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キアロスタミと小児科医 『ホームワーク』を観て感じたこと

イランのアッバス・キアロスタミ監督の『ホームワーク(1995年)』を観ました。

宿題ができなかった子どもたちに、宿題ができなかった理由を尋ねるドキュメンタリーです。当時のイランでは親が字が読めなかったり、教育方法が変わったりした結果、親が宿題の面倒を見きれず、大量の宿題を抱えた子ども達がひたすら親に叱られ、先生に叱られ、体罰を受け続ける実態がありました。子どもに「罰は?」と尋ねると「ぶたれること(ベルトで!)」と即答し、「ご褒美は?」と尋ねると「わからない」と答えます。

インタビューの始まり、カメラに見せる子どもたちの不安げな表情が忘れられません。みんな同じような表情をしています。特に終盤に出てくるマジッド君は、カメラの前で体を左右に細かく揺らし、目は泳ぎ、インタビューの始めから理由も言わず、ただ泣き続けます。友人のモライ君が一緒にいないと不安でたまらないと彼は言います。モライ君曰く「マジッドはいつも怖がっていて、他の子が先生から怒られても怖がり、理由もなく泣き出すこともある」。マジッドは宿題ができないため、自宅では父親に叱られ、ベルトで叩かれ、学校では先生に叱られ、定規で叩かれていたのです。監督は父親にも話を聞きますが、とりつく島もなく、さも当然のことをしているとしか思っていませんでした。映画で映る彼の様子からは過覚醒、回避、フラッシュバックなどのPTSD症状が伺われ、常に怯え、自尊心やレジリエンスが低下していました。その結果、慣れない大人に声をかけられただけで上記のようになってしまったのでしょう(キアロスタミ監督の風貌や尋ね方も恐ろしげなのですが…)。

90年代のイランの話ですが、対岸の火事ではなく、現在の日本でも似た境遇の子どもたちがたくさんおり、小児科を受診しています。映画内の子どもたちの厳しい扱い(身体的・心理的虐待)から生じる表情や仕草、大人への反応などを通じて、多くの学びを得ることができました。映画の中で描かれた子どもたちの目や表情を忘れてはならないと、強く感じました。

『ホームワーク(1995年)』はAmazon Prime Videoで見放題です。

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