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書道の達人からプログラミングを学ぶ

お疲れ様です。Y研究員です。今日は「日本能書家列伝」を読んだので、その話です。能書家とは書道の達人です。このブログではプログラミングの勉強法として「写経」を研究しています。本来の写経は毛筆でやります。そこで、書道の大家にあたる能書家に興味を持ちました。

書道が上手い人を参考にすれば、プログラミングも上手くなるのではないか、という発想です。プログラミングにも良し悪しはあります。上手に書かれている物は見習うべきところがありそうです。

能書家とはどのような人達か

上下巻に別れて40人が紹介されていました。弘法も筆を選ばずの空海や、このブログで紹介した藤原道風も書いてありました。後世に名が残る能書家の条件をざっと見たところ、以下のことが分かりました。

一つは作品が残されていることです。中には本人が書いたか定かではない、という話もありました。しかし「この素晴らしい書はあの能書家が書いた」という伝説が大事なように感じました。プログラムの場合、有名な人はいますがあまり「このプログラム書いた」という伝説は聞かないような気がします。それよりも、プログラミング言語を作った人は有名な気がします。Rubyの松本さんとかAWKなどです。

もう一つはスタイルの確立をした人も能書家でした。プログラムの場合は一人でスタイルを作るよりも、人が集まって決まっていくことが多い気がします。標準化会議とかで決まる仕様もそうですね。Gang of Fourとかはありますが。。。

まとめ

参考にした資料は学術的な分析がされていました。おかげで能書家はどのような人達かが分かりました。今後は教育的に役立つお話(例えば道風のカエルの話)みたいな物がないか探してみたいと思います。

それではまた。

参考にした資料

https://gunma-u.repo.nii.ac.jp/record/4188/files/03%20GKJIN-NAGAYOSHI.pdf

https://core.ac.uk/download/pdf/153417577.pdf

※追記

記事を公開してから、K研究員からはWinnyの47氏(金子氏)の例が出ました。ビットコインのサトシ・ナカモトも伝説のプログラマー?ですね。

書道とプログラミングの違いも考えてみました。書道は作品が見て美しい芸術品です。プログラムはきれいに書くと読みやすくなりますが、芸術的にまで高める必要があるのかは疑問です。文芸的プログラミングを思い出しましたが、趣旨がすこしズレるように思います。

そもそもプログラムには、コンピューターに自動的に仕事をさせる命令書の役割と、他の人間に読ませて何をしているか理解させる2つの役割があります。コンピューター側に寄せると(過度にチューニングする、もしくは機械語で書く)と人間は読みにくくなります。人間側に寄せると、今度はコンパイラやインタープリタが大変です(そう考えるとScratchはよく頑張っています)。

プログラムは書道で残る作品とは違い、日常でたくさん書かれる文章に近い気もしました。速記メモ的な物もあるからです(使い捨てのスクリプト)。

これとは別に、普段使っているプログラムの著者についてもっと調べても良いのかなと思いました。オープンソースならプログラム自体も読めるし、著者の名前も明示されています。例えば今はNmapクローンをRustで書いているので本家を読んでも良さそうです。上手く行けば「本歌取」もできるかも。


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