなに食べたかったものがおいしそうに見えないのはなぜだい、とぼくは云う。欲望は、次の快楽を目指して突き進む、とMくんは云う。そして、コーヒーをおいしそうにすする。すると人間は欲望に振りまわされて人生を終えることになるのかい、とぼくは云う。快楽がなければ生きていても仕方がないだろ、とMくんは云う。そして、ぷはーと煙草を吹かす。欲望のままに行動するとあとで痛い目に会うじゃないか。だから欲望をコントロールしながらほんとうの満足をもっと高い場所に求めるべきではないだろうか、とぼくは云う。君のほんとうの満足って、禁欲すれば得られるのかい、とMくんは云う。忍耐したあとに大きな満足を得る人はたくさんいるじゃないか。たとえばボクサーは減量という苦しみを乗り越えて試合に出て、ぼこぼこにされても相手を倒せばその全ての苦しみを勝利の栄光に変えることができるのでは、とぼくは云う。君はロマンチストだね。人間はより高くより大きな快楽のために今を犠牲にできる動物だということだね、とMくんは云う。そう、エピクロスの思想のように、とぼくは云う。
 
 
2013.4.15
マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳「第三草稿 三、ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判」を読んでみよう。
《さて、フォイエルバッハは、「アネクドータ」誌の「哲学改革のための暫定的提言」や、くわしくは『将来の哲学の根本命題』において、古い弁証法と哲学を根こそぎ引っくりかえしたのだが、そうした行為を実行するすべをもたなかった批判家たちは、代わりに、自分たちの批判を「純粋な、決定的な、絶対的な、くもりなき批判」だと公言するといった行為に出たのだった。かれらは精神主義的高邁さをもって、歴史の運動の全体を、「大衆」というカテゴリーでくくられた他なる世界と自分たち自身との関係に還元する。すべての独断的な対立を、自分たちの賢さと世界の愚かさとの──批判的キリストと「愚衆」としての人類との──ただ一つの独断的対立に解消し、毎日、毎時間、大衆のくだらなさと対比して自分たちの優秀さを証明する。》(168頁)
大衆をバカにし、愚衆として見下し、じぶんたちを優秀だと思う学生たちは、ぼくの大学にもいた。かれらは左翼運動を担えるのはじぶんたちで、大学に遊びに来ているようなその他の連中には到底理解できない、と思い込んでいた。ぼくは、知性と感性の剥離が起きていることを残念に思った。ほんとうは、カラオケに行って騒いだり、テニスで汗を流したり、合コンで異性との交流にどぎまぎしている学生たちこそがヘーゲルの哲学がなんであるか、マルクスは何を批判したか、フォイエルバッハはヨハン・セバスチャン・バッハとどう違うのかについて、真剣に議論できるようでなくてはならない。ぼくはそう思っていた。青年マルクスはフォイエルバッハを高く評価して云う。
《フォイエルバッハこそ、ヘーゲルの弁証法にたいして、真剣に、批判的に、向き合い、この方面で真の発見をなした唯一の批判家であり、古い哲学の真の克服者だ。》(169頁)
 
 
2013.4.16
夕方仮眠をとっていたら夜の食事が遅くなってしまった。子どもたちは先に済ましていたので、一人で食べていた。おかずを先に全部食べてしまったので、ごはんとたくあんだけが残った。白いテーブルの上にオレンジが一つ置いてあったので、偶然にもオレンジ、たくあん、白米が一列に並んだ。ぼくはそれをずっと眺めた。この組み合わせは、とてもシュールだなと感じた。
 
直径80センチメートルの白いテーブルの上の直径8センチメートルのオレンジの前の直径4センチメートルの沢庵の前の直径24センチメートルの青い陶器の皿の上の白米と共に流れている時間とぼくという存在のクールな願望の先の空想の中のシニカルな裸の君と判断停止の咀嚼
 
これを北園克衛風に改行してみると
 
直径80センチメートル
の白いテーブル
の上
の直径8センチメートル
のオレンジ
の前
の直径4センチメートル
の沢庵
の前
の直径24センチメートル
の青い陶器
の皿
の上
の白米
と共に流れている時間
とぼくという存在
のクールな願望
の先
の空想
の中
のシニカルな裸
の君
と判断停止
の咀嚼
 
