汚染恐怖・追いつめてくる脳と今日の活動
なぜ、脳は自分自身のことなのに
様々な『妄執』を考えだし、自分を苦しめるのか
本当にわからない
強迫性障害は、小さな絶望と死への途中駅への切符のように思える
強迫観念が新しく沸き起こり、強迫行為が追加されるほど
あまりに不自由になりすぎて、生きていかれなくなるのではないかと真剣に考えることがある
でもその物凄く強烈な命令は、誰かから出されたものではない
従わなければ、自分の首を切り落とすか、大切な人の首を目の前で切り落とすかの究極の選択のようだ
強迫行為をするのも地獄、しないのも地獄である
でも自分の大切な人が自分のせいで、首を切り落とされるのを見るくらいならば、自分の死を願うというとは容易に想像できると思う
強迫性障害で死を考えたことがある人はそれくらいに、真剣に苦しみ悩んでいる。いっそ、死を選び、リセットしたい
こんな脳とは付き合えないと本当に思っている
やり直すという気力すらも消え失せて、力尽きている
なので、死を選ばないで今日1日を終えただけで、本当は第三者に肯定してもらえたらどんなに幸せで、そうして、無駄だとわかっている努力が報われるかと思う
でもそれは他者に望むと相手との関係が壊れてしまう
それが病を患っている期間が長いほどに、哀しいほどに実感し、学んでいくことであったりする
本当に、強迫性障害は哀しい苦しい病だと思う
そんな私ですが、なんと、昨日眠いのに寝付けず
本日はそれでも9時半には起きていて、9時45分には着替えたり、朝食の準備をしておりました!
正直、寝不足のときの過ごし方を検索したかったくらいに寝不足は悩ましい
判断能力が鈍るのが分かるし、強迫観念や不安も高まりやすく思う
けれど、なんとか起きれた
起きれたら起きれたで、また暇な時間に悩んでしまった
それで、鬱になってから、本を読み、映画を観ていると不安が高まってみていられなくなるときがあるのだけれど、その不安と罪悪感をやり過ごしてみることにした
本を少々と映画をちょっぴりみた
また新しい職場にメールで問い合わせをしてみた
そうこうして、お昼になりちょっと昼食をたべ
14時くらいから30分ほど掃除をした
14時30分からオンラインの栄養療法を聴いた
それが終わってから、障がい者の相談窓口に問い合わせのお電話をしてみた
私が障がい者となったのは昨年中ごろなのだけれど、障がい者の申請をしてみるか否か、一通りは悩んだ
審査が通るかはわからなかったが、通ったら障がい者になる
やはり抵抗があって、本当にいいのか
それが正しい道なのか、後悔しないか悩んだ
悩んだって答えはでないのに
今思えば、そのように答えが出ないことに対して、頭がぐらぐらと茹で上がるくらいに悩むのも、鬱や不安障害の症状だったのかと思うことがある
きっと、たぶん、そう
けれど、今やるしかないと思った
汚染恐怖が強まっていて、今後自分がどうなるかわからなかった
障がい者申請の手続きは今もアナログだ
手書き、書類郵送が主と知り、今後、成し遂げられるか自信がなかった
そこで都心から引っ越し、田舎の大きな病院にかかったときに
医師の勧めもあって、申請していたのだ
結局、障がい者になったからと言って、その等級が最上位でなければ殆ど使い道はないと言っていいだろう
障害者手帳を取得しても、保管をお願いして(それが良いかどうかは別として)とりに行かない方もいるそうだ
私も、最近まで取りにいかなかった
正直、なにかあったときに障がい者雇用に応募したい
そのチャンス(きちんと自活し、納税し、生きていく)の幅を広げておきたかったのだ
そうして、その機会はやってきてしまったので、先日取りにいったのだけれど
話は戻って、障がい者の支援施設にお電話するのも初めてで
職場のことや働き方で相談があればのってくださるとのことだったが、初めてだったので、どんなことをお話出来るのかとか、どこまで頼って?いいのかわからなかった
それでも、頼る人親族や友人がそばにいない私は、都心ではとてもそのような、行政に頼るというか、相談するような心になれなかったけれど
今は、田舎にいて、迷惑にならない範囲でお話を聴いてもらい、助けてもらって、きちんと働いて、納税して、そうして生きていけたらと思っている
夕方に通院だったので、病院に行った
正直、先日、市のカウンセラーさんと話したときに
どうしても拭いてしまう、苦しいと話した
