階段が教えてくれた人生
階段を踏み外した。
比喩表現ではなく私は
自宅の階段をツルっと踏み外した。
おろしたての靴下が滑りすぎたと思われる。
ドリフのコントのように転げ落ちて
北斗の拳のモヒカンのように吹っ飛んだ。
「大丈夫か?夫くん」
「ああ、なんとかな。嫁ちゃん」
愛する嫁の介抱によって我に帰った私。
ちょっとばかし目の奥で火花が散ったぞ。
ふむ、ふむ。意識はOK。視界も良好。
記憶だって飛んでないし嫁の顔も分かる。
淹れていた珈琲を飲んで一息。
うん。たぶん、コレは大丈夫なやつだ。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
朝の階段には気を付けよう(教訓)。
踏み外した瞬間、私はヤバいと思った。
(あ、もしかしてこれ死ぬやつ?)と。
結果的に打ち所が良く
ただの全身打撲で済んで事なきを得たのだが
ほんの少し体勢がズレてたら他界コースでも
まったくおかしくない。
転げ落ちた先で私は考えた。
私、死ぬかもしんないけどいいか?って。
なんかやり残したことはないのか?って。
自分に向かって問いかけていた。
もしかして人生の終わりというものは
こんなふうにあっけないものなのかも。
そこまで考えた私は、はたと思い立った。
あれ?私ってめっちゃラッキーなのでは?
階段から転げ落ちるという朝から怒涛の
ハプニングはあったものの、ほぼ無傷。
そしてなにより
こんな一瞬の気のゆるみで終わりが来る
という気付きを実感することができた。
そしてそして私は今後の人生において
階段を踏み外して転げ落ちることはない。
未来の私が必ず階段を警戒するからである。
転げ落ち防止能力を獲得したと言ってもいい。
いやあ、なんて私はツイているのだ。
最後に
話は少し戻って自分自身の問いへの回答。
問①:私、死ぬかもしんないけどいいか?
→わりといい人生だったから、いいかもね。
問②:なんかやり残したことはないのか?
→ないといえばないけど、あるといえばある。
嫁と話したいし、noteも書きたいなぁ。
私は自分で思っている以上に
noteのことが好きだったみたい。
これは面白い発見。
あ、もちろん嫁が一番だけどね。
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