 
2013.4.17
こんな詩がある。
 
◇詩人の愛
 
いつまでも詩人は愛さねばならぬ、いつまでも燃え、いつまでも強く、潮が詩人を流し去るまで、気息が詩人から消え去るまで。
詩人が、ひとたび胸の深い場所でかき抱いたもの、詩人の魂をつらぬき通したもの、それは永遠の精神のなかで燃えつづける。
それを詩人はあらゆる空間に求め、あらゆる形に刻みつける。ふかい予感の夢にそれを求め、高い宇宙の住処にそれを求める。
詩人だけがそれを純粋に受けられる、天上の優美な装いのうちに。なぜなら、胸の神々しい威力が地上の圧迫から詩人を保護するから。
魔神が詩人を、生きている限り憩いなく休みなく鞭打つなら、幸福はけっしてそのひとに与えられない、なぜなら、渇望がつねに詩人をとらえるから。
青春と感情が残っていれば、詩人はいつまでも燃えることができる。そしてその火花は、けっしてこの世の圧迫の雑沓に飛び散ることはない。
詩人は大きな交換を試みるのだ。神が詩人に命じて、美の歓びと悩みのためあらゆる生活の快楽を断念させるから。
美は、憧れだ、ゆれ動く繊細な輝きだ、霊にしっかり身を寄せねばならぬ、たなびく雲のながれに漂いながら。
そして美は、神が胸にやすらう場所へ降りてきて、心のふかい情熱の火で繊細な肢体をあたためる。
情熱の火はただ美を保持しようとし、強く正しくあたため、他の霊がまだ主宰するところでは、美は現世の腕から逃れる。
だから、いろいろの地域を支配するのは永遠の憧憬、永遠の痛苦。闘うことが詩人の造成、詩人の技能は大きな心。
ただ愛だけが魂のあたたかい息で言葉を統御し、高所から精神を形象の氾濫と烟霧のなかへ引き入れる。
もしも、女神がぱったり倒れたり、もしも、光が燃えやんで和音が虚無に呑まれて、美しい形が壊れたりしたら。
だから、美神たちは詩人の胸のすみずみまで温めつづける、神が詩人の内部に浸し入れたものを、霊どもが散って消えてゆくまで。
だから、ぼくは炎に抱かれた、イェニーよ、きみをずっとエーテルの光のなかに置こう。ぼくの願いがいつまでも憧れに終わるなら、きみはぼくのものにはならないだろう。
だから、別の男がきみを抱くとき、きみの胸が不安に、ますます不安になって、その男の胸に引き寄せられるとき、きみの詩人のことをよく考えてくれ。
その詩人は希望なく永遠のなかを荒々しくそこここに駆り立てられながら、イェニーよ、ただ、きみを愛そうと願い、ひたすらきみに歌を捧げるのだ。
詩人が自分自身にこもって自ら格闘しつつ憔悴しながら味わった幸福は、ただふかい苦痛を増すばかり。
いつかぼくが崇高な儀式で或る配偶者と結婚するきみを見れば、そのとき七絃琴はきっと、きみのために選んだ炎の歌をひびかせるだろう。
その歌がきみの瞳を明るくすれば、ぼくは自分の苦しみに負ける。そして、七絃琴は打ち砕かれて詩人の心は崩折れてしまう。
 
 
どこかのロマン派の詩人かな? と思った人もいただろう。この詩に出てくるイェニーは、聡明で、気高く、しかも文学に造詣が深い女性で、そして町一番の美人であり舞踏会の花だった。彼女の父親は、参事官のルードヴィッヒ・フォン・ヴェストファーレンで、つまり彼女は貴族階級のお嬢様ということになる。この作者は、じぶんが詩人であると自認し、その愛をこうした情熱的な言葉にして捧げたわけだ。実際の詩は、一連を四行ずつに改行して、二十連あるから、八十行になる長い詩である。恋が、リビドーが、激しく渦巻く青年の衝動的な詩心に火をつけたのだ。ぼくはこういう若さ溢れる詩が好きだ。いいじゃないか稚拙でも。いいじゃないか身勝手で独占欲に満ちていても。このイェニーこそが、のちにカール・マルクスの妻になる女性である。若きマルクスは実にロマンチックな詩人なのであった。
 
