【小説】ヒロコごっこ
リビングを出るときにピピピと三回クーラーが鳴った。低血圧・冷え性・少食・夏バテ中の浩子が、クーラーの設定温度を上げたんだろう。
二階の自室、といっても双子の姉の浩子と共同の部屋。そこをずっと片付けたかったのだけど、浩子が起きてくるのが遅すぎて、午前中にエネルギーが有り余るタイプの私とうまくタイミングが合わなかった。
部屋の両側の壁にそって一つずつ置かれたベッドの、入り口から向かって左が浩子、右が私のベッドだ。
ベッドの間に並べられた机の、浩子の方は整頓されているのに私の机はというと、ペットボトルとプリントとノートと雑誌とエコバッグとお菓子と充電コードと文房具でいっぱいだ。言い訳すると一応手前に20センチ四方程度の空間はある。改めて見るとあったからなに? という感じだ。
明らかなゴミを捨ててお菓子とコードと何故か発掘された小銭をエコバッグに放り込んで床に落としたところでもう疲れて、その先の要不要の判断は一旦置いておくことにした。
文房具は一番上の浅い引き出し、ノートとプリントは袖机の一番下の深い引き出しにまとめて放り込む。後の私よ頑張って。重くなった引き出しを足で戻そうとしたところで、奥になにかひっかかるものがあった。
覗き込むと一冊のノートが引き出しから溢れて、ひしゃげて引っかかっていた。腕をつっこんで取り出したそのノートは、一ページしか使われていない。そこには、車で眠る先生の無防備な寝顔がスケッチされている。端にはyokoのサインがあって、これがつまり私の名前、洋子だ。このとき、私は子供なりの決意を持ってyokoと書いたはずだった。もう薄れてしまった感情だけれど、そのときは一生忘れないだろうという気持ちだったはず。
はず、はず、はずしかない。
S字にうねった埃っぽい紙のなかで眠る先生は、忘れた頃にこうやってぐしゃぐしゃの机から現れる。
あれは秋のことだった。
部屋の窓から差し込んでいる強烈な日差しはあの秋の朝、高速を走る車の助手席で正面から浴びた日差しを思い出させた。
今は夏休みで、私は極めて健康的な生活を送っている。ランニングは気温の上がりきらない早朝のうちに限る。今朝は5キロ走ったあたりで日差しが強くなり始める気配をポニーテールによって晒された首の後ろあたりに感じたので、早めに切り上げてきた。
私は動物的なまでに寝起きがいい。日の出とともに自然に目が覚めるし、日が落ちれば眠くなる。ランニング後にシャワーで汗を流して、部屋着に着替えると、猛烈にお腹が空いていた。
牛乳を二杯飲み干しながら、トーストを二枚焼く。それからついでにソーセージも一袋の半分焼いて、トマトを切る。冷蔵庫には四つでひとパックのヨーグルトの残り一つがあった。三杯目の牛乳を添えれば朝食の完成だ。
半分ほど食べたところでまずママが降りてきて、シリアルに豆乳を掛けて目の前で一気にかきこむ。ついでに、ソーセージって安くないんだけど、と聞き飽きた一言を欠かさない。だから一袋の半分にしているのに。とは言い飽きているので返さない。
洗面所の方から耳障りなうがいの音がしてきて、パパが起きてきたと分かる。パパは朝ごはんを食べないで、インスタントコーヒーだけ飲んで出社する。私からすると信じられないけど、おじさんというのは生態が違うからそういうものだと思えば、サンプルは一人だがまだ分かる。分からないのは、浩子の方だ。
朝食を食べ終わっても浩子はまだ起きてこない。夏休みの間は昼前くらいまで寝ていることがある。どうしてこんなにと思うくらい体質が違う。体も弱くて、でも背は私より少し高くて、それで。
スマホどこだっけ? あたしどこ置いた? 見た? あ、あったあった。入ってたわ。じゃあね。あ、パパもう出る? 今日遅いんだっけ? 鍵忘れないでよ。いつも忘れてくんだから。いってらっしゃい。あたしも行かなきゃ。じゃあね、洋子。いい加減浩子起こして、何か食べさしてね。あの子放っておくとどんどん痩せてっちゃうんだから。じゃあ行くからね。
思考に割り込んできたママの声を聞き流して、いってらっしゃい! と殊更元気よく返してみせる。声が空気砲みたいな玉になって、廊下に押し出してくれたらいいのに。
出勤前の騒ぎの余韻を残したリビングは居心地が悪い。痕跡を消すためなら、片付けが嫌いな私も動ける。
