「安心してください、それ、習慣ですよ。」と言われたい
ひとりごとなのか、二女に話しかけているのか、誰と話しているのか、自分でも時々わからなくなる。
二女と2人の時は、いつも音楽をかける。
そして気づくと、私はおしゃべりしている。
これは、二女が幼児の頃に親子で通っていた療育施設の先生からのアドバイスと、二女の目の病気がきっかけだと思っている。
小さい頃の二女は、とにかく泣いてばかりいる子だった。
新しい人、新しい場所、新しい遊びや音など、特に「初めて」に反応してよく泣いた。
困り果てた私に、先生は
「ゆうちゃん(二女)は賢い子だね。」
と言った。
「わからないから泣くんでしょ。だから、とっても賢いね。」と。
私はその言葉が嬉しかった。
私も二女も、その先生が大好きになった。
そして先生は私に、こんな話をされた。
例えば、
「今から着替えるね。右手から脱ぐよ。」
「ご飯を食べるよ。おかゆから食べようか。」
「学校に行くからね。抱っこするよ。」
のように。
成長とともに、娘は「初めて」を泣かずに受け入れる子になっていった。
月日は流れ…
娘は高校生になり、病気の合併症で視力をほとんど失った。
見えないことに不安そうな様子の娘が気になり、さらに意識的に私は彼女に声をかけるようになった。
無音が怖いんじゃないかな、と思い、常に音楽をかける。
「ここにいるよ」を伝えたくて、自分では動けない娘に話しかける。
そんな25年間の二女との時間で、話しかけることが私の習慣になっていった。
実況中継レベルに、ペラペラと。
次第に娘だけではなく、彼女のまわりにあるものにも、私は無意識に話しかけている(ようだ)。
*****
先日の二女の通院日のこと。
彼女のかかりつけの国立病院は、ほとんど人がいなくて、いつもガランとしている。
診察の後にリハビリを受けるのだが、別館の二階にあるリハビリ室へは、大きなエレベーターを使う。
いつも貸し切り。
誰も乗っていないし、滅多に乗ってこない。
たまに、病棟に運ばれる食事を乗せた、大きな配膳車を押すスタッフさんに会うくらい。
ついつい家にいる感覚で、乗り込む時に
「はいはーい、いらっしゃい、ありがとねー。さぁ、リハビリへ行こかぁー!」
のような感じで、二女に対してなのか、エレベーターになのか、どちらにというわけでもなく、私はいつものおしゃべりを繰り広げていた。
静まり返った空間が、ラジオのような自分のおしゃべりで少し温もる感覚で、私も娘も「さぁ、もうひと頑張り」のスイッチが入る。
新しいリハビリの先生ともすっかり仲良しになりました。
約1時間のリハビリが終わり、また静かなエレベーターの前まで車椅子を押していく。
一階に降りるために下へ行くボタンを押すと、下からエレベーターがゆっくり上がって来て、ドアが開いた。
ほんのわずかな間だが、開いているエレベーターを背に、ちょっと疲れた様子の娘のヨダレをタオルで拭きながら
「はーい、どうもありがとね〜♪
あ、乗るからねぇ〜、あ、乗るからねえ〜〜〜🎵
あ、待っててねぇ〜、あ、待っててねぇ〜〜〜♪」
と、少しリズムをつけて背中越しにエレベーターへ話しかけると、
「開延長を押しましたから〜」
と、中からスーツ姿の女性が出て来て、にっこり笑って私に、そうおっしゃった。
びっくりした。
まさか人が乗っているとは。
めちゃくちゃ恥ずかしい…。
『あなたに言ったわけじゃないのよ』と言い訳したい。
「ありがとうございました。助かります。」とお礼を言って、エレベーターにさっと逃げ込んだ。
やってしもた。
エレベーターに
「安心してください、空いていますよ!」的な何かの表示があればいいに。
いっそのこと、スケルトンのエレベーターならいいのに。
だから、モノに話しかけるのは家だけにしなきゃいけないんだよなぁ、と猛反省しつつ、これも私の習慣だから、仕方ないなぁとも思っていた。
こんな失敗談を家族に話すと、息子は「母さん、ダサっ!」と笑ってくれたが、夫は笑いもせず
「そんな、ずっとひとりごとを言ってるばあちゃん、いっぱいいるやん!相手の人もオマエをそう思っただけやろ。」って。
え、ばあちゃん、ですと?
しかも、語りかけるのは私の培ってきた習慣じゃなくて、加齢による心の声の漏れですか⁈
お願い、誰か、それは習慣だと言ってください。
石山直樹さんの、エレベーターでの素敵なお話。
心がぽかぽかします。
私も、優しいエレベーターおじさんに会いたくなりました。
こんなおじさんがエレベーターにいてくれるなら、私はエレベーターにではなく、おじさんにいっぱい話しかけるんだけど。
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