引用は、世界の詩71『マルクス詩集』井上正蔵訳、彌生書房より
 
 
2013.4.18
マルクスを読みたくて『経済学・哲学草稿』(長谷川宏訳、光文社文庫)を手に取ったのだが、フォイエルバッハが出てきてしまったので、ぐっと気持ちがそちらに移ってしまった。それでフォイエルバッハの主著『キリスト教の本質』が岩波文庫で上下に分かれて出ているのを図書館で借りて読んでみることにしたが、ここではそれには触れないことにしよう。読後になにか感じることがあれば、いつか書いてみたいとは思うけれど、今はやっぱりマルクスに戻る。と云っても、マルクスがフォイエルバッハの偉業は以下の点にある、として語っている箇所を抜書きするのだが。
《(一)哲学は思想の形を取った、思考によって遂行された、宗教にほかならず、したがって、宗教と同じように断罪されるべきものであり、人間の本質を疎外するもう一つの形式ないし存在形態であることを証明したこと。》(169頁)
哲学も宗教だという考え方は斬新だと思う。宗教は哲学だという人は多いが、哲学を宗教と同様に断罪してしまおうというアイデアはおもしろい。パスカルは「哲学を馬鹿にすることこそが真に哲学することだ」と云ったが、それよりも根本的な転覆をフォイエルバッハは狙っていたということになる。
《(二)「人間と人間との」社会的関係を理論の根本原理とすることによって、真の唯物論と現実的な学問の基礎づけをなしたこと。/(三)右の基礎づけのもう一つの要点として、みずからを絶対的な肯定体だと主張する否定の否定にたいし、自分の足で立ち、積極的に自分を根拠づける肯定体を対置したこと。》(170頁)
要点を簡潔にまとめているので、解釈が必要だが、マルクスがフォイエルバッハから学び取ったことがここで言い尽くされているようにぼくには思える。「否定の否定」についてはヘーゲルの哲学を参照しなくてはならないが、バカボンのパパの口癖の一つ「反対の反対は賛成なのだ」というセリフを思い浮かべてもいいだろう。否定するためには、その対象が必要で、その存在を否定することで自分が肯定され、さらに肯定された自分を否定することで、対象と同化する。このように他律的に認識が完成するような運動が、正しい認識のスタイルであるとヘーゲルが考えていたとすれば、そこから究極の「絶対知」が想定されることは必然である。
《フォイエルバッハは否定の否定を哲学の自己矛盾にすぎないと考える。哲学が神学(超越など)を否定したあとで、自分と対立しつつ神学を肯定することだと考える。》(171頁)
マルクスから見れば、ヘーゲルを否定したフォイエルバッハがいる。そして、そのフォイエルバッハを補完する形でマルクスの思想が出てくる。とすれば、これもヘーゲルの云う「否定の否定」の一種になってしまうのではないか。そうなのだ。この逃れ難き運動を指して「哲学の自己矛盾」と云う。ぼくらは西洋の哲学史のなかで、この運動のバリエーションをいくつも発見して驚くであろう。
 
 
2013.4.19
『マルクス・フォー・ビギナー⑤ フォイエルバッハ論』(解説 山科三郎・渡邉憲正、大月書店)の解説が分かりやすかったので、引用する。
《フォイエルバッハは1841年に刊行した『キリスト教の本質』において、人間が宗教では神を最高存在としている事態を分析し、こうとらえた。神とは理性、意志、愛などを述語とする最高存在である。だが、神の本質とされる理性、意志、愛(心意)などはじつは人間の類的本質(類としてもっているあり方)であり、したがって神とは、人間の類的本質が対象化されたものにほかならない。もちろん、このことは宗教にあっては意識されず、かえって神は人間に対して支配者として現れる。本来人間の本質(あり方)を示すものが、人間に対立して現れることを疎外(Entfremdung)──宗教的疎外──と言う。だが、フォイエルバッハによれば、この疎外において最高存在にして究極目的である神は、人間を愛するのであり、こうして人間は、神を媒介として、人間自身を最高存在となすことになる。要するに人間にとって、人間こそ神(最高存在)なのである。もとより宗教はこのことを意識しない。ここに宗教の矛盾がある。フォイエルバッハは、この意識の転換によって疎外されていた類的本質の返還を図ろうとする。それは、「世界史の転回点」をなすとさえ言われる。以上が、フォイエルバッハ宗教批判の基軸である。》(11頁)
神学と哲学のあいだを行き来するのはかなりしんどい作業であるが、しばらくそれに付き合ってみようと思う。ぼくの動機は存在の謎を解明することだ。世界があること、じぶんがいること、その理由や意味をちゃんと説明できるようにしたい。そのためには、神の問題は避けて通れない。この引用箇所で、フォイエルバッハが何を考えていたかが少しわかった。しかし、神は人間の類的本質が対象化したものにすぎないという議論は乱暴すぎる。そんな単純なものではない。ぼくらは、たとえそれが神ではなかったとしても、類的本質に回収しきれない自然の現象をたくさん見て知っている。人間自身の自律神経だけをとってみても、その働きが何者によって作られたのかを知らない。心臓を動かしているのは明らかにぼくの意思ではない。まあ、ここでむきになってフォイエルバッハに反対しても仕方がないから、先へ進もう。「疎外」という概念が今まであまり理解できなかったので、ヒントが与えられたと思って少し考えてみるならば、目的が手段になってしまうような逆転現象だと思えばいいだろうか。例えば、便利な道具として機械を作った。しかし、その機械を動かすために人間が道具になる。原発を思い浮かべてもよい。兵器などはみなそうだろう。人間を守るための道具が、人間を支配している。現代文明の矛盾である。これを「疎外」と呼ぶならば、宗教を作った人間が宗教に支配されるという現象も「疎外」であると言える。フォイエルバッハの宗教批判の射程がそういう現象に向けられているとするなら、これは利用価値があるだろう。
 