ナントカの居ぬ間に、クーラーの温度を2度下げて、部屋をキンキンに冷やしてソファに横になったところで、一段ずつ存在を確かめるように降りてくる足音が聞こえてくる。
寒っ。リビングの戸を開けてまず浩子が訴えた。ピピピ、と三回音が聞こえたので3度上げたらしい。途端にクーラーは動きを止めてしまった。大袈裟なんだから。というのは黙っておいた。低血圧というものになったことが無いからそう感じるだけで、しかも私の体は今絶賛エネルギーを燃やしているところなわけで、ショートパンツから伸びる白い脚をさすりながら、膝を抱えてダイニングの椅子に座る浩子の寒がりようは確からしかったから。
ガンガンに効かせたクーラーの冷気がぬるくならないうちに、食器を洗うことにする。動き回る私を眺める浩子はまだここが夢なのか現なのかわからないような、そもそもそんな境界など知らない赤ん坊のような顔で、部屋で唯一動くものである私を目で追っていた。
あいかわらず元気でなにより。と普段より空気の多いもわもわした発語がある。
おはようが先でしょ。
うん、おはよう。
今度の言葉はさっきより少し空気が減っていて、聞き取りやすい。
だいぶ現に傾いたらしい浩子がやっと椅子を降りて、冷蔵庫へ向かう。浄水ボトルを取り出して、さらに中を覗き込んで探しているものはきっとヨーグルトだ。冷蔵庫が高い音を鳴らして不平を表してもしばらくじっくりと中をあらためていた浩子が、やっとドアを閉じる。洗い物を終えて、こっそりクーラーのリモコンに手を伸ばしていた私に振り向いた浩子の言わんとしていることはわかっている。
浩子さんが昨日朝と夕方に一個ずつ食べました。パパが昨日の夜一つ食べました。残りの一つを洋子さんが今朝食べました。さて、誰が買いに行くべきでしょうか?
問いを投げながらドサクサで2度下げる。ピピ。冷蔵庫が鳴っているときにやればバレなかったかも、と気付くが遅い。
今日の帰りにパパが買ってくるべきだね。
浩子さんが二個食べたのにですか?
だってもう外出たくないし。暑すぎる。
じゃあラインをしておくことですね。好きな味リクすればいいじゃん。
クーラーの風が一番あたる席が浩子の斜め向かいだったので、そこに腰掛けて言う。リモコンは念の為、手元に確保しておく。寒いなら着れば良いのである。暑さはどうにもならない。
結局グラスに注いだ水だけで朝を済ませようとしているらしい浩子が、うつむいてスマホを弄っている。顎で切りそろえられたボブが頬にかかって小さな顔がますます小さく見える。つむじのあたりが寝癖でぽわんと膨らんでいるのを眺めながら、私は、私たちがもう少し似ていた頃のことを思い出す。例えば髪型だって、ずっと一緒だったとか。
浩子がひろ子だったころ、私は漢字で洋子だった。浩の字は小学校で習わない漢字だったから、五年生まではひろ子と書かなくてはならなかった。六年生になったら、中学校にあがる準備として、名前は全て漢字で書くことになって浩子が浩子になった。ひろ子が浩子になったら、とたんに浩子の名前の方がかっこいい気がしてきた。
浩子の方が美人だというのに気付いたのも、それまで同じだった身長に差がついてきたのも、同じ時期だし、いつの間にか浩子は自分できれいに髪を編めるようになっていて、日によってヘアアレンジを変える浩子は、同級生の目を引いていた。おしゃれ、かわいい、センスある。そういうのがクラスでのランクを決めるみたいな、そういう時期のはじまりに立っていた。
どうして双子なのに浩子と差がついていくの? 足が速くても、バスケが上手くても、かわいい浩子にはかなわない。それまで当たり前のように同じペースで同じ長さにカットしていた髪を、短くしてしまいたい衝動に駆られたのも仕方ないと思う。
いつもの美容院で隣同士の席について、鏡の中の私と浩子を見比べていると、ちょっとした違いが大きな差を生んで、浩子を美人にしているのが分かってうんざりする。パーツは同じだけど私の方が間が抜けてる。目が離れすぎてる。輪郭も少し丸いというか、頬骨が出すぎている気がする。もしかしたら顔自体も大きいかもしれない。首は? 首も浩子の方がすっと長く細い気がする。
それは浩子と比べるから目立つわけで、私が単体で存在していたら思わないし思われないんだ。
いつもの感じで? いつもの感じで。
浩子と担当美容師さんが話していて、私の担当美容師さんが鏡越しに、同じですよね、という意味を込めて聞く。
いつもの感じで?
