息子が小さい頃、おもちゃ屋のおばあさんに教わったこと
まだ息子が幼かった頃、彼を連れてバスに乗り、ふたりでお出かけするのが私のご褒美の時間でした。
infocusさんのこちらの記事を読ませていただき、あまりにも息子さんが可愛いくて、優しいご家族が微笑ましくて、心がじんわりとあたたまりました。
そしてウルトラマン好きだった息子のことがふっと重なり、ある日、息子と出かけたおもちゃ屋さんでの出来事を思い出していました。
現在、息子は21歳なので、これはずいぶん前の話になりますが、あの日のことを書いてみたいと思います。
*****
特別支援学校に通っていた二女は、小学部3年生まではまだ医療的ケアが必要なくて、通学バスに乗って学校へ行くことができた。
朝、二女を送り出してから彼女が帰ってくるまでの間は、末っ子の息子と私の2人だけの時間だ。
当時、2歳か3歳くらいだった息子は乗り物が大好きだったので、時々、2人で工事車両を見に行ったり、バスや電車に乗って街へ出かけ、父の店へ遊びに行ったりしていた。
普段、二女にどうしても手がかかるので、息子と2人の時は全力で息子と遊ぼうと思っていた。彼の嬉しそうな顔を見るのが、私には何より嬉しかった。
彼は乗り物以上に、ウルトラマンが好きになった。それは当時、テレビでウルトラマンメビウスを放映していたからだ。
ウルトラマンって上手に言えなくて「うるとまらん」って言いながら、息子はテレビを観たり、ウルトラマンの本を眺めたり。
彼はメビウスのソフトビニール(以下、ソフビと略します)人形を夫に買ってもらって、唯一持っているその人形をとても大切にしていた。
しかし、いつもよく遊んでいたお隣のひとつ上の男の子が数種類のウルトラマンのソフビ人形や怪獣たちを持っていて、それがうらやましくて「〇〇くんはいっぱいあっていいなぁ。」と、よく言うようになった。
我が家ももうひとつくらい、息子にソフビ人形を買ってあげてもいいかな、って私は甘いことを思っていた。
そんな時、だんだん詳しくなってきたウルトラマンファミリーの中で、息子は「ウルトラマンアストラ」が一番好きになった。
だから息子に、「誕生日になったらアストラを買ってあげる」と約束した。
アストラは、ちょっとマニアックな存在で、私の感覚では、人気も地名度も他の子より低いように思えた。
実際、双子の兄「レオ」はよく知られているのに、なぜか「アストラ」はあまり光が当たらず、隅っこ暮らし風だった。
そんなアストラのソフビ人形は、どこにも売っていなかった。
お店にいっぱい「セブン」や「タロウ」はいるので、「これもかっこいいやん!」と勧めても、息子はいらないと言う。
「レオ」なら売っていたので、「アストラに似てるからどう?」って言ってみても、息子は「うるとまらんあしゅとらがいい!」と言う。
アストラはずいぶん前には売られていたようだが、テレビでメビウスが大人気になっていた当時は、アストラ人形の取り扱いがほとんどなかった。
今のようにネットで探すこともできず、ひたすらあちこちのおもちゃ売り場を探し回ったが、人気者のソフビ人形しか売っていなくて、私も息子も半分諦めていた。
そんな時、街の商店街の、昔からある古いおもちゃ屋さんを思い出して、息子とバスで街へ出かけてみることにした。
そのおもちゃ屋さんは私の小さな頃からすでに古い感じでそこにあり、その佇まいは全く変わっていなかった。
レトロな掘り出し物が眠っていそうな雰囲気の店だ。
入ってみると、お客さんは誰もいなくて、店主も奥にいて出てこない。
埃だらけの陳列棚に、最近のおもちゃもところどころに置かれていて、宝探しみたいでおもしろいな、と思った。
息子と店内をぐるぐる探して、箱に入ったウルトラマンのソフビ人形たちがつらつらとぶら下がっているのを見つけた。
ひとつひとつ、祈るように箱を確かめると、なんと、「アストラ」がいた!
それを見た瞬間の、黄色い服を着た息子のクルクルの目が今でも忘れられない。
「やったー!あしゅとらがおったー!」と、息子は大喜びしている。
しかし箱は埃だらけ。手が黒っぽくなりるくらいに、何年も何年もここにあったのだろうな、と思った。
彼は埃などお構いなしに両手で抱えて、店の奥のレジまで飛び跳ねながら歩いて行った。
デニムパンツの短い足がぴょんぴょん跳ねるのを見て、それが可愛くて、彼の後ろを私は笑いながら追いかけた。
奥から出てきたおばあさんがレジのところまで来たので、お金を支払いながら、私が
「息子はこんなものが好きで。探して探してようやく見つかって、よかったです。」
と言うと、おばあさんに
「こんなもの、なんて言っちゃダメですよ。息子さんの大好きなおもちゃなんだから。」
と、ピシッと叱られた。
私はその通りだと思って、何にも考えずに口から出た自分の言葉に、反省した。
これは息子の宝物。
本心からではなく遠慮した気持ちで発した言葉だったけど、「こんなもの」なんて、息子の前で言う言葉ではない。
おばあさんは手で箱の埃を拭い、丁寧に包装紙で「アストラ」を包んで、息子に「大事にしてあげてね。」と言って渡してくれた。
そして、息子と一緒におばあさんにお礼を言って店を出た。
帰りのバスに乗ると、早速、息子は箱からアストラを出して、「かっこいいな」と言って嬉しそうに笑った。
バスの揺れでウトウト居眠りしながらも、彼はアストラをずっと握りしめていた。
息子はその日の夜から、枕の横にアストラを置いて眠るようになった。
その後、ウルトラマン人気が上がり、アストラ人形を近くのイオンやトイザらスで見かける機会もあったが、探し回って出逢えた息子のアストラはやっぱり価値があるような、そんな気がしている。
コロナ禍に、暇すぎる息子が何気なくおもちゃの「買取価格」を検索したことがある。
人気者のソフビ人形たちは買った時よりも値を下げているのに対して、古い時代に作られたあのアストラソフビ人形が、買った時の10倍くらいの価値に跳ね上がっていることがわかり、2人で顔を見合わせて笑ってしまった。
おばあさんの言う通り、「こんなもの」ではなく、ほんとに息子のアストラはすごい子だった。
まだ、息子の部屋の押し入れにアストラ人形はいる。今でも彼には特別らしくて、社会人になる前に押し入れのおもちゃを整理した時も、「これは捨てられやんわ。」と言っていた。
この先もずっと、彼は、彼のアストラを手放しはしないだろうな、と思う。
私はアストラ人形のことを思う時、息子の満面の笑顔や出逢えてよかったなぁっていう気持ちと一緒に、今でもちょっと、苦いような、そんな気持ちになる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?