 
2013.4.20
きょうぼくは友人から次のような指摘を受けた。「あなたは作為の人だ。だれにもそれが作為であると見破れないほど完璧に偽装している」と。ぼくは正直ハッとした。この話を受けて、ぼくは太宰治の『人間失格』を想起した。第一の手記で主人公の葉蔵は次のように告白している。
《人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。》
暗い内面を明るい仮面で塗り固めて成長した葉蔵は、ある友人にその正体を見破られてしまう。
《その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに寄って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果たして皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。/「ワザ。ワザ。」/自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも懸けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。》
この葉蔵の心理がわからない人は、おそらく『人間失格』を読み通すことはできない。しかし、それが分かるという人も、実はすでにじぶんに嘘をついていることになるとぼくは思う。実際、ぼくは友人に「あなたは作為の人だ」と言われて、ハッとしたが、わあっ! と叫ぶほどの心境にはならなかった。人間だからそういう一面もあるだろうくらいの感懐であった。葉蔵のように、発狂しそうになるほど秘密にしたい内面など、到底想像できないのだ。人間が生れて、そんな闇を抱えながら生きていくことなど果たしてできるだろうか。もし、それがあると言う人間がいたら、その内面こそが偽装されたものだと言える。俺には誰にも理解されない本性というものがあるのだ、とじぶんで勝手にじぶんの本質を捏造すること、これこそが病なのではないか。ぼくは友人との語らいから、そんなことを考えてみたのである。ぼくは確かに表面的につくろっている。作為的である。しかも、それを人に知られないようにごく自然に振る舞っている。それは人間が裸で生活しないのと同じくらい当たり前のことだとぼくは思っている。たとえ友人がそれを正直に指摘してくれたとしても、驚くに値しない。また驚いて見せてもいい。どちらにしても、それがぼくだけの特別な秘密ではなく、指摘してくれた友人にも当てはまるし、周囲の人にも言えることだから。ぼくはじぶんの本質なるものを信用しないことにしている。過去のどこかにそれを置いてきたなどとは考えない。ぼくに本質があるとすれば、今現在、目の前の人の眼に映るぼく自身のその姿でしかない。このコメントに対して友人はさらに言うだろう。「そういう言い方で、あなたは又じぶんを偽装するのですよ」。
 
 
2013.4.21
◆食欲 2013.4.21◆
 
ぼくはぺろっと食べちまいたいんだ
ああ
まるであんぱんのように
世界をまるごとぺろっと食べちまいたいんだ
どうしてこんなんに食欲があるんだろう
ぼくは人食い怪獣の一種なんだ
ぐわっはっはっはっはっは
火をふいて
火をふいて
腹が減る
火をふいて
火をふいて
また腹が減る
ぼくはぺろっと食べちまいたいんだ
君をひとのみにたえらげちまおう
 