いえ、ボブで。顎くらいの。
担当美容師さんが口を開くだけ開いて、あ〜、と音を漏らす。言葉を固める前に誰かが声をあげてくれるのを待っている感じ。その間に応えて、浩子が声を上げた。
は? なんで急に?
被せられたビニール製のポンチョをばさばささせて、分かりやすく駄々をこねる浩子はやっぱり可愛かった。浩子の方がきっとボブが似合う。私がやったら、余計頬骨を強調するだけかもしれない。でも似合わない髪型だからブスに見えるっていう理由がある方がいい。とまではそのときには言語化出来ていなかった。
なんでって、浩子みたいに髪の毛可愛く出来ないんだもん。
じゃあ私がやったげる! 同じ編み方してあげる! それでいいじゃん。
いいかどうかは分からなかったけれど、勢いに押されて結局いつもの感じの、鎖骨の下くらいの長さに揃えられた。それからは毎朝浩子に髪をアレンジしてもらうのがルーティンになって、とうとう私には髪型がおしゃれじゃないから、という理由すらなくなった。毎日鏡越しに、器用に編み込みをつくってくれる浩子の指を見ていると、少しずつ気力が削がれていくのが分かった。だから私はヒロコごっこを始めたのかもしれない。
中学校に上がって、二年生の頃のこと。期末も終わって、あとは夏休みを待つばかりという浮足立った雰囲気が家庭科室中に広がっていて、その空気のなか、産休に入った教師の代わりに最近やってきた教師が点呼を取り始めた。名前を呼ぶ声に、はい!、の声が弾けてぶつかる。
戸坂ヒロコさん。
前から順に、テンポよく繋がっていたラリーが私の前で途切れて、変な間が空いた。
戸坂ヒロコさん?
名簿から顔を上げて居ないはずのヒロコを探す教師の視線が、ざわめきとともに私を囲う家庭科室内からの視線をひろい、探し当てた。後ろの男子が声をあげて、こっちは洋子でーす! とおどけて言った。そのおどけがムカついたのを覚えている。教師は焦って名簿を眺めて、三組の浩子の読みと混ざっちゃった、ようこさんね、ようこさん……と呟いて名簿に書き込んで、呼び直すことなく後ろのおどけ男子から点呼を再開した。
戸坂ヒロコさん、の響きがやけに耳に残って、電子辞書で調べたら洋子でもヒロコと読むらしいと知った。戸坂ヒロコさんが、私だったら良かった。はい! と答えてしまえば良かった。その考えで頭がいっぱいで、帰ってすぐ浩子に話した。同じ髪型にすることに執着する彼女は、きっと喜ぶだろうと思った。実際、予想以上に面白がって、それから私達はお互いにヒロコと呼び合うようになった。
一見同じであること。しかし完璧に重なり合うことはなく、わずかに己が優れていること。それが浩子には快感だし、一番己を飾って見せる術だと知っている。と私は理解していた。私としてもいっそ浩子のナルシシズムに取り込まれて、完全な影になった方が、浩子へのよろしくない気持ちを抑えるよりも楽だった。
ヒロコごっこはすぐに級友間にも広がって、それから、教師も呼ぶようになった。見分けがつかず、また特別見分ける必要のないとき、とにかく目の前にいる浩子だか洋子だかに呼びかけたいときには「ヒロコ」という音を使えば良いというのは実際便利だっただろうし、外部の反応からしたらそこまで異常でもないなって今でも思う。そして私達の間で呼び合うのは異常だったっていうのも今は分かる。
ヒロコごっこがすっかり波及したころ、動物園にスケッチに行く校外授業があった。全クラス合同で、担任と美術教師が引率をしていた。秋口とはいえまだ午後の日差しも厳しい時分だったから、ひんやりとした爬虫類館にたどり着いた。薄暗くて人も少なくて、落ち着いて描ける。白に金色が透ける鱗をした蛇を確か題材に選んで、うまく色が作れなくて悩んでいたとき、先生が後ろから声を掛けてきた。
戸坂さん。戸坂洋子さんだよね?
