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超常現象⑤ -楽しい不思議体験(前編)-

かなりのボリュームになったので、前編と後編に分けます。

超常現象シリーズ
超常現象① -はじめに-
超常現象② -ハワイの幽霊-
超常現象③ -幽霊からの卒業-
超常現象④ -エネルギーの反転 -


幽体離脱

恐らく、エネルギーの反転を試みた直後ぐらいの出来事だったと思う。一度だけ幽体離脱を成功させたことがある。

大阪にいた当時、家族3人、和室に布団を並べて寝ていた。
ある夜のこと。子どもとともに布団に入ったのだが、私は寝付けず、ただただ、オレンジ色の照明でうっすら明るい天井を眺めていた。そこから幽体離脱に至ったきっかけも、その方法もさっぱり思い出せないのだが、気づいた時にはもう意識が天井ギリギリのところまで来ていたのである。身体の方に振り返れば戻ってしまうような気がしたので、しばし仰向けの状態で浮遊していた。
そういう時は感情の揺れが大きく影響する。なるべく平静を保つよう心掛けていたのだが、夫が襖を開けて入って来た途端、意識が瞬時に身体に戻ってしまった。
無事に戻れたことは良かったのだが、欲を言えば家の外に出て空中散歩をしてみたかった。

安産祈願

昨年、第二子妊娠中の友人から産休に入ったと教えてもらった。だいぶ前に安産祈願のお守りは郵送済み。私に出来ることは、遠くから静かに無事を祈ることぐらいであった。
その連絡から何週間経った頃だろう。
毎週土日のどちらかの午前中、私は必ず浴室掃除をするのだが、掃除中、急に友人のことが頭に浮かび、そわそわして落ち着かなくなった。なので、掃除中ずっと「安産、安産…」と念仏のように唱えていた。
すると、翌々日に無事出産したという連絡が来たではないか。しかも、生まれたのは2日前、陣痛が始まったのが午前中だったそうだ。
いわゆる虫の知らせというものだろう。
あなたにも経験はないだろうか。ふと気になった芸能人が数日以内にニュースになっている、ということなどが。「ただの偶然だ」と言ってしまえばそうなのだが、この感覚を大事にしていくと直感が鋭くなり、少しだけ生活に活かされる、と私は思っている。

クリスタルチューナー

家族でショッピングモールへ行った時のこと。
天然石を扱うお店の前を通った際、子どもが見たがったので皆で入ってみることにした。
小さく加工された石のほか、既にアクセサリーとして加工されたもの、大きな石の中の空洞にびっしりと並ぶアメジストの結晶なども飾ってあり、子どもは目を輝かせていた。
様々な商品が並ぶ中、私も1つ気になるものを見つけた。
クリスタルチューナーである。水晶を原料にした音叉とのことで、確かそれは4096Hzという高周波数の音を出せるものだったと思う。音楽好きとしては気になるところだ。
試奏用が置いてあり、叩いてみると確かに高音の澄んだ綺麗な音だ。欲しい気もするが、音楽での使い道がわからなかったので購入はやめておいた。
私が試奏コーナーから離れた少し後に、クリスタルチューナーの音が聞こえた。離れて店内を見ていた我が子が叩いているのかと試奏コーナーを振り向いたが、そこには誰もいない。誰かが叩いてすぐ立ち去ったのだろうか。
店を離れる寸前にまた音がしたので、再び試奏コーナーに目をやったが、やはりそこには誰もいなかった。
直後、亡くなった祖父のことを、そして、今朝見たカレンダーに彼の名前が書いてあったことを思い出した。ちょうどその日は祖父の祥月命日だったのだ。我が家はなかなか墓参りに行けないので、両家の祖父母それぞれの祥月命日には、お茶と本人の好物だったものを供えるようにしている。
その日の帰りは、祖父の好物だったみたらし団子を買って帰り、お供えをした。
あの音は空耳だったか、そして祖父の仕業だったかどうかもわからないが、祖父だったらいいなと思う。
ちなみにクリスタルチューナー、やはり欲しくなり、4096Hzのものを後日ネットで購入した。音楽にはまだ生かせていないが、鈴(りん)代わりとしては活躍している。