 
2013.4.22
夢の話。今朝見た夢は恐ろしかった。途中からしか覚えていないのだが、まずぼくは必死にバトミントンのラケットを探していた。夢の中の「この世」ではラケットはたいへん貴重なものであった。ぼくの息子がどうしてもそれを欲しいと思っていたので、ぼくはとなりのマンションのベランダをよじ登っていく(これは先日観たTBSのドラマ「TAKE FIVE」の影響かと思われる)。ぼくは腕のいい泥棒なのだ。そしてかなり高いところまで行って、ベランダにあったラケットを盗み、今度は片手で降りていく。下を見ると身震いがする。その恐怖はとてもリアルだった。幸い無事に地上に降りることができる。部屋に戻ると、自宅の部屋が改装されて広くなっている。妻がうれしそうに「広くなったでしょ」と云う。そこはマンションの一階で50畳くらいの広さ。息子にラケットをみせようとしたら、となりのマンションの庭においてきてしまったことに気づく。息子は外へ出て、塀を乗り越え、落ちていたラケットを持って戻ってくる。「危ないことしちゃだめじゃないか」とじぶんを棚に上げて叱る。チャイムが鳴る。玄関に出る。ドアを開ける。柳葉敏郎が立っている(なぜギバちゃんが出てきたのかよく分からない)。いきなり拳銃を出す。撃たれそうになる。やばい。みんな隠れろと叫ぶ。父が日本刀をぼくに渡す。ぼくは構える。ギバちゃんが中に入ってくる。刀を振り下ろす。よけられる。ギバちゃんは床の間に座り込む。ぼくと父を睨んでいる。不正は許されないとギバちゃんは云う。銃口を向けている。ぼくはギバちゃんの鼻先に刀を突きつけている。そして迷うことなく突き刺す。ギバちゃんの動きが止まる。「いいのかそんなことして」と父が云う。「仕方ありません」とぼくは云う。父が刀を拭く布を差し出す。ぼくはそれで血をぬぐいながら、「父上のことはわたくしがお守り致します」と侍風に云う。ぼくはそのあと、あんなに簡単に人を殺せるものなのか、と思っている。一方でこれは演技なのだと思っているが、もう一方で、これからどうしようと深刻に悩んでもいる。目が覚める。夢とはいえ、人を殺してしまったという感覚が残っていてとても気分が悪かった。ぼくはこの夢のなかで泥棒と殺人という罪をいっぺんに犯したことになる。聖書の「申命記」をひらいてきょうは読んでみることにする。
 
 
2013.4.23
きょうはマルクスの詩を一篇紹介する。
 
◇探究  (リート)◇
 
ぼくは起ちあがった、もうこれ以上縛られてはいない。
「どこへ行くおつもり?」「世界を見つけにさ!」
「ここには、ゆたかな牧場が一杯あるじゃないの?
 下には波、上には星のたわむれ。」
 
「馬鹿だな、ぼくの旅はあの世へ行くわけじゃないんだよ、
岩がくだけようと、空が響こうと。
ぼくは黙ったまま、元気よく足が運ばなかった、
愛の言葉が重い鎖になって。」
 
「世界は、ぼく自身から現われ出るべきだ、
そして、ぼくの胸へ、それから内部へ降りるのだ。
ぼくの生の流れは潮の跳躍、
ぼくの魂の息は大気の殿堂。」
 
ぼくは遠くへさまよい、また帰ってくる、
ぼくは世界を担ったり下ろしたり、
 そこに星や太陽が躍った、
 そして閃光が走り、すべては沈んだ。
 
世界の詩71『マルクス詩集』井上正蔵訳、彌生書房より
 
 
2013.4.24
きょうも雨の水曜日だった。こういう日には大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』から「雨のウェンズデイ」を選んで聴くことにしているが、今夜はアルバム『EACH TIME』の「ペパーミント・ブルー」が聴きたくなったので、そっちにした。同じ、松本隆の作詞である。そのなかのサビの部分「風はペパーミント ブルーのソーダが 指先に揺れている」と出てくる。このソーダはどんな色をしているのか。タイトルが「ペパーミント・ブルー」だから、てっきりペパーミントブルーのソーダを思い浮かべてしまう。しかし、ペパーミントはブルーではなくグリーンではないのか。ミントブルーという色はあるようだが……。果たして、松本隆さんのマジックにぼくらは又もやハメられちまっている。歌詞の方は、「風はペパーミント」で、「ブルーのソーダが指先に揺れている」となっている。つまり、ペパーミントの香りがイメージしているのは風の方で、ソーダはブルーなのである。このサビのフレーズがなんともいえない清涼感を漂わせていて、曲調とほんとうによくマッチしている。なんど聴いても、胸の端っこがくすぐったくなるから不思議だ。ぼくはついでにドリンクのある風景を描いた歌詞を集めてみたい気分になった。題して「ドリンクポエムバー」。珈琲、紅茶、お酒、ミルク、いろいろ出てくる。例えば、くるりの「ばらの花」にはジンジャーエール。松田聖子「渚のバルコニー」には缶コーラ。「銀座カンカン娘」にはカルピス。藤浦洸作詞の「一杯のコーヒーから」のコーヒー。高田渡「夕暮れ」にはジョッキ。探し出したらえらいことになりそうだ。聖子ちゃんだけに限定した方がいいかもしれない。ぼくとしては松田聖子のアルバム『Pineapple』の一曲目に収録されている「P・R・E・S・E・N・T」がおすすめ。「ぎこちない言葉が 紅茶の中で渦巻く」というところ、これはすごい表現だと思う。 
 
