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そして、バトンは繋がった

春は異動の季節だ。
娘のリハビリの先生が、遠くに異動になってしまった。
30代前半の若い男性の理学療法士さん。
かかりつけの国立病院で、難病の娘が約6年間、毎月の訓練でお世話になった先生だ。

彼は、「ボクは自分のプライベートを切り売りしながら仕事してるんすよねー。」と笑いながら、訊いてもいないのにいつもご自身のお話をされていた。

彼がお付き合いされている女性とのデート話から、実家を出てひとりで暮らし始め、結婚を決めて、同棲し、入籍し、パパになるまで、私は多分、彼の親よりもその流れをよく知っている。

裏表がなくて真っ直ぐな好青年。
我が子たちより少し上の年代の、しかも男性の考え方が私には新鮮で、なるほどなぁと思うところがたくさんあった。
そして、彼はこんなおばちゃんの考えや想いにも、興味を持って耳を傾けてくれた。
世代間交流というのだろう、私にはそんな時間が貴重にも思えた。

もちろん、娘の体調や病気のことにも、細かい視点を持って気にかけながら、精一杯の力を注いでくれていた。
そんな彼が3月いっぱいで職場を去り、ちょっと残念に思っていた。

4月のリハビリでは、新しく娘の担当をされる先生が、いつもの部屋の前で待っていてくださった。ベテランの雰囲気がある、40代後半のおじさん先生だ。

低姿勢で穏やかな雰囲気があり、普通にしていてもニコニコしているような目の人だ。ずんぐりとしてクマのような感じ。

最初ということもあり、引き継ぎの内容に忠実に、娘のリハビリを慎重にしてくださった。額から吹き出す汗から、おじさん先生の緊張と真面目さが伝わる。

全く話さずに黙々と、娘の身体の状態を、触れている手から確認しているようにも見えた。
やはりシャイな方なのだろう、沈黙の中の緊張感が私にも移り、気まずい時間が流れた。
何から話をしたらいいか、探るように話しかけてみる。

こんな時はお天気の話に限る。

「今日は黄砂がすごいですね。」

おじさん先生も、笑顔で「そうですね、車が大変なことになってますね。」と返してくれた。

いける、この話を広げるぞ。

「娘たちのような呼吸器疾患のある人にはつらいです。」から、病棟の娘と同疾患の方の話になったり、空気清浄機の話だったりで、沈黙しないように、リハビリの邪魔にならない程度に、間をつなぐ。

おじさん先生は、プライベートな話はしないようだ。時事ネタのような話だったり、リハビリに関する話だったり。
ご家族のお話などをされない場合は、こちらからその話はできない。なんとなくタブーかな、と思ってしまう。

黄砂は苦手だけど、今日は黄砂の日で助かった。


リハビリは約1時間。
本人がお話できたり、自分で動けたりする人のリハビリとは違うので、先生が言葉で娘本人とコミュニケーションをとることが難しい。だからリハビリ中は、そばでずっと付き添う親が先生と雑談する時間になってしまう。

リハビリの先生の性別や年齢、性格などによって、話す内容は全く異なる。
過去に何人ものリハビリの先生にお世話になってきたが、それぞれ話す話題もテンポも距離感も違うので、それを掴むまでは探りタイムが必要だ。

お互いに、相手との距離感や心地よく過ごせる話題を見つけながら、回を重ねるごとに、娘の「保護者」と「いつもの先生」としての、安心した関係性が作られていくのだ。


リハビリが終わると、ピンク色の膝の高さくらい台からストレッチャー式の車椅子へ、娘を抱っこで移動させなくてはならない。
基本的に移乗は、リハビリの先生ではなく介助者である保護者が行うことになっている。
つまり、私がひとりで娘を抱き上げるのだ。

この中腰の体勢から30kgの娘を抱き上げるのは、かなり腰に負担がかかり、とってもつらい。
しかし初日の遠慮もあり、ひとりで頑張って娘を抱き上げようとしたその時、おじさん先生が

「お尻を持ち上げるんですよね。〇〇先生からの引き継ぎに書いてありましたから、お手伝いしますよ。」

と言って、抱き上げる時に、向かい側から娘のお尻をふわっと持ち上げてくださった。
それでずいぶん楽なのだ。

前の先生も、いつも

「軽い軽いをお尻をあげますねー!」

と言って、娘のお尻を「おりゃー」って言いながら持ち上げてくださっていた。それを申し送ってもらっているのには、とっても驚いた。

おじさん先生も「グゥッ」って言いながら、重いお尻を持ち上げてくださり、

お母さん、遠慮しないでくださいね。これからもお手伝いさせていただきますから。」

と、額の汗をキラリとさせながら、そう笑ってくださった。

なんだかすごくホッとした。

異動された息子のような先生、もうお会いすることもないだろうけど、お心遣いをありがとう、と思った。

介護者への思いやり。

リハビリの方法や注意する点も大事だけど、そんなちょっとした気遣いこそ、本当に大事な引き継ぎなんじゃないかな。

若い先生からおじさん先生へ、娘の重いお尻のバトンはちゃんと繋がった。

「お尻って、どうよ。」と、帰りの車の中で、胸がじわっとあったかくなるような笑いが込み上げた。





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