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noteでつながるリンク体験

つい先日、素晴らしい記事を見つけた。

相互フォローさせて頂いている
るいさんの記事である。
(勝手に紹介させて頂きました)

朝、寝ぼけまなこでふむふむと読んでいたら
いつの間にか記事に入り込んでいて
気付いたら読破していた。いつの間に!

たしかにおもしろいし読みやすい記事だけど
どうしてこんなに興味を惹かれたんだろうと
もう一度初めから記事をじっくり読んでみる。

ああ、そうか。わかった。
この記事と、私の記憶がリンクしたんだ。

・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

「おかあさん、料理教えてよ」

なんとなく料理を作りたくなったのか
孤独に料理を作る母親に気を使ったのか
あるいはその両方なのか定かじゃないけど
小学生の私は、母親に料理を教えてほしいと
純粋なまなざしで懇願したことがあるのですよ。

私の訴えに振り向いた母親の顔は
いままで見たどんな顔よりキラキラしていた。

「なに?料理作ってみたいの?」

オムライスを作りたいのだとリクエストすると
ウキウキしながら卵とボウルを用意してくれた。
母、なんだか楽しそうだぞ。ワクワクしてきた。

そこから怒涛のオムライスチャレンジ企画が
幕を開けるんだけど、詳細に書いてしまうと
おそろしく長くて蛇足な文章になってしまう。
なので結論。

料理がキライになりました。

1から100まで懇切丁寧に説明をする母親。
そして手順を間違うとその都度指摘される。
だんだんウンザリしてきた私はこう思った。

(なんだよ、うるさいよ、口出ししないでよ。
ぼくがやりたいようにやらせてよ!)

尊敬する母親の期待に応えられずに
ダメ出しを連続でくらってしまって
悔しさと申し訳なさが爆発していた。
ひらたく言うとスネてしまったのだ。

「もういいよ・・・やめる」

やがてリタイア宣言をした私。あのときほど
心底がっかりした母親を見たことはなかった。
私はどうやらヒドイことを言ったようである。
しかし、母親を気遣える余裕なんてなかった。

とにかく、この一件で
「料理ってメンドクサイ」
と心に深く刻み込まれた私は、その後
嫁に出会うまで料理に抵抗を持っていたのだ。

・・・という記憶が、閃光のように蘇った。

自分でもすっかり忘れていた記憶が
こんなにも刺激されるものなのか。

興奮した私は素晴らしい記事を書いてくれた
るいさんに長文コメントを書き込んでいた。
(ちょっと落ち着けば良かったと思っている)

まあ、とにかく、私が言いたいのは
記事に心を奪われるのは最高だってこと。

いい文章や、素晴らしい内容の記事は数あれど
時間を忘れて読んでしまうっていう経験は
なかなかない。
これだからnoteはやめられない。
できれば私もそんな記事を書いてみたい。
またもやnoteの楽しみができてしまった。


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