生徒としてだけでなく、人としてあなたが好き
noteを始めたばかりの頃、出会えて嬉しかった大切なエッセイがあります。
読ませていただき、ポロポロ泣きました。
そうなんです、ねいびーさんが書いておられるように、我が子を「可愛い」って思ってもらえることが、親ってすごく嬉しいと思います。
身体にも知的にも重い障がいのある二女のゆうは、就学前は療育施設に5年間通い、その後は、肢体不自由の特別支援学校に12年間通いました。
その間、たくさんの先生に出会いました。
幸せなことに、どの先生も娘を大切にしてくださり、私の気持ちにも丁寧に寄り添ってくださり、娘も私も、恵まれていたと思います。
それぞれの年代で印象的なエピソードはたくさんあるのですが、その中で、ねいびーさんの記事から、私の頭の中で、すぐに結びついた場面を書いてみたいと思います。
娘が特別支援学校を卒業するときの、担任の先生との、お別れの時の話です。
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娘が特別支援学校の高等部に通っていた3年間、私は学校に常時付き添うようになりました。それは娘が、人工呼吸器を使うようになったからです。
教室の片隅で一緒に授業を受ける日々に、正直、私も気疲れしましたが、先生方の配慮でかなり居心地良く過ごさせていただきました。
娘の高等部時代のクラスは、重度の重複障がいのある生徒ばかりだったので、ほぼマンツーマンで担任が付き添ってくださいました。
かなり手厚い対応です。
高校3年生のクラスも、5人の生徒に対して4人の担任、という体制でクラスが編成されていました。
高等部の3年間、ずっと娘の担任だった中川先生(仮名)という女性の先生は、高2、高3と、2年間、娘の主担任もしてくださいました。
主担任とは、成績や進路関係、保護者との主な窓口、例えば修学旅行などにも付き添ってくださるような、その子のメインの担任のことです。
中川先生は、出会った当時、教員としての新規採用から4年目。いつもパタパタしていて、ガハハとよく笑う気さくな先生でした。
どんな時も親身に娘を思ってくださる方で、熱心と適当のバランスが良くて、あたたかいお人柄でした。
技術と知識で導くタイプではなく、一緒にとことん悩んでくれて、考えてくれるようなところも、私は好きでした。
おかげで、永遠に卒業したくないくらいに、親子で充実した学校生活を送らせてもらえました。
卒業式が終わり、帰り際に、先生にお礼を言う私に、
「私、仕事を忘れて、ただ本気でめちゃくちゃ楽しかったんで。」
と先生はおっしゃっいました。
「ゆうさんもお母さんも、頑張りましたね。」
でもなく、
「私も勉強になりました。」
でもなく、
「新しい進路先が楽しみですね。」
てもなく。
中川先生はポタポタ泣きながら、
「ゆうさんと離れたくないなぁ。私、ゆうさんが好きなんで。この人、ほんとに可愛いからなぁ。」
と言ってくださいました。
それがめちゃくちゃ嬉しかった。
我が子を、好き、可愛い、って言ってもらえることは、本当に幸せな気持ちになります。
障がいがある無しに関わらず、です。
中川先生は、娘が卒業してから9年目の今でも、娘の誕生日や、夏休みなどの長期休みには、我が家に来てくださいます。
「元気をもらいに来ましたー!もう、私、ゆうの友達なんで。あ、琲音さんとも。」
いつの間にか、先生は、娘を「ゆう」と呼び捨てになり、私を「お母さん」とは呼ばなくなりました。(笑)
中川先生は、私たち親子の大切な恩師で、可愛い友人です。