 
2013.4.25
もう八年前に出た本であるが、これからマルクスを学ぼうとする人は、今村仁司『マルクス入門』(ちくま新書)はぜひ一読しておくべきである。特に序章「さまざまなマルクス像」は、これまでのマルクス解釈を網羅する形でまとめてくれているので、迷子にならずに済む。今村仁司は大きく三つの類型に分類できるとしている。第一類型=経済中心史観、第二類型=実践的主体論、第三類型=構造論(関係論)。第一類型は経済決定論で、歴史的にはこれが一般に「マルクス主義」として広く世界に流布されたもので、ロシア革命につながっている。ぼくらはともするとこの「マルクス主義」だけでマルクスを理解したと思い込んでしまう。第二類型では、ローザ・ルクセンブルク、ジョルジ・ルカーチなどの展開が中心となる。さらに、サルトルやメルロ=ポンティが出てくる。第三類型では、ルイ・アルチュセールの批判が参照される。ここではそれらを一つ一つ解説しないが、マルクスという一人の思想家から、そのような解釈が大きく広がっていく様子が分かるだけでも意義はあろう。ぼくはマルクスを読むという行為が知的向上に大きく貢献することを疑わない。きっと思ってもみなかった収穫を得て、うれしくなるであろうと思う。4月に入って、ずっとマルクスを追いかけてみたけれど、議論はどんどん膨らんでいくので、面白い。ソ連が崩壊して20年以上が経つ。もはや、共産主義は前世紀の歴史物語の一つになってしまった。しかし、マルクスを忘れてしまうわけにはいかない。今村教授が遺してくれた知的遺産をぼくらは今こそ活用すべきなのだ。加えて、2010年に長谷川宏訳の『経済学・哲学草稿』(光文社古典新訳文庫)が出ている。これは、初期マルクスを知る上で最も重要な資料だ。それが読みやすくなったことはぼくらにとって実に幸運である。1818年に生れたマルクスが、もうすぐ生誕200年を迎えるわけで、再熱は間近だとぼくは予想する。
 
 
2013.4.26
マルクスの洞察はやっぱり鋭い。『経済学・哲学草稿』の第三草稿に「欲求と窮乏」という断章がある。
《社会主義のもと、人間本来の能力が新たに活動し、人間の本質が新たなゆたかさを獲得するのだ。だが、私有財産の支配下ではその意味が逆転している。すべての人間が、他人に新しい欲求が生まれはしないかと当てにしているのだが、それは他人に新しい犠牲を強要し、他人を新しい従属の状態へと追いこみ、他人を新しい享受と新しい破滅の形へと導くためだ。だれもが他人に外から本質的な支配力を及ぼし、もって、自分の利己的な欲求を満足させようとする。》(マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳 209頁より)
20世紀が軍事的競争と経済的競争に明け暮れた様を想像してみれば、この批判にどれほどの先見性があったかが伺い知れるというものだ。それに、現代の資本主義のもとでのわれわれの欲望の様態がそのまま描かれていることに驚く。製品は欲求に応じて開発されるのではなく、製品が新しい欲求を産出していく。ぼくなんかも、きょうの新聞の広告をみて、思わず空気清浄機を買おうとしてしまった。まあ、実際買ってもいいのだが、その広告さえ見なければ、別にそんな製品をぼくは必要としていなかったし、生活に問題はないわけだ。ケータイ、スマホなども同様で、ほんとうは必要ないのではないか。ぼくらはいつの間にか、それは必要で、その欲求に応えてくれたのがメーカーだと錯覚している。逆転である。まったくの逆転現象である。
《対象の量が増大するとともに、人間を外から拘束する力が大きくなり、新しいものが生産されるたびに、相互の欺瞞と相互の略奪の可能性が増えていく。》(同 209頁より)
 
