低空飛行。鬱と強迫性障害、メンタル疾患と働き、共に生きていくこと。
noteを続けることで
出逢いがあった
こんなわたしを気にかけてくれる
天涯孤独といえるわたしに、声をかけてくれるひとがいる
ものすごく有難くて、ものすごく嬉しい
お仕事も続けられている
なのに、どうしても、元気がでない
例えるなら、雨の日が続いて、本もネットもTVも映画も、コーヒーも紅茶も何もなく、ただただ雨が降っていることを窓辺からみているような感じだ
動けばいい
楽しいことを見つければいい
何より、雨風がしのげるところにいることの幸福を感じればいい
わたしの思いは、気持ちは、わたしのなかから生み出されるはずなのに
それがわかっているのに、まるで、油を入れていた缶から油がなくなって、それでもこそぐように、油を取り出して、布で拭いて、そうして、まるで油なんてなかったかのように、そんな感じで、楽しいとか嬉しいとか、快いという感情が湧き上がらない
どうしても、どんなにがんばっても
仕事をしていても、いつのまにか手が止まってしまって、ついスマホを手にしても、みたいものがあるわけでも、連絡があるわけでもない
ただ、手にしているだけなのだ
冷たいものを飲んでみたり、水を飲んでみたり、サプリを摂ってみたり、なにをしても、心は低空のままだ
それがすごく苦しい
なにか楽しいことが見つけられさえすれば解決するのではないかと思ってしまう
頓服を飲めば、柔和になって楽しくなれるのではないかと思ってしまう
でも頓服はぼんやりさせるだけで、わたしの知る限り、処方薬でテンションをあげたり、楽しくしてくれるものはない
たぶん合法では飲酒くらいだろう(お酒は楽しくさせるホルモンがでるとかなんとか)
以前までのわたしは、この気持ちの苦しさを自分ではどうしようもできず、何をしても解消解決できず、ニンゲンに頼ってしまった
田舎の娯楽はニンゲンみたいなものだ
親しい人と話したり頼ったりして、エナジーバンパイアだったんだと思う
だからみんな離れていっちゃった
わたしはずっと辛いときは、支え合うもの、元気を分け合うものだと思い込んでいた
それはある意味ただしいけれど、わたしのように、病気の人がそれをしてはいけない
対面しているひとの、大切な元気を奪ってしまうから
気力や元気はその人の大切なものなのだ
目に見えないし形もないけれど、奪ってはいけない
それを養分にして、自分を楽しくさせてはいけない
友人からは、いつまでそうなんだ、何度繰り返すんだと言われたことがある
わたしも、次こそは、次こそはって思って何度も立ち上がってきたけれど、この、不快感、元気の枯渇はもう、準備や備えでなんとかなるものではないと思う
まさしく脳という機能の疾患だと思う
だからどうしたら、脳が少しでも正常に、少しでも幸福ホルモンやリラックスホルモンを感じられるか、体が分泌してくれるか、癒えてそれらが行われるかを、なるべくストレスを感じないように、目立ったこと、目新しいことをせず(汚染恐怖が誘発されて、ストレスと脳に負担がかかるから)、とにかく仕事を続けて、生きていく、生活していけるように、その軸だけを、人として生きていく、その機会を失わないように…
だめな時期がきても、なんとかやり過ごせる、その経験を作っていけるように、きっとそれが今後の未来に役立つから
それを願って過ごすしかない
一つ残念なのが、どんなに親しい人も
どんな人も元気がないひとからはやはり離れていってしまう
ずっとそうだった
出来ることなら、このひとは、森絵というひとは、そういう、波がある病を抱えていきていると思ってもらえたら嬉しい
そして、だめな時もあるけれど、きっと立ち上がりたい、きっときっとそう思ってると思ってくれたら嬉しい
わたしがおちてるときは、関わり過ぎなくてもいい
どんなに心が健康な人でも引きずられてしまうことがあるから
でも、こいつがんばってんだな
天涯孤独で、ひきこもりで、したいことも、楽しいことも諦めて、それでも、そのなかで幸せをみつけようと、生きようともがいてるんだな
そう思っていただけたらうれしいです
それがわたしの、鬱です
それがわたしの強迫性障害です
それがわたしのひきこもり生活です
それがわたしの生きていってる道です
追記
・サプリメント、プロテイン
・入浴、お肌の手入れ、トリートメントちゃんとした
・洗濯物畳んだ、洗濯は明日
・買い出しをした。新じゃがなく、別の店舗へ。オレンジもなかった。割引のハンバーグ、冷凍フルーツ、豆乳、ロールケーキ、濃縮紅茶(仕事中めちゃ水分摂る。水分摂るので気分転換してる感じ)
・コロコロをかけた
わたしは髪の毛が散らばるがめちゃ嫌ですごくコロコロをかけるのだけれど、もうそれが嫌になってきてます笑
お力添えありがとうございます。