金粉

金粉が出る、というのをご存知だろうか。
金色のラメのようなもので、肌に現れると擦っても落ちないが、時間が経てば自然と消える。これも一度だけ経験したことがある。
小説を書いていた頃のこと。書くのが楽しくて仕方なくて、時間が許す限り、無我夢中で書いていた期間がある。
ある日、書いている最中に何気なく腕を見てみると、ラメも塗っていないのに(そもそもラメなど持っていない)、腕がキラキラと輝いていた。「へぇ〜」と眺めるだけで写真を撮るのも忘れてしまったが、撮ったところで写っていたかはわからない。おそらく、純粋にワクワクした気持ちによって引き起こされたのだろう。
見たら金運が上がるとか、幸運になると言う人もいるが、私の生活に特に変わりはなかった。私にとっては虹を見たようなものである。

前世を覗いてみた

自分と向き合うことなら何でもやってみたいと思っていた時期、ヒプノセラピーで前世見ることに挑戦してみた。ヒプノセラピーとは催眠療法のことで、本来、専門家にやってもらうものだと思うが、私はお金を掛けたくなかったので自力でやってみた。すると思いのほか上手くいった。
見えた前世について少しお話する。

最初に見た自分の前世はアフリカ人男性だった。
どこかの小さな村の祭事を取り仕切る青年で、その日の祭事に備え、私は青い衣装に身を包んでいた。服の質からすると、そこまで昔ではないようだった。
私には見合いで結婚した妻がおり、2人の間には生まれたばかりの赤ん坊もいた。妻と話すものの、彼女はまったく目を合わせようとしない。2人の関係がどんなものかが一瞬にしてわかった。
現世の私は彼女のことを知っていると思った。彼女から私の近しい友人の気配を感じたためだ。もしそうだとするなら、生まれ変わっても夫婦になりたいとはお互い思わなかったのかも知れない(笑)
その後、私は外出した。
道の途中、岩に座る長老らしき人と話をする。彼は祭りに関して何か苦言があるようだった。彼には大学の頃お世話になった教授が重なった。ヒプノセラピーを終えた後に、「生まれ変わっても人間関係を前世の知人で固めるものなのか?」と少し疑問にも思ったが、フィーリングを大事にしたいので、そのままのことを記しておく。
長老と別れてどこかの茂みに入った時、蛇に噛まれてしまった。どうやら私が見ていたビジョンは男性の最期の日だったらしい。苦しくなる呼吸、次第に弱々しくなる脈。意識が途切れる寸前に妻子のことが脳裏をよぎったのを覚えている。そうしてアフリカ人青年としての私は呆気なく人生を終えた。

ちなみに、前世というのは1つではない。
私にはアフリカ人男性以外にも、ローマ時代にひたすら壺を作っていたローマ人や、第一次世界大戦の最中、雪に覆われた山岳地帯で亡くなったオーストリア人兵士、わりと現代で、幼少期のトラウマから、心の問題を長年抱えながら森で暮らしていたアメリカ人女性などの前世が存在する。
これは私の仮説だが、魂は何度も生まれ変わっているのではなく、生を終えた沢山の魂が再び一つの魂を形成し、新たな魂として生まれるのではないだろうか。その理由として、1つの魂が生まれ変わり続けているとすると、この世の時間軸的に重複するところが存在し、不可能になるからである。
もちろん、この世の理とあの世の理は異なるだろうから、本当のところはわからないが。
前世を見ることはそれなりに楽しかったし、学びもあったが、人生に多大な影響を及ぼしたかと言えばそうでもない。私自身、前世にそこまで重きを置いていないからだ。
前世を覗いて、そこから自分の心の課題を見つけるも良し、人生のエッセンス的に楽しむだけも良し、なのではないだろうか。

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