先生と私が今呼んでいるのは、美術教師の女性だ。久々に洋子と呼ばれた私は反応が出来なくて、ぽかんとしていたはずだ。あれ? 間違えちゃった? 無邪気に訊ねる先生は、間違えたなんてひとつも思ってない感じだった。
洋子の方です。と答えたときに、落ち着かなくて無駄に絵の具をかき混ぜた感触はやけに生々しく指に残ってる。
絵のタッチで分かる、と先生は言って隣に座った。それからヒロコごっこの始まりについて、訪ねられるままに説明した。読み間違えた先生がいて、それが面白くて二人で遊んでいて、と説明しながらなにが面白いのかも分からなくなった。それって面白いのかな? って先生が呟くのを分からないまま無視していたら先生は去っていったけど、その言葉が耳の奥に引っかかっていた。
だからか分からないけど、紙の端に小さくyokoと書いてみた。ヨーコ、洋子、よぅちゃん、ずっと一緒にいた名前だったのに、面白いわけないじゃないって、そのときに分かった。
それから子供らしく、素直に先生を好きになっちゃって、相談、みたいな感じでラインをゲットした。先生が男性教師じゃなくて良かった、だって懐に入りやすい。お守りと同じで、アドレス帳にあるだけで良かったから連絡を取り合う気はなかったけど。
初恋で大人になった気分の私は、ヒロコごっこをやめて洋子に戻った。周りも普通に飽きた頃合いで、ヒロコごっこは収束した。浩子だけが不満げで、まあ色々チクチク言われた。大抵は聞き流せたけど、ひとつになれて嬉しかったのに、というのは聞き捨てならない。
浩子は私を影にしただけでしょ、って返して、完全に決裂した。私が優れているのは体の頑丈さくらいで、だからこそ浩子の魅力が強調されている。そのくらい自覚があるだろうとは思ってたけど、今では浩子がもっとずっと子供で無自覚だったってのが分かる。
とにかくその日から二人の関係は最悪で、当時二人で推してたちー君のインスタライブがあるって時に、どうしても一緒に見る気になれなくて衝動で家出した。駅前をうろついているところで補導されかけて、なんとか誤魔化したけど、やっぱり大人に連絡しなきゃっていう焦りがあった。それを言い訳にして、先生にラインを送った。家出してるし浩子の居る家に帰りたくないって。
危ないから車出すね、って返ってきたときに、送り返されるんだとがっかりしながらも妙に納得した。先生だもん、て。だから助手席に乗ったところで、ドライブでもする? って言われて一気に駆け落ちかなって飛躍しちゃった。十四才で初恋で先生から夜のドライブなんて誘われたら、それはそうなる。だって高速まで乗った。
一時間ほどで到着したのはサービスエリアで、夜のサービスエリアに来るのは初めてだったからきっと私は感動してた。先生と二人で夜のドライブというシチュエーションも合わさってエモかったはず。
お店はコンビニ以外は閉まっていて、でも大きなバスやトラック、それに家族連れではない自家用車が出入りしていて広い駐車場はそれなりに埋まっている。知らない夜の世界が広がっている。コンビニに入っていく先生は夜の世界に慣れているみたいで、その後を追った私は何を買ったらいいか分からなくて飲み物も食べ物も先生に選んでもらった。
旅行用のスキンケアセットと歯ブラシを買っているのを見て、大人の感じがした。本当になにもほしいものが無いのか訪ねられて、私はなぜかノートとペンを選んだ。