行動療法(私は今は主に軽微な暴露だが)をしているが、正直、しんどいとも。
そうしたら、そんな苦しいことしないほうがいいと、バーンと言われた
自分と戦ってもいいことはない
それよりも、失敗することが大切なのだと。
『30回でも50回でもチャレンジすることが大切
チャレンジして、失敗すれば自分が何に躓いているかわかる
反省したりして成長していける
でも成功ばかりを望んだら、うまくいかなかったときに心が折れてしまう
感情は認知ではない、一部、認知ではあるけれど
気が済むまで拭けばいい
そうしなければ生きてこれなかった、生きていかれないのだからそうしている
今の自分に必要だからしているんだ
だから拭きたいだけ、拭いていい
健康になれば、やめられる
だからまず、自分を信じる』
そのように言われた
正直、そういわれてひどく安堵した
その言葉を聞いてから、調べたりすることもうまくいった
なんだか潮目が変わった気がした
でも医師は、不安階層表を作り、無理のない範囲での暴露を薦めている
どうしたらいいかわからないので、率直に医師には話した
カウンセラーさんも、医師と違うことをいうことを気にされていたが
私はカウンセラーさんの言葉をきいて、正直、ホッとしたと
でも、強迫性障害の治療が主に、暴露であることも知っている
そのことに取り組んでいかないことに対して、どうかと思ってもいると
そうしたら、医師からは、暴露療法もそれをしないのもどっちも正しい
出来るときに少しずつやって、出来ないときは休んでいい
やれそうなときやってみる
出来ないときは休む
今週はできなかった、それはそれでいいのだと言われた
私は、人と接するのが少ないからか、暴露にきちんと向き合わない自分を医師がどう思うか、正直ひどく気にしていたと告白した
どう思われるんだろうかと心配であったと
でも医師は朗らかに笑いながら、暴露療法に取り組めないからといって注意したり指摘したりはしない
森絵さんには休むことも必要でがんばっています
と言ってくれた
とてもホッとした。それと同時に、『人と接することがないから』と理由をつけるのは逃げだよなーと、待合室で思った
正直に、二人の意見、どちらも正しいと感じているがどちらか私は決められないと言えない、だけれど責められたくないという、なんというか
意気地がないというか、そんな感じがした
医師からは以前、何かアドバイスすると、あれもだめ、これもだめと言っているよ、と言われた
そうして、自分に非がないようにいろんな最もらしい理由をつけていると
でもそれは不安で病気だからなので、指摘していきますと言われた
その場を穏便に済ますために、嘘?、耳に心地よいことを文頭につけてしまう癖をやめたいなと思った
帰りにいつものカフェでご飯を食べようと思ったが、先客が女子会?!をしようとワイワイしていて、なんだかそれがはけるのを待つのが面倒でほかのお店に行ったら、強迫観念がめちゃくちゃ強くなった
私はいつも、座る用事があるときは、雨の日用のレインスカートを履いていて終わったら、座った場所に触れたスカートをアルコールシートで拭いているのだが、そのお店に汚染恐怖の元の人が過去に来たのではないかと思ったのだ
商業施設のご飯どころなのだが、ちょっと前に改装したのだが、改装するまえに利用してた、その店ではないかと思ったのだ
そうしたら、その椅子が酷く汚染されているように思え、ビニールのスカートに布張りの椅子の、その繊維が付き、それが歩いてるときに落ちて、靴の中に入ったのではないかと思ったのだ
もうぞわーとして、何度も何度も拭いてしまった
そうして、そんなふう(繊維がついて落ちたら靴に入ってそこも汚れる)に思ったら、どこにも座れなくなる、どうしようと帰ってから憂鬱になった
どうして脳は、自分である私を苦しめ、追い詰め、道をどんどん狭めていくんだろうか
本当に苦しい
明日から出かけたり、次の診察のときどうしようかと思う
本当に、なぜ脳は自分自身でもあるものを苦しめるんだろ
家に帰って、また拭いて、お風呂に入って、海外のサイトで栄養療法のサプリをまとめ買いした
日本で手に入らない含有量が必要なので…
今日できたこと
・お風呂に入った
・3食食べた
・日記を書いた
・問い合わせメールをした
・お電話をした
・通院した
・ゴミをまとめた
・掃除をした
・9時半には起きれた
・映画を不安を我慢して観てみた
お力添えありがとうございます。