 
2013.4.27
ゴールデンウィークだと言うのに、ぼくは休みのない仕事をしているため、どこにも出かけることなく、家で過ごしている。子どもたちは父親がどこにも連れて行ってくれないので、じぶんたちで遊びのスケジュールを組み、それぞれに出かけている。ほんとうはボーリングにでも誘ってあげたいのだが、先に子どもたちが友だちと約束をとってしまったので、そのような提案も口に出すことなく飲み込んでしまった。ぼくはひとり図書館で本を探す。佐藤優『私のマルクス』文春文庫を手にとって読んでみる。おもしろくてそのまま読み耽る。思想的自叙伝とのことだが、ぼくには青春冒険小説だと感じられた。佐藤優さんはぼくの9歳年上だ。しかしぼくなんかよりも遥かに波乱に満ちた人生を経験している。神学を学び続けながら、ずっとマルクスと対話してきたと云う。出会った人、影響を受けた学者、教師、友人など、リアルな登場人物たちとの何気ない会話。佐藤優青年の成長過程が、赤裸々に綴られていく。ぼくの関心領域とかなりの部分で重なる。だから、すごく参考になる。同じ時代を呼吸しているから、興味が全く薄れない。たとえば、1991年の夏、ゴルバチョフ大統領が軟禁された時、佐藤さんは外務省の職員として、安否に関する情報収集のためにロシアにいた。その時ぼくは、大学の語学留学でドイツのベルリンにいて、その騒動の余波を受けた。佐藤さんは浦和高校時代、新左翼の人々と多くの交流を持った。しかし、セクトには加わらなかった。ぼくは大学で、左翼運動に関わる友人たちと幾度も議論したが結果的には対立する。そういう共通点が見つかれば、読書は格段に楽しくなる。同時代に、こういう人がいるというのは嬉しい。
 
 
2013.4.28
佐藤優『私のマルクス』文春文庫から、面白かった部分を抜書きしてみる。佐藤さんが同志社大学神学部に入ってからの話。
《入学式からしばらくして、神学部自治会主催の新入生歓迎コンパがあったので出かけたが、そこを取り仕切っていたのは二十歳代半ばの神学研究科大学院生連絡協議会(院連)という神学部自治会を「卒業」した三人の大学院生だった。私はその場で大学院生たちとそうとう激しくやりあってしまったのである。私は、社青同の学生や労働者とマルクス主義の古典についてはかなり読み込んでいたので、神学部の大学院生が唱える田川建三や吉本隆明を経由したかなり曖昧なマルクス主義に関する説教にうんざりしてしまった。大学院生が偉そうにいう。/「君のいっている話はすべて疎外論じゃないか。物象化論にまでいたっていないからそれじゃダメだ」/「どうダメなんですか」/「疎外論じゃ宗教批判を徹底できない。だから物象化論なんだ」/「どうしてですか。人間が本来的にもつ自然が物象化されたのが宗教じゃないんですか。物象化をどうして疎外と対立項で括ることができるんですか。マルクスのテキストのどこを根拠にそのような読み方をしているのですか」/「初期マルクスだ。物象化についてはルカーチも『歴史と階級意識』でそういっている」/「どこでルカーチがそういっているのですか。そもそもルカーチは初期マルクスの著作を読まないで『歴史と階級意識』を書きました。初期マルクスのテキストに依拠せずに疎外論を掴みとったところにルカーチの偉大さがあるんじゃないですか。あなたの話はテキストの裏付けがないただの出鱈目です」》(126頁~127頁より)
そうとう生意気な新入生が来てしまったと先輩たちは思っただろう。しかし、ぼくらの主人公は佐藤優青年だ。「いいぞ、やれやれ」という気分になる。ルカーチが『歴史と階級意識』を刊行したのは1923年で、マルクスの初期テキストである『経済学・哲学草稿』はまだ世に出ていない、ということを踏まえている大学一年生がいること自体がすごい。
《いまになって思うと廣松渉の『マルクス主義の地平』(勁草書房、1969年)の中途半端な理解の上で、大学院生は議論をしていたのであろうが、当時の私は廣松渉の著作を読み込んでいなかったので、物象化と聞いて、ルカーチが『歴史と階級意識』の中で展開した「物象化とプロレタリアートの意識」しか思い浮かばず、その枠組みで議論をした。疎外論の組み立てだと「本来の姿」があって、それが現在はそれとは別の姿になっているので、「本来の姿」に復帰せよということになる。ルカーチの物象化は、この疎外論の枠組みをとっているので、私には疎外論と物象化論が対立するという風にはみえなかった。『資本論』に踏み込んでもう少し議論をしようとしたら、大学院生は酒の勢いもあってか「お前は若いのに生意気だ」といいはじめた。私は「真理に年齢は関係ない。このような家父長的発言を神学部自治会は野放しにしているのか」と手厳しく指摘した。新入生歓迎コンパは険悪な雰囲気なった。》(127頁)
これに似たような場面にぼくも学生時代に出くわしている。お互い中途半端な知識でやりあっているのでどうしてもかみ合わないのだが、本人たちはそれぞれ本質に迫っていると思っている。それが、学生が学生たるゆえんだ。そして、それは実に刺激的で楽しいことなのだ。なんだが懐かしい空気が漂っている。
 
