眉友(12月21日)
ここ2年くらい2ヶ月に1回のペースで眉毛サロンに通っている。眉毛だけを専門に整えてくれる場所である。このニッチなジャンルで商売が成立してしまうあたりが初めて知った時、うわっ…東京っぽいなと思った。それまで眉毛なんてものは自分で整えるものだと思っていたし、まあせいぜい髪を切るときのついでにちょちょっとやってもらう程度だと思っていた。しかしいざ蓋を開けてみると仰天、半月先まで予約でびっしり埋まっているではないか。美容室の予約でさえ1週間くらい前なのになぜ眉毛を中心に添えながら1ヶ月先の予定を決めなければならないのか。予約したが最後、眉毛のことが常に付きまとう1ヶ月なんて死んでもごめんだね、なんて吐き捨てるはずだった想像の自分とは裏腹に、2年という時を経てすっかりその生活に馴染んでいるのでやはり人間の順応性というのは侮れない。
もちろん目的は眉毛を整えに行くのだが、この2年間ずっと担当してくれている女性の方を僕は2ヶ月に1回会う友達だと思っている(向こうは思っていないかもしれない)。世間的に言う少し変な人で、独特の世界観を持っている。担当してまだ間もない時に自分の性癖の話を赤裸々に語りはじめたり、嬉しそうにごっそり抜けた毛を見せてきたり、この日は手のひらを広げた時に薬指のプルプルが止めらないという世界一どうでもいい話で盛り上がった。極め付けは、最近僕が絵を描いてると言う話になった時「見せてください」となりそうなところを「いや、見ない」と頑なに拒むのだ。もし絵が下手くそだった時にリアクションに困るかららしい。気持ちはすごく分かる。僕も最近同級生にちらほら赤ちゃんが産まれ始めたのだが、その「写真を見せて」からの「かわいい」までが1セットになっている感じが耐えられない時がある。赤ちゃんが嫌いなわけではなく、本音でいられないその空間がしんどいのだ。
向こうももちろん仕事として接客しているのは分かるが、そこに今この人は素だなと分かる時間があるとこちらも居心地がいい。「今日はお休みですか?」みたいな質問を大して興味も無いのに定石のように投げかけられると僕は無理しなくて大丈夫ですよと思ってしまうのだが、それが向こうにとって逆にやりづらさに繋がったりもするのでその結果、お互いが変に気を使い合って消化試合のような一問一答の会話劇を繰り返すことがある。それはそれで仕方のないことだと思う。人間誰しも合う合わないはある。そんな探り探りの会話の中にも少しだけ自分と似た感覚を発見できるとその人と一本の線で繋がりながら、違った部分に対してリスペクトの気持ちを持てるようになる。
この繋がった感覚を一度持つことができれば、次会うときに間隔が開いてしまってもまた前の温度感で話し始めることができる。間隔が開いた間にはそれぞの人生があり、それを共有する時間が尊い時間になるのだ。これに気づいてから人と極端に会わなくても満たされるようになった。会う機会は少なくても僕はこの関係性を「浅い」とは思わない。
信じられないほどに綺麗に整えられた眉毛。まだ真っ白なカレンダーに先陣を切る眉毛の文字。この時に生じるわずかな違和感で眉毛に予定の中心を握られていることに納得できずにいることを再確認する。あぁもう2024か。