その日は車中泊だった。すっかり駆け落ちの気分が高まっていた私は、ヒロコごっこを辞めた話と、浩子と喧嘩した話をしながら先生が買ってくれたたまごサンドを食べた。先生はうずまき型の、私の顔より大きなパンを食べていた。化粧を落とした顔は子供っぽくて、パンにかかった砂糖が口の端についてるのも、かわいくて、同級生と駄弁ってるみたいな気安さがあった。先生は黙って聞いてくれて、それから歯磨きに行った。戻ってから、入れ違いに出ようとした私の腕を掴んで、顔を寄せてきた。
いい名前だよ、洋子さん。
声が近い。ドキドキするべきなのかも分からなくて固まっていたら、先生はあくびをひとつした。
先寝てるね。戻ったら、ドアロックしてね。そう言うと先生はさっさと背を向けてしまった。なんだよ。と安堵と不満が入り混じった気持ちで歯を磨いて戻ると、先生は完全に眠っていた。その顔を、私はスケッチした。yokoとサインを入れた。思い出せばそれだけの出来事だった。
だって結局駆け落ちではなくて、先生は私の親に連絡していた。というのを知ったのは翌朝起きたら高速の帰り道で、着いた家の前には両親が揃って待っていて、大人らしく、ご迷惑をおかけしまして、いえこちらこそ差し出がましく、なんてやってたから。
先生が生徒の相談に付き合った良い教師みたいになっているのが、私の使った手を逆手に取られたみたいな気分だった。結局私は子供で、だから浩子と喧嘩したくらいで家出して、先生はただそれを指導した。私が向き合うべきは浩子だった。駆け落ちかなんて浮かれてたのに、たどり着いた答えがこれ。現実は地味で、難しい。
部屋に戻ると浩子が居て、寝転がってスマホを眺めていた。
ちー君のインスタライブ一人で見てもつまらなかった。
帰って来なかったらどうしようかと思った?
別に、帰ってくるのは知ってたし。
うつ伏せのまま脛をこすり合わせて浩子が返した。
何見てんの?
覗き込むと浩子は【劇的変身!似合わせショート】という投稿を見ていて、似合うと思う? と聞いてきた。顎ラインで直線的に揃えた前下がりのボブだ。似合うんじゃない? 素直に返すと、その場で浩子が予約の連絡をはじめた。
洋子は今の髪型が好き?
好きとかは分からないけど、私にはこのボブ無理だし。
そうだろうね。
浩子のそっけない肯定は嫌じゃなかった。本当のことを今まで言わなかった浩子が、やっと言ってくれたから。
アレンジはもうやってあげられないね、オソロにしたくてやってただけだから。
ずっと続けられるものでもないしね。
浩子のベッドに腰掛けて、もうすぐ無くなる浩子の毛先を摘んで不細工なみつあみにした。手を離すと、細い髪は簡単にほどけて戻った。
二人で鏡を見つめて、アレンジをしてもらう時間ももう終わると思えば寂しかった。でも終わらせどころを間違えたら、嫌な思い出に変わっちゃう。
それはスケッチも同じだったのかも。執着に変わらず、たまに思い出して、埃をはらって見つめるくらいがいい距離感で、それは先生と生徒、大人と子供の、どうしようもない壁。その壁が私を守るうちに、私は牛乳を飲んで、ランニングして、よく寝てよく食べて、ちー君に代わり最近気になりだしたロン君を推す。
それを教えてくれたちょっとずるい先生に感謝して、ノートを袖机の引き出しに戻したところでくしゃみが二回出た。
部屋に戻ってきた浩子が、冷やし過ぎなんだよ、と言った。
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