 
2013.4.29
佐藤優『私のマルクス』文春文庫を読んでいて、特に印象に残るのが会話の部分である。その中でも、イスラエルの友人との話がとても参考になる。
《このイスラエル人は宗教的ではなく、世俗的世界観をもっている。2006年秋、この友人が東京を訪れた。私が「『文学界』に思想的自叙伝を書き始めたのだけれど、そこに君から聞いた話を書いた」と伝えるとイスラエル人はこういった。/「結局、僕は神を信じたいのだけれど、信じることができないのだと思う。もちろん無神論を信じることもできないけどね。アウシュビッツ以降のユダヤ人はみんなそういう感覚を共有しているよ。この夏のヒズボラ(レバノンのシーア派系武装集団)の攻撃で、イスラエル北部の人口は半分になった。金持ち連中はテルアビブ周辺に引っ越してきたよ。しかし、テルアビブ周辺ならば安全だという保障はどこにもない。/イランは数年以内に核ミサイルをもつ。アフマディネジャード(イラン大統領)はイスラエルを地図上から抹消するという公約を着々と実行している。イスラエル国家がなくなるかもしれないし、ユダヤ人が抹消されてしまうかもしれない。終わりの日が来るのか、来ないのかもわからない。しかし、終わりの日が来ることを待ち望み、ただひたすら生き残っていくことしか、ユダヤ人にはできないのだと思う。/父から何度も聞いたことだけど、アウシュビッツでは人間のすべての能力が試される。知的能力の高いものが生き残るわけでもなければ、意思力が強固な者が生き残るわけでもない。人格的に高潔な者が生き残るということもない。誰が生き残るかということは、決して人知ではわからない。しかし、それが神の意思であるというのは、あまりに安易な合理化のように思えてならない。神という作業仮説をできるだけ回避することが、僕は人間として誠実なあり方だと思う」》(145頁より)
このイスラエル人の率直なコメントが、ぼくの心を捉えて離さない。救いを求める気持ちが強ければ強いだけ、神を疑う心も強くなってしまう。なんという皮肉だろう。そして、これはなにもひとりユダヤ人だけの問題ではないのだ。一神教の国でなくても、きっとこの気持ちが理解できる民族はたくさんいるはずだ。たとえばぼくら日本人だって、運命を呪うことしかできないような出来事に遭遇してきた。東日本大震災の犠牲者のことを考える。津波に流されてしまった人々のことを考える。世界を肯定したくて生きてきた人だって、一瞬にして疑わなくてはならなくなった。この世界を信じてきた人はもう信じられなくなってしまった。「神という作業仮説をできるだけ回避することが、僕は人間として誠実なあり方だと思う」とイスラエル人は云う。ぼくらで云えば、運命という作業仮説をできるだけ回避することが人間としての誠実さである。運命なんかで、あの人が死に、ぼくが生き残ったなんて、そんなこと言えるわけがない。だから哲学、だから神学、それらがどんなに難解でも、ぼくは格闘を続ける。中東情勢、世界宗教の問題、無神論、社会主義、それらがどんなに面倒でも、ぼくは遠ざけない。
 
 
2013.4.30
◆エーテルにとけた恋文 2013.4.30◆
 
春の風のいたずらであっというまに夜空に舞い上がってしまった手紙
そこには君から恋人への重要なメッセージが書き込まれていた
君は必死に追いかけた けれども
突風はさらに手紙を上空へと運んでいった
 
次の朝 手紙はひらひらと木漏れ日と一緒に舞い降りて
再び君の手元に戻ってきた ところが
なかをひらいてみると文字がない
大切なメッセージはすっかり消えてしまっていたのだ
 
君は必死に考えた けれども記憶はどんどん遠ざかり
どんなに探しても言葉は見つからない あの言葉は
エーテルのなかにとけこんでしまったにちがいないと君は思った
 
ある日 恋人から手紙が届いた
なかをひらいて君は驚いた なんとその手紙には
失われたあの言葉がちゃんと書かれていたのだった


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